攻略キャラが毎日温室へやってくるのですが
昔から平凡からやや下辺りの人生だった。学校ではいじめられることもなく、かといって目立つようなグループに属する訳でも無く、同じようにひっそりと生きている友達数人と緩やかな集まりを形成して修学旅行やら体育祭、文化祭の行事の班分けをなんとかやり過ごしていた。そうして大人になっても変わらず、誰もの人生にとってモブと言えるような立場で生きていた――そんな前世を思い出したのは十歳になった頃だった。
そして、それと同時にこの世界は昔プレイしたことのある乙女ゲームの世界だということも思い出した。西洋ファンタジーをベースに作られているゲームは、ヒロインが伯爵家の父の元へ引き取られ、数多の攻略キャラクターが在籍するルミエール学園に入学するところから始まる学園物の乙女ゲームだった。入学前までは庶民の生活を送っていたヒロインが急に貴族社会の中へ放り込まれて、それでも懸命に頑張っている彼女に攻略対象たちは心を惹かれていく、というシンデレラストーリーだ。
問題は、名前のある悪役キャラクターはヒロインの継母と継姉のみであり、私の今の身分は子爵家の次女ということからヒロインの家には全く関係ないのだが――彼女が学園に来るとモブの女子生徒による彼女への嫌がらせが行われる、という描写があるのだ。
女子生徒達からの嫌がらせを乗り越える度に攻略対象との絆が深まり、好感度パラメーターが上がる仕様だった。
つまり、暫定ではあるが私は名も無きモブ悪役となってしまう未来が待っていると言うことで、そこまで気がついた幼い私は熱を出して数日寝込んだ。
もちろん私はヒロインに対して嫌悪感など抱いていないし、嫌がらせなんて頼まれた所でできっこないような性格だが、ゲームの世界と同じなら何があったって不思議じゃないのだから警戒するに越したことはない。
とにかく本番は学園に通い始めてからだ。幼い私は残された猶予期間にできる限り情報を集めた。ヒロインのことはわからないが、攻略対象の情報なら入手できたからだ。自分と同学年になる攻略対象はヒロインの一つ上の先輩に当たることがわかり、つまり学園生活二年目にヒロインがやってくるということだ。
同じ学年で無ければ接点はほぼないし、そこまで警戒する必要もないのかも、と高をくくっていた。
だけど、ヒロイン入学から一ヶ月も経たないうちに学園内の空気が変わっているのを感じている。
攻略対象のうち一人と幼なじみであった令嬢が、ヒロインの頬を叩いて幼なじみから絶縁をされたとか、ヒロインの教科書を学園内の噴水に捨てた令嬢が退学になったりだとか……とにかく学年関係なく広く彼女の名は知られている。
突然貴族となった故に基礎的なマナーもなっていないようなヒロインが、地位が高く学園内でも特に人気の高い攻略対象たちにちやほやされる様子は、由緒正しく育ってきた令嬢たちの目に異様な光景にしか見えない。だからと言って私を含め、全員が彼女に嫉妬しているわけじゃないのだが、退学処分を食らった令嬢の一人が言うには、ただ食堂でぶつかっただけなのに、ヒロインのトレーをわざとひっくり返したという話になってしまったらしい。
真偽のほどはわからないが、しかし私は彼女は正しい主張をしていたんだろうと考えている。
だって、今現在私の目の前に居るヒロインは曲がり角で少しぶつかっただけで尻餅をつき、挙げ句の果てにヒロインには万物を吸い寄せる引力でもあるのか、私が持っていたじょうろの水を頭から被ってしまったのだから。 お互い事情が飲み込めずにぽかんと口を開けていたのは数秒。
そして、ヒロインはその大きな瞳を潤ませ始めた。ぶつかったのは痛かったかもしれない、尻餅をついたのも痛かったかもしれない。突然水を被ったからびっくりしたかもしれない。でも、泣きたいのはこちらである。
しかし、私の瞳には一向に涙がにじまない。このままただ呆然と突っ立って居ては退学した令嬢と同じく一方的にいじめたと断定されて退学になってしまう。それだけは何としても避けなくてはいけない。
「だ、大丈夫ですか!?」
