忘れられないひと
落とし始めたコ―ヒ―のこうばしい香りが、店内に広がる。
(ん…いいにおい)
カウンタ―越しの【あの人】は、目が合うと、そっと笑いかけてくれた。
(あ〜ぁ、こんな所まで来ちゃって…オレ、本当っ…何やってんだろ)
一ヶ月前、俺は半年付き合っていた恋人と、別れた。早い話、フラれたのだ。
恋人は、俺と付き合う前の【相手】の事が、どうしても忘れられない…らしい。こんな気持ちでは、オレと付き合っていく事ができない…2人に申し訳ない…前の相手を忘れられる時が来るまで、一人になりたいと、言われてしまったのだ。
まぁ、別れの予感…みたいなのは、薄々感じてはいたけれど。だからと言って、寂しくないといえば、嘘になる。実際、別れてからというものの、いつも考えるのは、忘れられないと言った、前の相手のこと……。
たくさん恋愛して、いくつもの別れを経験してきたけれど……忘れられない程、愛した人なんて今までオレの前には現れなかった。
そんな人が、オレの前に現れてしまったら……オレは一生、忘れられない相手との想い出だけで生きていけるだろうか。
オレは【その人】が、どういう人なのか、とても気になった。
嫉妬とか、そういうものではではなく、終わってしまった愛なのに、片方の想い出の中で鮮やかに輝き続ける…。
オレは行動に出た。
【その人】に逢いに行った。
付き合った当初、別れた恋人から、聞いた記憶を頼りに、【その人】の働いている喫茶店へと向かっていた。
☆ ☆ ☆
『…お待たせしました。はぃ、どうぞ』
優しい顔。
オレの前には、淹れたてのコ―ヒ―。
『ここのオリジナルブレンド、お勧めなんですよ』
『…いただきます…』
カップを口に運ぶ。口の中にふんわりとコ―ヒ―の苦味と甘味が広がる。
温かい味がした。
『…初めてのお客さんにこんなこと言うのも…どうかと思うんですが……見た感じ、元気がないように見えますが…何か、あったんですか?』
優しい顔は、声まで優しかった。店内は、客 オレひとり。オレは、ゆっくりと話し始めた。
『実は…付き合ってた恋人に、忘れられない人がいるって言われちゃって…。オレには今まで、そうゆう人って…いなかったから。あの…あなたには過去に恋人同士だった人で、忘れられない人っていますか?』
唐突すぎたかな?とは思ったものの、引かれてはいないようだ。
その人は自分のために淹れたコ―ヒ―を一口飲むと、カップをカウンタ―の上に置いた。
『……過去にこだわるよりも、今が大事だと思うんです……人間、想い出だけで生きていくには、悲しすぎるでしょ』
静かに微笑む瞳の奥が揺れていた。
この人も、たくさん恋愛したんだろう。
もう一杯、どうぞ…
と、コ―ヒ―を淹れてくれた。
…あぁ、もしこの人との愛が終わってしまったとしても、忘れられないという気持ちが、わかるような気がする。
『オレ…また、ここに来てもいいですか?』
『…いつでもいらして下さい。美味しいコ―ヒ―用意して…待ってます』
オレは冷めないうちに、温かい言葉とコ―ヒ―を飲み干した。
この話は、【オレ】以外、登場人物の性別を書いていません。あとは読み手の皆様の想像で…☆