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とある魔王の成長記  作者: 蘚鱗苔
2章 永久の友に捧ぐ、
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新たな両親


 どんなに子供を作ろうとしても、私たちの間には決して子供ができることはなかった。妻と協力して、毎日毎日盛ってみても意味はなく、占い師に祈祷してもらっても効果はなかった。精が付くというウィルドトータスを殺し、その生血を啜っても効果はなく、母体が子を作りやすくなると噂に聞く茸を採取してきて食べたとしても、何の効果は見いだせなかった。二人は別に病気がちということもなく、むしろ私たちは他より健康だ。だからこそ、何故子供ができないのかわからなかったし、理解できなかった。健康でないなら子供ができないことは理解できるが、その逆だったのだから。

 そのことで妻に当たり、妻に当たられ、夫婦仲が険悪になったことは何度もあった。互いに慰めあい、泣きあい、夫婦仲が深まったことも何度もあった。よく言えばそれは夫婦の絆を深めることに繋がったし、悪く言えば苦しみが絶えることを許さなかった。子供が欲しい、隣の家の夫婦に子供がすぐできたのを見て嫉妬し、古くからの付き合いの友の子供が育っていくのを見て歯噛みした。そうして何時の間にか時間が経っていて、もう子供なんて諦めるしかない時期になってしまった。それでも、私たち夫婦は表面上諦めていても、心の奥底では子供を渇望していた。



 第二章 少年編 ~「永久の友に捧ぐ、」~



 その日、私たちは二人山中を歩いていた。普段ならば私が一人で森の中に入り、山菜であったり茸であったり、罠にかかった獣であったりを探し、それを持ち帰っていた。山の恵みと畑の穀物と作物で生きる私たちにとって、私の仕事はとても重要だった。普段ならば妻は井戸で生活用水をくみ取り、畑に水を撒き、小川で洗濯をして過ごしていた。慎まやかな農民である私たちにとって、家事を任された妻の仕事はとても重要だった。だから二人で仲良く歩くことはなく、その日妻が気まぐれで私についていくといったのは、都合の良い奇蹟だったのだと思う。

 私は妻に注意を払いながら、普段から歩きなれた道を歩き罠へと向かっていた。山の奥深くに仕掛けた罠から順に見ていって、途中の小川で休憩をして、そこで魚を捕り、帰り道山菜を採集しながら家に帰るというのが日々の日課であった。道は三種類あり、そこを日ごとに順繰りに歩いているため、その日その道を通ったことは完全に偶然であった。


 今もその日を忘れることはない。丁度遙か東方から命からがら逃げてきた妻の親戚が結局は死んでしまった、その埋葬を終えたころだったから忘れる余地もなかった。

 その日は森が酷く静かで、足を踏み入れた途端総毛だったのを覚えている。得体のしれない寒気を感じて、それでも成果を確認しに山を登ったのだった。できれば山に登りたくなかったのだが、成果を確認しなくては次の日、その次の日の生活がかかっているのだから登らなくてはならなかった。今考えれば、そこで登ったのは正解だった。

 その日は罠のかかりが悪かったのを覚えている。いつも野兎であるとか、森狐であるとか、そういった小動物が必ずかかっていた罠はもぬけの空で、唖然とした記憶が残っている。後にも先にもあそこに何もかかっていないというのはあのとき以外存在しなかった。それを見た途端嫌な予感がして、それを拭えずに罠を見て回ったものだった。結局、休憩場所にしていた小川まで何の成果も見つけることができずに、妻にこんなはずではなかったと言いながら歩いた。落胆の色を隠せない私に妻は声を掛け、きっと小川の罠ならば魚が入っていることでしょうと告げたのをよく覚えている。どうしてもその日の記憶は鮮明なのだ。森の雰囲気がぴんと張りつめていたからでもあるし、不気味なほどに静かであったからでもある。空気が淀んでいたような気もしたし、鳥の鳴き声さえ聞こえなかったからだ。何より、小川での出会いがあるから、どうしても記憶は色あせない。