とにかく尻餅をついたヒロインの傍に膝をつくと、何か拭ける物をと制服のポケットに手を突っ込み、指先に触れた布を取り出すと頭から水を被ってびしょ濡れの彼女の頬を拭いた。
「わっ、ぶっ……」
とにかく拭かなきゃという一心でヒロインの顔をひとしきり拭いて手を止めると、彼女の可愛らしい顔が泥だらけになっていた。
「あ」
私がポケットから取り出したのはハンカチではなく、花の世話に使っていた土だらけの手袋だったのだ。再び目が合ったヒロインは大きな瞳がぐらぐら揺れるほど涙を溜めている。
どうしようと狼狽えているところに、後ろから足音が聞こえ私は反射的に振り返った。
見上げた先には男子制服を軍服のようにアレンジした銀髪の男子生徒が立っていた。
鋭い眼光が私を突き刺した瞬間、背筋に悪寒が走る。攻略対象の一人であり、侯爵家の嫡男であるアルヴェイン・ローゼンだ。
彼は攻略対象の中でも特にストイックなキャラクターとして描かれていたが、それは私にとってゲームの世界から現実の世界となった今でも変わらない。更に言うなら、ヒロインの教科書を水浸しにした生徒を捜し当て、学園側に通告したのは彼だ。
「何をしている」
疑問形なのに語尾の上がらない声はまるで詰問しているかのように冷たい。
「あ、あの」
ぶつかった拍子に水をかけてしまったのだと、ただ状況を説明すればいい。勿論不注意は咎められるだろうが退学になるよりマシである。
とにかく今黙ったままは良くない、と判断して口を開いた私だったが、目の前に座ったまま呆然としていたはずのヒロインが急に立ち上がった勢いで今度は私が地面に尻餅をついてしまった。
「アルヴェイン様!」
可愛らしい声に釣られるように視線を向けると、ヒロインがアルヴェインに駆け寄っている。
「ミュリエル」
そう言えばそんなデフォルト名だった。傍に来たヒロインの肩を掴んだアルヴェインが目を丸くした。
「随分酷い格好だが、何があった?」
「あの……それが何がなんだか」
不安げに振り返ったヒロインは目が合うと怯えた顔でアルヴェインの方に視線を戻した。
「とにかく、そのままでは風邪を引いてしまう。着替えを手配するから来い」
小さく頷いたヒロイン越しに、アルヴェインが私を睨み付ける。
「フェルナー、君には後で話を聞かせて貰う」
その一言で一気に血の気が引いていくのがわかる。逃げられると思うな、と釘を刺された。
頷くこともできずにただ去って行く二人の背中を呆然と見送った。
終わった――私も退学させられるんだ。
とにかくこのままでいたってどうしようもない。最後になるならきちんと花の世話をしたい。のろのろと立ち上がり、床に転がったままのじょうろを拾い上げる。
結局、その日中にアルヴェインは戻ってこなかった。翌日の朝一呼び出しでもされるかと思ってびくびくしながら登校したけれど、校門で軍の人やら教師やらに囲まれるみたいなイベントも発生せず、放課後になった。
もしかして、昨日のイベントでヒロインとの関係が深まって私の事なんてどうでも良くなったとか? いいや、そんなはずは無い。アルヴェインの性格的に例え恋人としてヒロインとイチャついていても、学園内の秩序を守ることだけは怠らないはずだ。
とにかくまだ何も連絡が無いならいつも通りに温室で花の世話をしよう。帰り支度を済ませて教室を後にした私は手入れの行き届いた庭園を奥へと進み小さな温室へと向かう。
ここは私が唯一落ち着ける秘密の場所だ。手前の庭園までは生徒が来ることもあるけれど、この温室は生け垣の奥に隠れるように建っているから秘密基地みたいになっている。
花壇に植え替えるまでに植物を育てる場所として使っているのだが、入学後庭師さんと仲良くなってからここの管理を任せて貰っている。
前世で唯一私が誇れる物は花の知識だった。とは言え頭が良いわけでもないから植物学者になることはできなかったのだが、一人暮らしをしていた家では小さなベランダで色々な花を育てていた。私が死んでしまって、あの花たちは枯れてしまったんだろうか。
じょうろを手に取ると水を汲みに行くため温室の外へ出た。
「こんな所にいたのか」
急に声をかけられてびっくりしてじょうろを落としかけた。
「あ、あの、ローゼン、様……ごきげんよう」
