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20 告げる言葉を、あの人へ

 召喚術とは、そもそも世界と世界を繋ぐ《門》と呼ばれる技術の根幹を担う、魔術である。

 となれば、つまりそれは、侵略戦を起こして世界に多大な損害を与えた、許されざる罪過の正体だ。

 だから一般には秘匿されるべき魔術であって、それを真に扱いたければ生物が干乾びるほどの膨大な魔力を捧げなければならず。そして魔王のもと重大に管理され続けるべき、禁術の一つとされていた。


 ……という事実は、魔王の膝元、魔王城に出入りしていた者ならば皆知っている事。召喚術の術式そのものすら、知り得た存在は少なからずいるだろう。

 だが本当に危惧すべき事は、禁術を漏洩させる事でも、魔王の許可なく行う召喚術を公使する事でもないと、ファブニールは思っている。

 召喚術は行使しようとする段階でも問題があるが、正しく発動させようとそうでなかろうと、対象物を召喚してしまった場合が最も注意すべき事態である。世界と世界を繋ぐ《門》の技術の根幹を担う、つまり、呼び出した瞬間、行使者の世界と召喚物の世界は――――。



 ギリスタスに落とされた、召喚物――否、召喚された人間のキリコ。

 彼女には、もう二度ともとの世界には戻れないと告げた。だがあれも、正直一つの嘘である。


 戻れない、ではなく、戻せない(・・・・)のだ。


(……許せ、人間)


 声を上げず涙を流した彼女に、言えるはずもない。


 召喚術の術式を知っている上で、帰還の方法も知っている上で、戻れないなどと口にしたのは。



 保護し、献身的に接する悪魔――――ファブニール本人であるのだから。



 その事を、そう言った理由を、いずれは明かすつもりであった。キリコが深くに根付いて、逃げ出せず、離れられなくなった頃、全て伝えて改めて請うつもりであった。だが根付く速度があまりに早く、しかも喪失しがたいところへと容易く入って来るなど、全く予想外であったのも事実だ。

 上手いやり方など幾らでもあるはず。イシュトに揶揄されたように、これはあまりにらしくない、愚かなやり口。やろうと思えば、何事も最良の形で出来たはずだ。人の心など、言葉と計略で幾らでも変えられる。そのやり方を、熟知しているくせに。

 それでも何故だか愚かな真似しか出来ないでいるのは、キリコの存在のせいか、それとも、優しくされる事に飢えた世界の住人であるせいか。

 どちらにせよ、キリコの世界を奪ったファブニールが思うには、あまりに愚かである事は間違いがなかった。


(嘘つき)


(私の事ではなくて、私にある価値の方が、大切なんでしょう?)


 ただの一言に、今更、傷つくなど――――。





 キリコに《接触》があった。

 それは、以前から話をし、また情報収集に努め準備を整えてきた、残党狩り開始の合図であった。

 ……のだが、よりにもよって最悪な始まり方をしてしまい、ファブニールは重々しい空気を背負いこんで項垂れていた。館に戻って来てからというもの、見るからに落ち込んでいますと言わんばかり。机に両肘を立て手の甲に額を押しつけ、すっかりしょげたまま沈黙し、動けないでいる。椅子からはみ出た獅子の尾は、だらりと床に落ちてしまったっきりぴくりとも揺れない。死んだ蛇のようだ。

 見るに耐えない情けなさ全開の魔族を、取り囲み見つめる使用人三人は、それぞれで異なる感情を乗せ大きく溜め息をついた。イシュトは呆れ、カーミラは憤り、ヴェルゴールは哀れんで、自らの主人に視線で訴える。何故もっと上手くやらないのだ、と。


「だから言ったんだよ、悠長だって。アンタ馬鹿じゃないの」

「あの子に酷な事はなさらないでと、仰ったはずですが?」

「キリコ殿、今頃さぞ心細い想いをされているのでしょうな……」


 三人の言葉は、遠慮なくファブニールの心臓中央を外す事なく突き刺さしていった。

 まったくもって、その通りである。返す言葉もない、と彼は這うような重い声で呟く。頭が伏せられたまま一向に動かないファブニールに、再び三人の溜め息が響き渡った。


 だから、魔力の理に特別縛られる魔族は、何かと駄目なのだ。欺き、誘惑し、淘汰する事に関しては申し分ないほどの働きをするくせに、優しくされて繋がりを与えられた時それを正しく求められない上に冷静さが無くなる。その結果がこれだ。頭は回転しているくせに、肝心な、それも大切なところで常に正しく振る舞えない。

