友達
「お前、名前なんていうの?」
突然背後からかけられた声に、僕は驚く。飛び上がったかもしれない、そう思うほどに突然で、僕には準備ができていなかったから。誰だろう、僕に話しかけてくるなんて。
クリスさんの家にお世話になることに決めてから、三日間が経った。初日はここらのお話を聞いて終わったし、二日目はエリサさんの手伝いをしていたんだ。家の周りの畑を耕して、大人の人に挨拶をした。村の人は皆優しそうな顔をしていたけれど、僕を歓迎してくれたけれど、凄く怖かった。エリサさんが付いていてくれなかったら、多分倒れるか、走って逃げていたと思う。足も、手も、どっちも震えていて、エリサさんの服を掴み続けていたから。そうして三日目、エリサさんは洗濯をしに川にでかけて、クリスさんは山に狩りにいった。だから、今日僕は初めて一人で過ごすことになったんだ。最初は外が怖くて、クリスさんもエリサさんもいない状況が怖くて、家の中で震えていたんだ。
でも、家の中には何もなくて、外では鳥が鳴いていて、それに励まされるようにそっと家をでた。外は晴れていて、周りに畑があって、少し離れたところに家がぽつぽつと立っている。その風景をみて、大きく息をすって、そっと村を探検していたんだ。
畑には他の村の人もいて、僕を見かけると手をふってくれた。エリサさんが、記憶をなくして怯えているって説明してくれたから、村の人たちは皆優しく接してくれているんだと思う。そうして、村の中を通って、村のはずれにある大きな木を見ていたんだ。一本だけ生えている大きな木は、家の裏にあった森に生えていた木よりも大きくて、僕が今までに見たどの木よりも大きいもの。それを見ていたら、後ろから誰かに声をかけられたんだ。
僕は、昨日大人に挨拶したけれど、その人たちの声じゃない気がしたんだ。両手が震えてきて、エリサさんの服に掴まろうとするんだけれど、今日は近くにエリサさんはいない。怖くて怖くて、倒れてしまいそうだったけれど、恐る恐る振り返るんだ。
「驚かせちゃった?ごめんな」
そこには同い年くらいの男の子がいた。見たことのない人間、手の震えが強くなる。背中を冷たい汗が流れて、寒気がする。男の子は歯を見せて笑っていて、僕は怖くなる。震える両手を背中に隠して、僕もなんとか笑顔を作るんだ。
「ううん、ちょっと驚いただけ。僕は、ヴァルテッリって言うんだ」
「ふーん、俺はユリウスってんだ。お前、クリスさんとこに泊まってるんだろ?」
彼の黒い瞳が僕のことを見つめてきて、背中に隠した両手を強く握りしめる。怖い、彼は人間だから。
「うん、そうだよ」
「ここにきたのは最近だろ?これからもここに住むのか?」
ユリウス君は笑みを浮かべながら質問をする。どういう意味なんだろう。僕がここに隠れるなら、兵士に伝えてやるってことなんだろうか。僕よりも少し大きな体、茶色の髪、何を考えているんだろう。ユリウス君の目を見ているのが怖くて、僕は下を向いて質問に答える。
「うん。お父さんが死んじゃって、僕にはいくあてがないから……」
「ああ、変なこと聞いてごめんな」
「ううん、大丈夫」
ユリウス君は、少し申し訳なさそうに声を出したんだ。それを聞いて、顔を上げてユリウス君を見れば、気まずそうな顔をしていたんだ。
「気に、しないで」
そんな顔を見て、彼もやさしい人なのかな。そう思う。さっきの質問は、僕を兵士に差し出すために質問したわけじゃないということがわかったから。それでも、僕の手はまだふるえている。本当に信じていいのか、わからないから。
「綺麗な目だな、お前」
「う、うん。ありがと、う。父さん、譲りらしいんだ」
「俺もそんな目になりたかった。なぁ、お前この村のことよく知らないだろ?案内してやるよ」
ちょっとだけ微笑んで、ユリウス君が手を差し出してくる。握手だろうか、僕の手は震えていて。さっき、うそをついたときも声が震えてしまっていないかすごく心配だった。幸い、ユリウス君は気が付いていなかったみたいだけど。
ユリウス君は村を案内してくれようとしてる。なんで、わざわざそんなことをしてくれるのかわからない。だけど、断ったら兵士に告げ口されてしまうかもしれない。そうも思うんだ。だから、僕は勇気を振り絞って前に差し出された手を握るんだ。
「うん、よろしく」
「おう、任せとけ!」
握手をして、ユリウス君はにっこり笑う。震える手で握手したけれど、ユリウス君は気づいていないみたいで。ほら、いくぞ、ついてこい、そんな言葉をかけて、僕に背を向ける。僕は、その背中についていくことにする。
「村の中は大体見ただろ?昨日親父たちにも会ってたし」
ユリウス君は元気よく笑う。だったら、大人が知らない場所を案内してやるよ、そう僕に言って彼は村から離れようとするんだ。彼が向かおうとしているのは、大きな木から外側。村をかこっている小さな柵のほうに歩いていく。