突然現れたアルヴェインにどう反応して良いのかわからず、空気の読めない挨拶をしてしまった。だって眉間に皺を寄せている彼はどう見たってご機嫌じゃないし。
「昨日の件で聞きたいことがある」
「は……はい」
震える手でじょうろをぎゅっと握る。とにかく今は落ち着くこと、事実をしっかり伝えること、それが第一だ。
「それは、昨日ミュリエルに水をかけたときに使った物か? 証拠の隠滅でもしようとしていたのか?」
「いえ、違います! あの、私はこの奥の温室で花の世話をしていて……その、いつも放課後には水をあげていて」
「君が? なんのために」
アルヴェインが訝しむのも無理はない。だって、この世界で貴族の令嬢は自ら花の世話をしたりなんかしない。野菜を育てるんじゃなく、花を育てることもしない。そんなのは庭師の仕事だと今の両親や兄にも姉にも言われた。
「あの、花が……好きなので」
「君の好みは聞いていないが」
私だってそんな話をしているわけじゃない。
「えっと、花を育てるのが好きなのですが、家ではできないので……学園でお手伝いを。だから、じょうろを持っていて、昨日は水を汲んで温室に行くところで彼女にぶつかってしまったんです」
「そうか。では泥は? ミュリエルの顔に泥を塗りたくったのは何故だ」
「あれは――その、お恥ずかしながら気が動転していまして、水を拭き取ろうとハンカチを取り出したつもりが、世話に使っている手袋をポケットに入れたままだったので」
「その手袋はどこに?」
「今は温室の中にあります」
「案内しろ」
え、と視線をあげると、アルヴェインは腕を組んだままじっと待っている。自分の無罪を勝ち取るためだとしても、誰かを温室に入れるのは気が進まない。ああ、でも退学なんて絶対嫌。
「わ、わかりました。こちらへ」
踵を返すとすぐ後ろから足音が続く。扉を開けてアルヴェインを招き入れ、すぐそばに干しておいた手袋を取ると差し出した。
「こちらです」
証拠として没収されるのかと思ったが、アルヴェインは黙り込んだまま土汚れが染みついた手袋をじっと見つめている。まさか、土のついた物なんて触れたくないとか?
「あの」
「本当に君がここを整備しているのか?」
「はあ……庭師さんに教えていただきながら、ですが」
「そうか。ではいつも通りの手順を見せてくれ」
「て、手順ですか?」
「ここでいつもしていることをやってくれ」
「はあ」
何を言い出すのかと思えば、どういうつもりだろう。でも今拒否すれば有無を言わさず退学させられるかもしれない。
「では、あの水を汲んできますので」
差し出したままだった手袋をポケットにしまうと、再びじょうろを手に取って温室の外へ向かった。黙ったままアルヴェインはついてくる。
水を汲んで温室に戻って、花の様子を確認しながら水をやって、雑草が生えていれば取り除いたり、枯れた葉を剪定する。
その間、私を後ろから監視する彼は黙ったままだった。一時間ほど経った頃、ようやくアルヴェインが口を開いた。
「では、俺はこれで失礼する」
「え、あ……はい」
唖然としている間にアルヴェインが温室の扉をくぐって出て行ってしまった。
他の令嬢達と同じように退学を言い渡されると思ったのに……助かった、んだろうか。
翌日、放課後までを平穏に過ごした私は温室へ向かい、扉をくぐったところで先客と鉢合わせ、鞄を落とした。
「アル……ローゼン様」
まずい、キャラクター名としてずっと心の中では呼び捨てだったからうっかり口が滑るところだった。当の本人は呼び捨てにされかけたことを気付いているのかわからないが、今日も眉間の皺は深く刻まれている。
「フェルナー、先日のミュリエルへ水を浴びせた件だが――」
アルヴェインが懐から折り畳まれた紙を取り出した。まさか、退学通知書とかだろうか。
「あのっ!」
焦った私は今できる精一杯として頭を深く下げた。
「私の不注意であったことは理解しています。申し訳ないと思っています。ただ、どうか退学だけは……!」
「フェルナー、顔を上げろ」
「で、でも……退学は」
「退学じゃ無い。いいから俺の話を聞け」
退学じゃ無い? 本当に?