 ヴェルゴールは魔族といえど既に死んで長いから執着心も落ち着き、イシュトとカーミラは内包する魔力がそもそも希薄な獣人という種族。各々で魔界の影響を受けているが、ファブニールほど酷くはなかった。というより、ファブニールが魔族の中でも飛びぬけた存在である事も災いし、話を余計にこじらせているのだ。この事態も、彼自身も。

 それをいよいよ露呈させたキリコの存在は、よほど二ヵ月の間で根付いていたようだ。

 今となっては、そんな事を気にしている場合ではないが。


「始まっちゃったもんは仕方ないでしょ。召喚儀式の始末は良いとして、アンタ自身のやらかした始末はアンタがやれよ」


 イシュトの言葉に、ようやくファブニールは伏せた頭を起こした。が、その顔に張り付く空気は非常に薄暗く、これから一悶着あるというのに士気の低下が著しい。

 ……これでも一応、魔王城に出入りしていた悪魔の一柱であるはずなのだが。

 ファブニールが、かつて魔王城で何をやらかしてきたのか、或いはどういった職についていたのかをヴェルゴール達は知っているが、こんな姿を見ると【過去の栄光】の文字が虚しく過ぎる。二ヵ月前の方がまだやる気に満ちていただろうに。しっかりしろ、と思ったのは全員である。


 彼の目には、明らかな恐怖が色濃く滲んでいる。残党狩りに対してではない、キリコと面と向かう事に対しての恐怖だ。

 馬鹿げているだろうが、それが連綿と続いてきた魔界の摂理の反動である。戦いに強くとも、肝心な部分で全く役に立たない。

 だとしても、それを、支払う必要のない多くのものを削り出したキリコに、押し付けても良い理由にはならない事など分かりきっている。


「……どうなさるおつもりで?」


 三人の眼差しを一身に受け、ファブニールはついと窓の向こうへ視線をやる。


「……そうだな、予定を変更しよう」


 キリコは今、一人でどう思っているだろう。恨みか、怒りか、絶望か。それらの大部分が、ファブニールに向いていたとしても、彼はやはり差し出した手のひらを引く事は出来ないのである。


 色を無くした館の窓の向こう、吹く風が強まってゆく気配がした。





 担ぎ上げられていた身体を上から下へと唐突に落とされた時、決して出すまいとしていた声が衝撃の弾みでこぼれ出た。粗忽な冷たさが、倒れ込んだ身体と、背後に回され縄を掛けられた両手に、じっとりと伝わってきた。

 此処は、何処だろう。少なくとも屋外ではない事は、五感による勘で分かった。コツコツと反響する足音、ガシャンと鳴り響く金格子、緑の無い埃っぽく淀んだ空気。屋外である事は察しても、だが視界を抜きにした曖昧な情報は桐子の中に不安だけを植えていった。

 桐子は視界を塞がれていた。僅かな隙と緩みもなく覆われた布はきつく結ばれており、ずれ落ちる気配もない。

 己の眼で状況を確認出来ないが、目を塞がれ手を縛られ担がれてきた事を思えば……言われずとも、どのような事態に陥ったかは明確である。


 怖い。


 恐怖で過敏になった神経が、些細な物音、動く気配を誇張し捉える。増幅する恐れに心臓が、服の下で戦慄いている。


「――――ようやくか、全く、手間を掛けさせる」


 暗闇の中、頭上で男の声が聞こえる。優しそうとは、お世辞にも言えない。びく、と肩を震わせて顔を動かす。


「必ず何かしら張り付いていた。一人になる事が全くと言って良いほど無かったからな」

「警戒心が強いこって。さっさと殺すなりなんなりで片付けられたら良かったが……まあ、人間から離れてくれたのは好都合だ」


 頭上で交わされる会話は、桐子の耳にも入ってくる。しかし、どういう事だろう、何の話をしているのか。全く思考が働かない彼女にとっては、どれも恐れを煽る文句ばかりである。


「……こんな人間に、依頼主が言うほどの価値があるのか。本当に」


 唐突に、桐子へと矛先が向く。気配が近づいてきて、嘲りを含む粗暴な男の声が直ぐ側で聞こえた。

 そして、ぐいっと顎を掴まれた。太い指からは人肌の感触を感じなかった。少し硬い、毛の感触。獣人の手だろう。ただ何も見えない分その些細な動作にも身体が震え、口元を強張らせた。


「余計な真似は止めておけ。召喚儀式を請け負った連中の尻拭いもあるが、下手に傷をつけ依頼主からの評価を下げるな」

「へいへい」


 桐子の顎から手は離れない。物珍しい玩具を見つけたように、面白そうに見られているのだろう事は分かった。見えぬ眼から浴びせられる視線が酷く気持ち悪い。強く掴まれ顎も少々痛いが、それらを訴える勇気は僅かともなかった。

