行商
墓の前に立つ。少しだけ盛り上がった地面、その上に置かれている両手で抱えられるくらいの大きさの石。手にもった花をその墓の前にお供えして、目を瞑る。
考えるのは、一度も会ったことのない他人のこと。父親と、自分。その二人が眠っている墓の前で、僕はいつもいつも考える。本物のヴァルテッリはどう思っているんだろう、と。死んでしまっているから、わからないけれど。ただ、僕はその名前を借りているから、時々こうしてお墓参りをするんだ。村の人たちは、父親のことを思い出しているって思っているけれど、違う。両親代わりなのは、クリスさんとエリサさんだから。
こうして考えていると、父上と母上のことも思い出す。二人はどこにいるんだろう。捕まってしまったのか、逃げているのか、死んでしまったのか。生きているなら、どうやって会えばいいんだろう。強くなって、有名になったら会えるのかな。あの男を倒すくらいまで強くなったら、父上と母上は僕のことを見つけてくれるのかな。とりあえず、アーレンに行くことが必要だと思う。母上の故郷だから、きっと何かわかるから。ただ、どうやって行くんだろう。
「ヴァル、ここに居たのか」
後ろから声がかけられる。振り返れば、ユリウスが立っているんだ。
「ん、お待たせ」
ユリウスに返事をして、墓から離れる。いつまでも考え込んでいても始まらない、そう思うんだ。ユリウスの隣に並べば、また離されたことを実感する。
この村にきてから、二年がたった。エドゥアルドたちは既に町に行っていて、半年ごとに数日帰ってくる。今は六月の五日、一年は十ヵ月、一月は三十日、もう半分過ぎているんだ。エドゥアルドたちが次に帰ってくるのは、八月ごろだろう。
二年間で、ユリウスはさらに大きくなった。たぶん、エドゥアルドと同じくらい大きくなっていると思う。僕も少しは大きくなったけれど、それよりも早い速度で成長しているんだ。体つきはがっちりとしているし、頭も良い。最近は木剣で戦っても、いい勝負になるようになってきた。
相変わらず僕のほうが力だったり、瞬発力だったりは強い。けれど、ユリウスのほうが剣の扱いが上手いんだ。例えそれが木剣だとしても、時折ひやりとさせるような剣を振るうから。弓も、ユリウスのほうが得意だ。僕も使うことができるけれど、ユリウスのほうが命中率が高い。僕はウィルドラビットを探して狩るのに半日近くかかってしまうけれど、ユリウスはその時間で何羽も捕まえることができるんだ。たぶん、僕に弓の才能は無いんだと思う。
「今日は何する?」
ユリウスに質問する。昨日は一日、山で狩りをしていた。最近は二人でなら山にいれてもらえるようになったから、狩りができるようになった。狩った獲物は解体して、肉はその日のごはん、毛皮は服や行商人に売る品物にしている。
「昨日使ってしまった矢を整えよう。数本折れてしまっただろ?羽も切れてしまっている箇所があるだろうから。午後は行商人がくるから、村に帰らないと」
「ああ、そういえば今日来るのか。買い物を頼まれてるんだよね」
狩りの道具は自分たちで手入れをしているんだ。作れはしないけれど、自分たちで手入れをすることはできる。なかなか大変だけど、それで獲物を狩ったときの達成感はすごい。
ユリウスと連れ立って、秘密基地のほうに向かう。昔はどうやってユリウスが道を覚えているのかわからなかったけれど、今はわかる。木の枝をユリウスが折っていて、それを目印にしていたんだ。
そんな道を歩いて、秘密基地に辿り着く。僕たちが大きくなるにしたがって少しずつ広げていった秘密基地は、今では家と同じくらいの広さがある。木剣で戦えるように、地面の木の根や石を取り除いた場所もあるし、未だに水を湧き出す泉もある。泉の近くには尖らせた石を括り付けた木の枝があって、それは僕たちにとって斧代わり。
折れた矢を集めて、先端をナイフで折る。矢じりは大事なもので、自分たちでつくることはできない。石で代わりを作ることはできるけれど、綺麗に飛ばなくなってしまう。羽の部分も切り取って大事に使い回す。都合のよい羽はなかなか落ちていないから、大事に使わなきゃいけない。毛羽立って真っ直ぐ飛ばなくなっても、それでも大事に使わなければいけないから。矢を買うと凄く高い。罠を狩ったり、作ったほうが安く済む。だから、クリスさんたちは罠を使っているんだ。