恐る恐る顔を上げるとアルヴェインと目が合った。眉間の皺が減っていて、少し困ったような顔をしている。
「まず、君の事を庭師達にも聞き、君の証言と食い違いない事を確認した。君がここの手入れを日々行っていたのも偽りないことを俺の目で確認している。君の主張通り、ミュリエルとぶつかったのは故意では無く事故であり、彼女が水を被ったのも彼女の不運故であると推察される。だから、君は退学にならない」
「え、あ……ありがとうございます」
「ただし」
アルヴェインが手にしてた紙を広げてこちらに寄越す。その書面には庭園の水道施設整備についての提案と書かれている。
「君がミュリエルに水をかけたのは不慮の事故とは言え事実だ。今後同じような事故を防ぐための改善案としてじょうろに水を汲まなくても良いように水を温室の方まで引くべきだ」
「そ、それは」
それは本当に有り難い。水汲みの往復は結構重労働だったからだ。
「工事期間が決まり次第通達する。他に質問は?」
「あの……ありがとうございます」
「学園の運営上改善するべき事だと思ったからだ。感謝の必要は無い」
「それでも、ただ事故の調査するだけではなく、設備の改善まで考えていただけたのですから、感謝は伝えさせてください」
「……受け取ろう。では俺はこれで失礼する」
「は、はい」
入れ替わりに温室を出て行ったアルヴェインを見送り、私はようやく肺一杯に息を吸いこんで吐き出した。
よかった。この世界での私の役目はもう終わった様なものだ。ヒロインとアルヴェインのイベントの一つとして消化済みのモブ生徒として、あとは卒業まで大人しく過ごしてまたヒロインと出会わないように注意していればいい。
そう思っていたのに――その翌週またアルヴェインが温室にやってきた。
「工事期間の知らせだ」
「あ、ありがとうございます。で、でもわざわざローゼン様がいらっしゃらなくてもどなたかに言付けていただければ……」
「俺が来ると都合が悪いのか?」
「いえ、そんなことはありませんが。生徒会運営でお忙しいでしょう?」
「こなせない仕事量ではない」
そうかな……ゲーム内でアルヴェインは名ばかり生徒会長である第一王子の分まで仕事をしていた。その彼に寄り添い癒やしたヒロインに恋をする、という展開だった。
今二人がどこまで進展しているのかは知らないが、ヒロインが居たところで処理しなくてはいけない仕事量に変わりは無いのだ。
必要事項だけ通達して帰って行く背中を見送る。
その翌週には工事が始まり、すぐに終わった。
水を汲みに行かなくなってよくなったお蔭で、今まで以上に効率よく温室の手入れができている。
攻略対象と必要以上に関わることは避けたいが、しかしアルヴェインにお礼の手紙ぐらい送ろうか……そう考えていたら本人がやってきた。
「えーっと、何かご用でも?」
「俺の提案で工事したのだから見に来るのは当たり前だろう」
「はあ」
しょうがなく招き入れると、ひとしきり設備の確認をする。お礼の手紙を書く手間が省けて良かったじゃない、と思うものの、アルヴェインがいることでヒロインがやってくるんじゃないかとヒヤヒヤする。
「使い心地はどうだ」
「えっと、問題ないです」
「そうか」
頷くアルヴェインの顔には安堵より疲労が色濃く刻まれている様な気がした。
「あの、お礼となるかはわかりませんがお茶はいかがでしょう? すぐに準備しますよ」
「君が淹れるのか?」
「ええ、ここで育てたハーブでお茶を作っているんです」
「……いただこう」
訝しみながらも頷いたアルヴェインを奥にあるテーブルへと案内する。かつて庭園で使われていて古くなってしまったガーデンチェアに腰掛ける姿は様になっている。 お湯を沸かして、ティーポットにローズマリーやレモングラスをブレンドした茶葉を入れる。
なんだか後ろから視線を感じるような気もするが……振り返ったら間違えて自分の手にお湯をかけてしまいそうなので耐える。
抽出を終えたハーブティーをティーカップに注ぎ慎重にアルヴェインの元へ運ぶ。侯爵家嫡男に熱い茶を浴びせたなんてことになれば即退学だってあり得る。
テーブルにソーサーを置くとようやく息を吐き出せた。
「お口に合うかわかりませんが、どうぞ」
一歩下がってそう言うと、アルヴェインは視線を私からテーブルへと移し、少しの間ティーカップの水面を見つめた。
「ど、毒とかは入ってないですよ!?」
「疑っている訳じゃない。冷めてはいけないからいただこう」
「はい、どうぞ」
もう一度促すとティーカップを持ち上げ一口飲み込んだ。
「……美味いな」
「ありがとうございます。私も疲れたときには良く飲むんです」
前世で仕事に追われ日々の食事もおろそかになっていた時でも、お茶を飲むだけで心と胃が温かくなって、少しだけ食欲も戻ったのだ。
「だが、君は従者じゃない。次からは君の分も淹れてくれ。でなければ俺が君を小間使いにしている様になるだろう」
「は……はい?」
次って言った……?