 此処で何の力も持たない人間がどれほど脆弱な存在であるのかは、桐子がよく知っていた。


「あ、あの、私は……貴方達は……」

「さあ、何だろうなあ。人間のお嬢ちゃんが知ったところで、どうにも出来ないだろう?」


 くつくつと喉を震わす男の声が、耳元で響く。濡れた何かが触れ、桐子は肩を盛大に跳ねさせた。次いで、スンスン、と鼻が鳴る。


「……依頼主が何を欲しいのかは知らんが、これは確かに変わり種だな。こいつ、魔力の匂いが全然しない」

「本当か」

「道理でさっき」


 何人もの気配が、一斉に集まってくる。肩を引っ張られ、髪を引っ張られ、身体を引き寄せられ、桐子の喉は情けなくヒッと声をあげた。何なの、何なのこれ。あちらこちらへ引っ張られて回され、桐子は背筋を震わす。恐怖に滲む思考に、過日の記憶が甦った。

 それはまるで、あの日のよう。突然世界が変わった、あの日のようだ。妖しげな蝋燭と異形の者達に囲まれ、子どもが玩具を取り合うように引っ張られ、衣服を取りあげられた四肢が冷たい床に打ち捨てられて。肉の芯と血の流れがゆっくり冷えていく感覚を、今もはっきり覚えている。虚脱した心身に枯れた涙を浮かべて、無い光を求めたあれを。

 再び、演じているようだ。


 どうして、こんな事。私が何をしたっていうの。


 あんまりの仕打ちに、桐子は歯を食いしばった。その時、上半身を力任せに引き起こされ、がくんと頭が揺れる。そして、胸元を強く引っ張られた。メイド服を掴まれたのだ。ザア、と顔から血の気が引く。


「こんなものを着せたところで、人間の変わり種であるのは同じなのにな」


 そんな嗤う声が聞こえてきて。

 あれだけ荒れていた思考が、急激に静まり返るのを桐子は自覚した。



 ――――君は価値を知るべきだ、自らの



 あの人の言葉を、不意に思い出した。

 価値。そんなものは、今も桐子が知るところではない。桐子の価値観と魔界の価値観は食い違っていて、噛み合わない事が多い。とどのつまり、桐子という存在は、この世界では紛れもない異物であるという事だ。魔界の生活様式に慣れようとしても、衣服に慣れようとしても、どう足掻いてもその事実は消えない。

 それでも。

 傷の手当てを施し、着る物まで奪われた身体に新しい服を与え、異物であるのに対等に扱おうとしてくれたのは。光の無い部屋から、連れ出してくれたのは。


 桐子はハッとなって、身を捩り抵抗した。意外にも大きな手が離れたのは、桐子が急に抵抗の意志を見せ一瞬驚いたからだろう。だが、それだけだ。


「好きなだけ抵抗すれば良い、こんな細腕じゃあ手の一つを払う事だって出来やしないくせに」


 嘲りながら、強く首を捕まれる。苦しく滞る空気の流れに、桐子は唇を噛む。面白がっている事は明確だ、だって何の術のない人間など捻り上げる程度造作もないのだから、彼ら異種族にとっては。

 喉から手が離れてゆき、桐子はせき込む。だが、その手が服を掴む事だけは懸命に抗う。


「服は、この服だけは、破かないで下さい」


 桐子は震えきった声で、必死に告げる。その言葉は、見えぬ無法者達には、きっと女の恥じらいとでも捉えられただろう。だがその桐子の真意は、服を破かれて肌が露出する事を恐れているからではない。


 この服は。魔界の異物が纏うには不格好であったとしても、この服だけは。絶対に裂かれたくなかった。

 あの人達が着せてくれて、受け入れてくれた証であるこの服だけは、絶対に。


 きっと通じるわけがないだろう、それでも、桐子にとっては何にも耐え難い事であり。これを守る為ならば……


「――――髪を幾ら切ったって、構わない。だから」


 我が身を差し出す事さえ、厭わない。


 震えた桐子の言葉など、小娘の強がり程度に彼らは受け取った。暗闇の向こう、四方を囲む気配が嘲笑を募らす。そしてその内の一人が、残忍な笑みを含んで呟いた。


「――――なら、その強がりが何処まで続くか、試してみようか」


 気配が動く。全身の震えは止まらないが、大丈夫、怖くないと、桐子は何度も言い聞かせる。恐怖の想像を和らげる為、あの人達を思い浮かべる。初めてこのメイド服を着た時、黒髪と黒目によく似合うと褒めてくれた、優しい獣の悪魔とその使用人達の微笑みを。



 大丈夫、怖くなんて、ない。



 桐子の耳元で、シャキンと、冷たい金属の音がした――――。




世界にとって異物である事の自覚は、作者が書きたかった事の一つでした。

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