「随分減ったね、矢」
ユリウスに声をかける。残り八本しかない矢を束ねる。三十本買ったのに、三か月もせずにここまで折れてしまった。普通に使っていれば折れてしまうし、これでも節約に節約を重ねて使っていたけれど、獲物に当たらなければ高確率で折れてしまう。
「今日買うか。金は……ヴァル?」
「二人で合わせて買うかな。木剣も買いたいしね」
「ああ、ただ他にはもう買えないな」
財布事情を思い出して、二人で悲しくなる。剥いだ毛皮を売っても、そこまで高い金額にはならないから。矢は高価で、木剣も値が張る。町だともっと安い、そうクリスさんは言っていたけれど、町までは遠いから買いにいくことはできない。それに、道すがら獣がでることもあるから、危険らしい。
矢を整えて、新しく二本の矢を作り出す。真っ直ぐな枝を探して、二人でこぶを削り棒のようにしていく。曲がっていたら真っ直ぐ飛ばないし、こぶや枝分かれがあっても上手く飛ばないから、綺麗に、均等に削らなきゃいけない。そうしてできた棒の先端に矢じりを蔦で括り付けて、反対側に羽を括り付ける。羽も曲がらないように慎重に括り付けなきゃいけないから、大変。そうして作っても、それが矢として使えるかどうかは使ってみないとわからないんだ。時間をかけて作っても、上手く飛ばないこともあるから。
矢を矢筒に片付けて、お昼を食べる。おにぎりにかぶりついて、漬物を食べる。隣ではユリウスが同じようにおにぎりを食べている。お米は東のほうの作物で、十年前にクリスさんたちが持ってきたらしい。ここでは麦がうまくできなかったから、米を育てているんだ、そう言ってた。
「さぁ、村に戻るか」
ご飯を食べ終わり、泉から湧き出る水を飲み終えると、ユリウスが言う。矢筒を背中に背負って、歩き出す。僕も水を掬って、ごくりと飲み干してから歩き出す。器は泉のそばで乾かしている。もう二年間使い続けているから、器もこれで何個目になるだろうか。罅割れたり、汚れたり、割れたり、色々あったけれど、その度に作ってる。幸いなことに、木はどこにでもあるから、材料には事欠かないんだ。
ユリウスと村まで競争をする。林の道は、もう何度も往復したから、それこそ木の根の位置までも覚えてしまっている。だから、少しだけ地面に注意を払えば走れるんだ。
僕のほうが足は速いけれど、ユリウスは僕についてきてる。何度勝ったとしても、ユリウスは僕に挑戦することをやめないし、僕も挑戦を受ける。何度かやるうちに、ユリウスが勝つときもあるから。特に木剣での対決はユリウスの勝つ回数が増えてきてる。
村までたどり着く。今回は、僕の勝ち。二人で息を整えて、村の中に入る。柵にある小さな扉は、もう二人とも屈みこまないと通れなくなっているんだ。それだけ成長したことの証だと思う。柵の前に立つと、ぎりぎり外が見えるようになったから。
村の中に入っていけば、もう既に行商人が村についていたんだ。慌てて家にも土手、ユリウスと二人で剥いだ毛皮をもって村の中央に向かう。馬車が村の中心に置かれていて、その陰で商人が涼んでいる。周りには多分護衛だろう兵士もいて、水を飲んでいる。
「今日は前と違う商人だね」
「ああ、珍しいな。兵士も違う」
僕の言葉に、ユリウスが答える。この二年間、二ヵ月毎くらいの周期でやってくる行商人は、全て同じ人だったから。
行商人は、基本的に同じ人が同じ村に訪れる、前の行商人はそう言っていたと思う。何度も何度もそこで商売をして、繋がりを持っているほうが商売しやすいかららしい。それに、行きなれた場所であれば安全性も高まるからとも言っていた。護衛の兵士も、毎回毎回変えるのではなくて、ほぼ決まった面子で護衛しているらしい。
行商人はベルスム王国に認められた人がきまった場所を周回しているそうだった。ほかの国はまた違うところもあるけれど、ベルスム王国に関して言えばそうやって固定化させることで様々な利益を受け取っているんだ、そう前の行商人は僕に教えてくれた。行商人の護衛は、王国から出されているらしい。専属のような形にして、かかる費用を安くしているんだ、とも言っていた。それを思い出す。この村に来て最初、僕は兵士の影におびえていたけれど、それは杞憂だったんだ。兵士は行商人とともに来るか、税の徴収のために来るだけだったから。