私としてはこれきりのつもりだったのだけれど。
「必要ならば俺がティーセットを準備するが」
「い、いえ! そこまでしていただかなくて大丈夫です!」
勢いよく首を横に振るとアルヴェインは眉間に皺を一つ増やして、それから残りのお茶を飲み干して席を立った。
「では、今日は失礼する」
「はあ……」
去って行くアルヴェインを見送り、テーブルの上に残されたティーカップを見つめる。
次って、社交辞令の可能性だってあるよね。
その二日後、アルヴェインはまた温室にやってきた。無料のカフェとして目をつけられたのだろうか。でも水道を作って貰ったのと、ヒロインとの件を公正に調査してくれたことは返せないぐらいの恩ではあるので、わたしはやってきたアルヴェインにお茶を淹れようと、手袋を外した。
「手入れを終えてからで良い。力仕事が必要なら声をかけるように」
「は、はあ……」
腑に落ちないながらも頷いた私に、視線で元の作業に戻るよう促してくる。渋々その視線の通りに花たちの手入れを進めていく。
「その花は何と言うんだ?」
「えっと、こちらはカンパニュラと言います。そろそろ見頃なのでもうすぐ庭園の方に植え替えられるみたいですよ」
「そうか。今までも君が世話した花が庭園を飾っていたんだな」
知らなかった、と言うアルヴェインの声はいつもより少し柔らかい気がした。
「その隣は?」
「――それはリナリアと言います」
「君の名前と同じ花か」
家名を覚えているだけじゃなく、名前まで把握しているのか。少し恥ずかしい。
「私が花の名前をつけられているんです。あの、すぐに終わらせますから」
「急がなくて良い。少し、この中を見て回ってもいいだろうか」
「ええ、どうぞ」
後ろで見られていると監視されているみたいで緊張するし。
温室を歩くアルヴェインを花たちの茎に隠れるようにして盗み見る。もしかして、ヒロインが花に興味があるから学ぼうとしているんだろうか。
誰のルートであれ、他の攻略対象達もヒロインへの初期好感度は高かったはずだ。であれば一見堅物キャラであるアルヴェインが影では彼女の話を理解するために努力をしていた、なんて事もあるのかもしれない。
もしそんな努力の一面が見れているのなら、アルヴェインに対するイメージが少し変わりそうだ。
一通りの手入れを終えて立ち上がると、お茶の準備をした。念のためティーカップを増やしておいてよかった。 先日と同じブレンドハーブティーを淹れたところで、アルヴェインがやってきた。
「俺が運ぼう」
「え、あ……ありがとうございます」
たった数メートルの距離ではあるが、この前のように地上で綱渡りをしているかのような慎重さでティーカップを運ぶのはあまりやりたくない。
アルヴェインが自ら運んでくれるなら私が転んで彼にお茶を浴びせるリスクもないし。
向かい合う場所にティーカップを置いたアルヴェインが、さっさと片方に座り私の方を見る。
本当に一緒にお茶なんてしていいんだろうか、と躊躇いはあるが腹をくくって彼の向かいに座った。
「あの、ミュリエル様とは……最近どうですか?」
「なぜ彼女の事を気にする?」
「他意はないんですけれど、学園中彼女の話題で持ちきりですから、ローゼン様も大変かなと思って」
おずおずと視線を向ければ、アルヴェインはティーカップに口をつけ一口飲み込んでから口を開いた。
「まあ――大変ではあるな。何せ殿下が彼女のためにと色々動かれているから、俺が気にしない訳にもいくまい」
「なるほど」
「彼女は自由に動きすぎるところがある上に、殿下もおおらかすぎる」
「それでお疲れなんですね」
確かに第一王子とヒロインの組み合わせはかなり自由で、何というか言葉を選ばずに言えば楽天的すぎる感じだった。
突然ピクニックに行ったり、街を歩いたり、プレイヤーとしてのイベントでは楽しかったけれど護衛するアルヴェインとしては困った行動に違いない。
「あの、私にできることは無いと思いますが……えーっと程々に休んでくださいね」
「今休んでいるから問題ない」
「そ、そうですか」
ここは私だけの隠れ家だったのだけれど……でもアルヴェインも疲れているみたいだし共有するぐらいはいいか。