 小川までたどり着いて、倒木に腰を掛けたのを覚えている。昼食として硬くなった握り飯を齧り、それを噛んでいたのを覚えている。それを妻と共に齧って、そうして小川に歩いて行ったのを覚えている。小川には筒状の罠があり、五本あった罠には結局一尾の魚しか入っていなかった。それは私を酷く失望させる事実であったから、肩を落とした私の背中を優しく撫でた妻を覚えている。


 そうして俯いて落ち込んでいたからだろう、そうして川の前で佇んでいたからだろう、上流から流れてくる黒いそれを見つけることができたのは。私が休憩場所にしている川は、大河の上流、そこから別れた支流でしかなかったから、それがここに流れてきたのはとてつもない幸運なんだろうと思う。最初は何かの死体かと思ったものだ、山鹿か、山猿か、どちらにしても食料になるだろうか、そんなことを考えていた。ただ、それが近づいてくるにつれて、どうやら人であるということを判別できた。妻にそれを告げ、川の中に足を踏み入れた。

 深さは膝上、腿の下あたりまであり、川の流れはそこまで急ではないけれど、そこをかき分けていくのは骨が折れた。丁度川岸から川の中間までの半分程度を歩いたところで、流れ来る人はその位置を変え、私のほうに向かって下ってきたのを覚えている。そこまでおぜん立てされて、今考えれば運命としか言いようがないだろう。腰に力を入れ、流れ来るそれを両手で抑えた。衝撃に倒されそうになるが、それを堪え、人を引き摺って川岸まで戻った。妻と協力してその人を川から引き上げ、体を仰向けにしてみれば男の子だった。まだまだ小さく、年は十を迎えた頃だろうか、青年というよりも少年だった。首にはネックレスが掛かっており、両手首にはブレスレットを着けていて、腰にはナイフを括り付けていたのを覚えている。一目見ただけで、村の子供でないことは想像がついた。元より上流に村があるわけがないが、装飾品を見る限り裕福な家庭で育ったことは一目瞭然だった。

 息は、まだあった。川を流れていたというのに、うつ伏せで流れてきていたというのに、不思議とまだ生きていた。うつ伏せになったのは見つける間際だったのかもしれなかった。どちらにしても、体中傷だらけ、意識はなく目を閉じている状態だった。何があったかわからないが、それでも私たちは見捨てることができなかった。子供はもう作るに作れなくなった年頃とはいえ、四十を過ぎ五十にまだなっていないころだったので、子供一人を背負うことは別段大きな問題ではなかった。


「よっと、せっと」


 意識が無い故に重く、身体が重いことからもこの子がしっかりとした場所で育ったことは伺える。それを妻と話しながら、抱えた濡れ子の様子を気にしながら山を下りていく。どうせ他の罠もすっからかんだろう、一尾しかそれまで成果がなくては、そう考えるのも当然のことだったし、恐らくそれは間違っていなかった。後日罠を見た限りでは、そこには何日か前の死骸が転がっているなんてことはなかったからだ。

 背中から水が染み込んでいく、びっしょり濡れている子供は、体温が低く危険な状態だろう。息はあるが、弱弱しい。妻は心配そうにその子供を見つめていた。



 家までたどり着けば、木でできた小さな家の戸を開ける。囲炉裏を囲むようにして敷かれた木の板の上に子供を寝かせ、服を着替えさせていく。腰に括り付けられたナイフを取り外し、濡れた体を布で拭っていく。私たちは、未だ目を覚まさぬ子供を心配しながらも、その実あの状況を楽しんでいた。私たちは今まであんなことをしたことがなかったのだから、子供の体を拭ってやるなんてことは。故に、妻はひとしきり拭った後は彼が目が覚めた時の為に粥を作り始めた。私たちは豪勢な暮らしをできるほど豊かではないし、どちらかというと貧乏だ。けれど、それでも粥を作ってやるくらいのことはできた。むしろ、してあげたかった。それだけ私たちは子供の世話というものを渇望していた。

 囲炉裏の炭が音を立て、粥が出来上がってきたころ。そうだ、粥の匂いが家を包み、少しばかり自分たちの腹も音を立てようとしてきたころだった。子供は呻き声と共に目を覚ました。