ついていったほうがいいのかな、心配になる。彼はどこにいくんだろう。僕を、エリサさんから話してどこかに連れて行ってしまうんじゃないか、そう思う。そんなことを考えながら立ち止まっていると、ユリウス君は振り返って笑う。
「大丈夫だよ、そんな遠くまではいかないさ。安全なとこだよ」
そういって、僕のところまで戻ってきて、僕の右手を強く握る。震える右手を引っ張られるようにして僕は連れられて行く。そんなに強い力じゃないと思う。けれど、僕はその手を振り払えない。
僕の手を握って、無理やり外に引っ張っていこうとする。その姿がロヴィに似ていたから。ロヴィと街を探検したり、林を探検したり、そんなときロヴィは僕を引っ張っていったんだ。ほら、アデル、いくよ!そんなことを言いながら僕を引っ張っていったんだ。ユリウスの姿にそれがかぶって、だから僕はその手を振り払えない。ロヴィとユリウスの見た目は全く似ていないし、そもそも性別も違うけれど、それでも。
少しだけ悲しくなる。ロヴィとはもう会えない、それを思い出して。涙がにじんでくる。胸にかけたネックレスが少しだけ跳ねて、重みを主張するんだ。ロヴィ、ロヴィ……
左手で涙をぬぐう。ついていこう、そう思うんだ。ロヴィの姿を思い出したからだと思う。きっと、ユリウス君はいい人だ。だから、僕はロヴィを思い出した。そう思うから。
村は山の麓に作られているから、周りを林に囲まれている。その林に住んでいる夜行性のウィルドボアという動物が畑を荒らさないように村の周りに柵が建てられているんだ。その柵までたどり着く。柵は僕の身長と同じくらいで、僕の目の前には扉があるんだ。僕が少しだけ姿勢を低くしないと通れないようになっている小さな扉。
「裏口だよ。あと三つあるんだ。山に行くのによく使ってる」
ユリウス君はその扉を開けて、そこを通っていく。僕も、彼について柵を通り抜ける。柵が僕の目を隠すようにしていたから、初めて見る村の外の世界にびっくりする。柵の外側には、少しだけ草原があって、すぐ林になっていたんだ。目の前には踏み固められた狭い道があって、林に向かってる。
ユリウス君は、その道を歩き出していた。少し歩いて、立ち止まる僕を見て、また僕の手をとりに戻ってくる。
「大丈夫、ウィルドボアは夜行性だからさ。この時間に起きてるのは虫と鳥くらいだよ」
そういって僕の手を引いて、道を歩き出す。ウィルドボアが何かわからないけれど、ユリウス君はどんどん前に進んでいく。きっと、本当に安全なんだろうと思う。
「なぁ、ヴァルテッリはいくつなんだ?」
林に近づいてく道の途中でユリウス君が聞く。
「十歳だよ。ユリウス君は?」
「君なんていらないよ。ユリウスでいい。同い年だからね。俺も十歳だよ」
「ん、わかった、ユリウス」
「おう!」
僕より少しだけ身長が高い男の子が笑う。僕に背を向けて進んでいるから顔は見えないけれど、楽しそうに笑っているんだろう、そう思う。
草原はすぐに終わって、林の中に入る。林には僕の体くらい太い木や、腕くらい細い木がたくさん生えていて、足元には草がたくさん生えてる。僕たちが歩いてるのは、その林を突っ切るようにしてできた道。親父たちがこんな林を切り開いて村を作ったらしいよ、そうユリウスが言う。ユリウスのお父さんは、村でクリスさんと同じように猟をして暮らしているんだ、そういってた。ただ、お母さんが昔亡くなってしまったから、畑も管理しなきゃならなくて、猟の頻度は少ないとも教えてくれたんだ。
「ヴァルテッリの親父は何をやってたんだ?」
「ん、行商だって、クリスさんは言ってた」
僕がそういうと、すまん、そうユリウスから謝られる。記憶喪失だっけ、親父がそういってたのを忘れてた、そう謝罪される。謝らないで、別に気にしてないよ、そう返す。本当は記憶喪失なんてしていないし、僕はヴァルテッリであってヴァルテッリじゃないから。
林を歩いていく。ユリウスはいろいろなことを話してくれた。この村には、同じ年齢の子はいないんだっていう。三,四歳年上の子供はあと四人いて、もっと年上の人は二人。もっと年上の二人は街に勉強しにいっているんだって。あとはいないんだって教えてくれる。そんなことを言っていたら突然、僕の近くの木の何かが当たる。カツン、そんな音が林に響くんだ。
「なっ、何?」
僕は驚いて、前を歩いていたユリウスの服を掴む。怖い、何がいるんだろう、そう思ったら何かに掴まっていないと怖くて。
「大丈夫。エドゥアルド!何の用だ!」
ユリウスは僕をかばう様に両手を広げて、目の前に伸びる道の近くに向けて声をかける。ユリウスに少し隠れるようにして、横顔を見れば、少し上を向いている。それに気づいて、ユリウスが顔を向けているほうを見てみれば、木の上に人が四人いる。皆僕よりも大きくて、2人は木に座っていて、2人は木に立っている。座ってる内の一人は石を手で遊んでいる。たぶん、さっきのは石が木に当たった音なんだろう。
