たまには真面目に。
最近読み終えた本の一つに、『本を読む本』という書籍がある。講談社学術文庫から出ているもので、元々は1940年にアメリカで出版されたものらしい。詳しいデータは検索すればすぐに出てくるので、ここではあまり触れない。
この本の内容はタイトルからも一目瞭然ではあるけれど、「本に書かれている内容をより理解するための方法」について書かれていると理解した。
では、そのためにどうすれば良いかということになると、踏み込めということだろうか。本文の中には「積極的な読書」という言葉が何度も使用されている。より良い理解、学びのためには、キーセンテンスやキーワード、構造の把握、言葉の意味を厳密に捉えることが必要だということだ。
以上を実行するために色々な方法があるだろうが、一通り自分で考えた後に視点を著者に移してみると考えが深まりやすい。(誤解がないように書いておくと、これはあくまで私の考え。)著者の立場で考えてみると、その意図や構成を自然と考えることになる。さらに自分ならどう書くかということを考えていくと、内容や狙いへの正確な理解が必要となってくる。ただ、これは読書に限ったことではないようにも思える。
例えば、どんなものでもいいから広告を思い浮かべてみよう。広告には様々な情報が表現されている。もし目立つ位置にコピーがあるのであれば、それが打ち出したい、知らせたい内容だということだろう。ではなぜそのコピーを選んだのか、フォントは、色は、配置はどうなっているのか。写真であれば構図はどうか、写真から受け取るイメージはどうなのか、写真を通してどのような印象を与えたいのか。そういうことを考えていくと、広告に表現された商品についての理解は深まるし、自分が何らかの商品をアピールしたいときの参考にもなる。
何事にも狙いがあり構成があることを思えば、『本を読む本』は読書に限った内容ではないだろう。考え方を深める助けをしてくれる良書だと言える。
ここに書いたことは主に「精読」という印象を持つ内容についてだが、内容ではいわゆる速読についても触れている。「読書法」や「読書論」なんてものがいつから存在していて、どのような変遷を辿っているのか私は知らないが、現代のそれと根本的には変わらない。
一度通して読み、その後全体を見直してみたが、まだ色々と学ぶことができる気がする。七十年前に書かれ、世界中で翻訳されているのは伊達ではない。目新しさはないかもしれないが、古さも全くない。しっかりとした基礎を考えさせてくれるので、興味があれば一度読んでみてほしい。