「大丈夫か、大丈夫か?」

「何か、身体が痛いところはないか?」


 妻は子供に飛びついて、体をゆっくりと抱き起した。子供は薄目を開けて、そして妻に抱きついた。その光景に少しばかり嫉妬したのを覚えている、妻がまるで自分の子供を抱いているようで、夢にまで見た光景と重なって見えたような気がしたのだ。子供はうすぼんやりとした顔で、妻に抱き着き、しくしくと涙を流し始めた。妻は一瞬ぎょっとした顔をしながらも、子供の頭をゆっくり撫でてやり、声を掛けたのだった。恐らくはずっと考えていたのだろう、その姿は様になっていて、私も混ざりたくなった。ただ、子供は妻の体を両の腕で抱きしめており、私にできたのは粥を茶碗によそうだけだった。

 それを子供の近くまで持っていった。子供はふとこちらを見て、粥を見つめて、私の目を見た。酷く濁っていて、絶望に染まりきっていた。私は、その眼を一度見たことがあった。あの時のあの目は全く同じだった、丁度用があっていった隣村に居た、流行病で妻と子供を亡くした男のそれと同じだった。故に、私は酷く不安になって、匙を使って粥を掬い、その子の口元まで持っていった。


「粥だ、食えるか?何か食え、身体が酷く冷えている」


 子供は匙を見て、それをぱくりと咥えたのだった。その時私は、言葉が通じてよかった、と感じたものだった。山の上のほう、川の上流から流れてきたのだから、その子供が普通の人間ではないだろうということが想像ついたからだった。村の子供が遊んで川に落ちたのでは、装飾品が豪華すぎる。大人ではない。故に、私はその時二通りの予想をつけていた。まずは、彼がどこかの国の貴族もしくはそれ以上の子供で、山狩りにきたときに川に転落したという可能性。次に、山の上のほうに住むと伝え聞く“人ならず”の子供だという可能性。

 前者にしろ後者にしろ、子供を解放することは厄介事を抱え込む結果になることは自明の理だった。前者ならば貴族なりなんなりと一悶着起こすことになり、村では到底対処できないことは目に見えていた。後者ならば、国に処罰されてしまうことは確実だった。私たちが“人ならず”と関わりを持つことは禁じられていたからだ。ただ、貴族が山狩りに来たにしては服が貧層であったし、“人ならず”であるとしたならばその証拠である角や翼、牙や尻尾などは見受けられなかった。そこらへんにいるような、ごく普通の子供にしか見えなかった、只一つ、その目を除いて。

 ただ、どれにしても、私には、いや、断言できるが、私たちには彼を見捨てるという選択肢はなかった。それは、妻に縋る彼を見たからでもあり、絶望に染まった彼の瞳を覗いたからでもあり、私たちに子供がいなかったからでもあった。言葉を発することなく、私の手で口元へと運ばれる粥をただただ食す子供。妻に抱き縋り、涙を流す子供。まるで乳幼児のような、弱弱しい姿を見て、庇護欲が掻き立てられたのだった。


 だから、粥を食べ終わった子供がまた目蓋を閉じた後に妻と相談した。この子供をどうするべきか、当然話を聞くとしても、そのあとどうするべきかを。ただ、庇護欲を掻き立てられたのは予想通り妻もだった。

 そして決断した、私たちは彼を育てることを。今にも折れてしまいそうな弱り切った彼を保護することを。それは私たちの欲望の代替品という醜い理由からだったかもしれない。ただしかし、私たちは彼が巣立った今でも決して後悔していない。彼をあの時育てようと思ってよかったと、彼をあの時保護してよかったと。私たちは彼に持てる限りの愛情を与えた、彼は私たちに喜びを与えてくれた。

 彼はそれに値する子供だった、今まで見てきたどんな子供よりも大きな可能性を秘めていた。これは親馬鹿な話かもしれないが、彼は大成することだろう。いや、これは予測とか、予感とかそんな大きなものではない。確実に起こることを知っている、いわば予知と言ったほうが正しいだろう。彼は大きくなる、それこそ人の上に立つような。楽しみだ、彼はこれからどう進んでいくのだろう。


 私たちが一生感じることはないと諦めていた感情を与えてくれた彼に感謝している。

 私たちは二度と感じることはないと諦めていた感情を与えられただろうか?

 彼はどんな顔をして、どれだけ逞しくなって帰ってきてくれるだろうか?

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