「ユリウス、友達ができてよかったじゃないか」
「これで一人から卒業だな」
石を持っている男の子が言葉を投げかけて、それに合わせて四人がげらげらげらげら笑う。
「いくぞヴァルテッリ、からまないほうがいい」
その言葉を無視して、ユリウスは僕の手を引っ張って進もうとする。彼らがいる木の横を通り抜けて、まっすぐ村とは反対方向に。僕は、それについていく。四人よりも、ユリウスのほうが信頼できそうだったから。
「新入り、片親の小便垂れになんかついていかないほうがいい。お前も毎晩漏らすことになるぞ」
嘲笑と四人の笑い声が浴びせられる。ユリウスは無視して、まっすぐ林を進んでいく。ユリウスの顔は真っ赤で、きっと怒っているんだろう。だんだん笑い声は聞こえなくなっていって、つまんねーの、そんな言葉が背中に浴びせられる。歩いている自分たちの横の木に意思が当たって、カツンと音を出す。それにびっくりしながら、僕はユリウスについていく。
しばらく歩いて、彼らがいた木からは十分離れたころ、ユリウスは口を開く。
「あの石を持っていたのがエドゥアルドだ。座っていたもう一人がアキム、立っていたのがイヴァンとミハイルだ。エドゥアルドが四つ年上で、あとの三人が三つ上。ここに越してくる前からの知り合いだったらしくで、今もずっとつるんでる」
そう言うユリウスの顔は悔しそうで、きっとずっとこうやっていじられていたんだろうなって思う。同年代で固まってるから、仲間に入れてもらえない、そうユリウスは言うんだ。
「もし、おまえがエドゥアルドたちと絡みたいならそれでもいい。俺と一緒にいたらお前まで嫌われるから」
そういうユリウスは本当に辛そうで、僕は決める。
「ううん、彼らは意地悪そうだから、いやかな」
「奴らは五年も前の寝小便をいつまでも馬鹿にする。それに、俺の親父のことも馬鹿にするんだ。」
ひどい話だ、そう思う。片親なのは仕方ないし、寝小便だって五年も前なら仕方ないのに。
口を開きかけた途端、ユリウスが立ち止まる。まっすぐ道は続いているけど、そっちに歩こうとはしない。こちらを向いて、口を開く。
「なぁ、もしよかったら、俺と友達になってくれないか?」
そのユリウスの顔は真っ赤で、手が少し震えている。きっと、勇気を振り絞っているんだと思う。僕は、それに対して決めておいた答えを答えるんだ。
「喜んで!」
右手を差し出す。ロヴィを思い出して、ユリウスは信頼できるんじゃないかって思ったから。たぶん、ロヴィを思い出さなかったら、信じられなかったかもしれない。
ユリウスは、微笑んで僕の右手を握る。ありがとう、そう呟いて。そうして、僕に背を向ける。きっと、泣いていたのだろう。ユリウスの手が顔をこするように動いているのが見えから。
うん、よし、そうユリウスはつぶやく。どうしたの、そう僕は聞こうとして、それよりも前にユリウスが動く。ユリウスは左右を見渡して、そうして道を外れて林のほうに歩いていく。僕はあわてて声をかける。
「どこにいくの?」
「こっちだ。道はわかってるから大丈夫」
そういって、ユリウスは進んでいく。僕も遅れないように彼についていく。道はなくて、草を踏むようにして進んでいく。どうやってユリウスは道を覚えているんだろう、そう思いながら。
しばらく歩くと、またユリウスが立ち止まる。林が少しだけ開けていて、目の前では水が湧き出して、川になっている。ユリウスがこちらに振りむいて、笑いながら言う。
「俺の秘密基地にようこそ!」
彼がたまたま見つけたという泉の近くに腰を下ろして、ユリウスと話す。ここが彼の秘密基地で、4人には見つかってない場所らしい。泉の近くには、木の器や、太い木の枝がおいてあって、ここで遊んでいるんだろうって思う。
「ヴァル、お前はいつでもここにきていいよ」
そういってユリウスは笑う。きっと、彼は僕を信じてくれているんだと思う。今日初めてあったのに、彼は僕を信頼してくれている。きっと、同じ年齢だからかもしれない。僕が友達になったからかもしれない。
彼が僕を信じてくれるなら、僕も彼を信じてもいい、そう思うんだ。人間は怖いけれど、クリスさんとエリサさんは怖くない。同じように、ユリウスも怖くない。きっとそう思う。街にいた人間や、母上を思う。彼らは優しかった。人間は怖い、ロヴィやクラウを殺した人間はひどいと思うし、嫌い、怖い。けれど、中には優しい人たちもいる。そう思えるから。
父上、母上、僕にはお友達ができました。人間の友達です。きっと、彼は信頼できる。そう心から思うんだ。だから、僕は彼を信じる。人間の、初めての人間の友達。ユリウス、ユリウス・ライティネン。