夢見
夢を見た。懐かしい人が出てくる夢だった。
懐かしいなんて表現するだけあって、その人とはもう交流がない。ただ、夢に見た感情はとてもいい感情で、ああ、自分はあの人が好きだったなと思わせるには十分だった。
時は流れて、色々なものが移り変わっていく。それを認識するとき、僕はいつも一人取り残されたような気持ちになる。
客観的に見たら、自分だってひとところに留まっているわけじゃない。住む場所が変わったり、仕事が変わったり、表面的なことは随分変わっていっている。
それでも、自分の中に変わっていない何かを見つけると、卑怯にも自分だけが取り残されたような気持ちがする。
それは未練とか執着とか、もしかしたら妄執とでも言うべき消えたはずの心の残り滓で、そこから残り香が漂って先日のような夢を見せたのかもしれない。
ぼんやりとした大人像はいまや粉々に砕け散って、夢の世界に遊ぶことを現実にぐいぐい引っ張り込み、子供の頃とは違う遊び方を覚えた。
純粋な尊敬と同時に打算や見くびり、上から目線の軽薄な視線を持って、それを持つことによって初めて、自分を同じフィールドに持ち上げたいという子供のような浅慮。
難しい言葉を用いることによって、ただの寂しさを何か高尚なもののにように見せたいというちっぽけな気分。ここまでくるともはや自分でも何が書かれているのか理解できない。
ただ単に、「最近は充実してるよ」なんて今までろくに使ったことのない台詞を吐いた自分に、「お前はなんにも変わっちゃいないよ」ともう一人の自分が発したメッセージに我に還る。
楽しいことは沢山あり、仕事とそれに埋もれて暮らす毎日に、「そんなのはお前らしくないよ」と尖った釘を打ち込むのもやはりまた自分。
楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい
繰り返しは文章において簡単かつインパクトの強い技法。基本的にはネガティブな言葉を連ねるのをよく見るが、なんだ、ポジティブな言葉を連ねてみても充分過ぎるくらいにどす黒い感情が伝わってくるじゃないか。呪詛のように楽しいと繰り返すだけで楽しくはならない。
せっかく今まで多少は甘味のありそうな音楽の話をしてきたのに、今回は一転して不気味な『夢一夜』になってしまった。
だからと言って、『夢十夜』を語れるほど記憶は確かじゃないので悪しからず。
次はまた好きなものについて書こう。