けれども、今回は違う行商人で、兵士も別人だった。だから、ユリウスも僕も不思議に思う。前の行商人はどうしたんだろう、彼とは仲良くなったのに。
行商人のもとまで近づいて、二人で声をかける。
「こんにちは、矢は売ってる?」
行商人は手に持つ水筒から水をぐびりと飲み込み、そうして僕たちのほうに顔を向ける。目の下に隈ができていて、疲れているように見える。
「矢か、大きさはどのくらいだ?」
こちらの体を見ながら、そんな質問をする。ユリウスが持ってきた矢を見せれば、行商人は待っていろと一言残し馬車の中に消えていく。その背中に、僕たちの背丈に見合うくらいの木剣も二本お願い、と声をかける。おう、そんな声が馬車の中から返ってくる。
その間に、ユリウスが護衛の兵士に話しかける。兵士は二人組で、一人は手で剣を触っており、もう一人は弓の調子を確かめている。
「前の行商人と、前の護衛の兵士さんたちはどうしたの?」
弓の調子を確かめていた兵士は首を傾げ、片割れに聞くよう手振りをする。剣を触っていたほうはこちらに目をむけ、溜息を吐いて質問に答える。
「死んだ。十日前に街道で野盗に襲われて死んでいるのが見つかった。護衛も商人もどっちもこと切れていた」
少し悲しげなのは、きっとわが身にも起こり得ることだからだと思っているからだろう。だから、剣や弓の手入れを事欠かないようにしているんだと思うから。
「そうなのか……仲良くなったのに……」
「ああ、それで俺らが代わりにくることになったのさ。商人、疲れてたろ?」
剣を持つ兵士が苦笑しながら言う。弓を持つ兵士もそれに同意し、首をごきりと鳴らす。
野盗、金と商品をもっている行商人を狙うのは当たり前だけれど、王国の兵士は何をしているんだろう、そう思う。街道の治安が悪くなったら、行商人は儲からなくなるし、王国も儲からなくなるのに。
「今は犯人捜し中だ。しばらくすれば血祭りにあげられるだろうよ」
「それまでは俺らは夜も眠れないわけさ」
兵士たちは笑う。命を賭けて商売をしている行商人と、名誉を賭してそれを守る兵士たちの姿は、少し格好いい、そう思う。
「少年、これでどうだ?」
馬車から行商人がでてきて、僕たちの前に矢と木剣を差しだす。矢は僕たちでも扱えるくらいの大きさで、普通の矢よりかは少し短い。木剣は両手で持つ剣が一つと、盾と片手剣が一組。
「これがいいよ、ね、ユリウス?」
「うん、いくら?」
一目見て木剣を気に入った僕たちは、行商人と値段交渉をする。僕たちが剥いだ毛皮を見せて、それの価格を差し引きしてもらう。それを引いた価格に僕たちの貯めたお金を使って購入する。なんとか足りた、というよりも、行商人が足らせてくれたんだ。
行商人からしてみれば、僕たちも良いお客さんだからだろう。きっとこれからもこの村に来るんだろう、そう思う。
「ありがとう、また来てね!」
二人で行商人に挨拶をして、兵士二人にも挨拶をする。それから、買った品物をもって僕の家に向かう。とりあえず、買ったものは僕の家に置いておいて、明日秘密基地に持っていくようにするから。
矢が二十本、両手で扱う木剣が一本と片手剣、盾の組み合わせの木剣が一組。欲しかったものが全て買えて、僕たちは嬉しくなる。これで、木の枝を使った剣戟遊びは終わりで、本物の木剣を使って練習することができるんだ。交代交代で、両方練習すればいいね、そうユリウスと声を掛け合う。
次の日、秘密基地で僕たちは剣を振るう。とはいっても、慣れないから、ゆっくり練習をするんだ。両手剣は重くて、剣に体が振り回されてしまうような気がする。でも刃の部分が長くて厚いから、盾代わりにも使えそう。片手剣は振り回しやすいけれど、刃が短いからしっかり近づかないと当たらなそうなんだ。両手剣とは違って刃も細いから、盾を使わないと防げない。そして、盾の使い方が凄く難しそう。
ユリウスも僕も、しばらくどちらも振り回してみて同じことを思うんだ。
「木の枝とは全然違う」
「うん、練習しなきゃね」
だから、僕たち二人は今日は剣戟遊びをせずに、思い思いに剣を振り回すんだ。ただ、早く振るんじゃなくてゆっくり振るようにする。そうやって、二人で戦いあっても怪我をしないように力加減を覚えるんだ。
「早く戦いたいね!」
「ん、俺が先に両手剣な」
「ずるいよ、僕が使いたかった!」
僕とユリウスはその日、汗だくになって倒れそうになるまで練習しつづけたんだ。