それからアルヴェインは温室に通う様になった。最初は二日おき、夏が近づく頃には毎日やってきた。
温室の奥で何やら書類を読んでいる事もあるが、暇なときには私の後ろで作業を見守ったり、肥料や土を運ぶのを手伝ってくれたりしている。
お茶をするときには第一王子に困らされている話から、お互いの日々の過ごし方まで、普通に友人の様な感じである。最初は緊張が残っていた私も、少しずつ彼がいる温室に慣れ始めている。
「リナリアは夏休みを実家で過ごすのか?」
いつの間にか名前呼びに変わっていたのだが、これは少し慣れない。
「ええ、その予定です。寮には留まれませんから」
この学園では遠方から通う生徒は寮生活を送ることになっている。辺境の子爵家である私の実家から通うには遠すぎるので私は寮で過ごしているのだが、夏休みはみんな実家に帰るのが慣習だ。管理者もいなくなるし、しょうがない。
「帰りたくない様な口ぶりだな」
「いえ、そんなことは……」
じっと訴えかけるようなアルヴェインの視線に負けて頷く。
「ええ、と。まあ、居心地の良い場所ではないので。私は期待されていない娘ですから」
「君は、退学になりたくないと言っていたが家の事と関係があるのか?」
「そう、ですね」
この世界で、国の貴族の大半が集まる学園はいわば社交界そのものである。ここで築いた人間関係がそのまま将来の社交界での立場になる。
兄や姉は子爵家としてそこそこ有益な人間関係を築き、卒業後もそつなくそれぞれの役目をこなしている。
でも私はどうしても人付き合いが苦手で友人も少ない。その上この国の重鎮になるであろう攻略対象達が熱を上げるヒロインをいじめたと言われ退学になったなら、出来損ないの次女なんてどんな扱いをされるかわかったもんじゃない。家から追い出されたら、まともな職に就けずにそのまま死んでしまうかも。
だから、私はヒロインに関わらないように過ごしていたのだ。
「君さえ良ければ夏休みのうち何日か我が家に滞在するか?」
「え!?」
突拍子も無い話に驚いてティーカップを落としそうになった。
アルヴェインの家は代々軍の中枢を担っていて、王城の近くであり、この学園の近くに屋敷がある。
「家からなら学園まですぐに来れるし、温室の世話をすることができる」
それはとても魅力的な話だが……夏休みなんてヒロインとの距離を近づけるチャンスでもあるのだし私がお邪魔する訳にはいかない。
「有り難いお話しですが、私も少しは家に貢献できるように頑張るので、お気持ちだけで大丈夫です」
「――そうか」
苦い顔でアルヴェインがティーカップに口をつける。よかれと思った申し出を断られて彼のプライドが傷ついたとか……いやそれは困る。
「困ったことがあればすぐに連絡するように」
「ありがとうございます」
良かった、機嫌を損ねた訳ではなさそうだ。
そんな事があって、瞬く間に夏休みがやってきた。温室の事は学園の庭師に必要事項を引き継ぎして、家へ帰った。
家で過ごす日々は楽しい事なんてないけれど、将来に向けた勉強と姉と一緒にお茶会に参加したりして過ごした。
部屋の窓から夏の花々が植えられている家の庭を見る。小さいながらにも丁寧に整えられた庭は、今までなら私の心を癒やしてくれていた。
なのに、今年は何故か違う。学園のあの温室に行きたいと思ってしまう。花たちの手入れをして、ハーブティーを飲んで、向かいにはアルヴェインが座っている。
そんな光景ばかり思い出してしまう。
結局夏の間アルヴェインに連絡することはなかった。
夏休みが終わり、学園に戻った私はまた日常を取り戻した。変な話だが、初日に温室でアルヴェインと顔を合わせるとほっとしたのだった。
「元気だったか」
「はい。ローゼン様は夏の間いかがでしたか?」
「特に何もなかった」
珍しくため息を吐いて肩を落とした様子に首を傾げる。むしろ何かあったような雰囲気だ。
お茶を淹れて当たり前の様に向かい合って座る。久しぶりのハーブティーを一口飲んだところでアルヴェインが口を開いた。
「リナリア、君は花束を貰うとしたらどんな花が良い?」
「え……そうですね」
花束なんて貰ったことはない。アルヴェインの顔を見ると、真剣な眼差しだった。
もしかして、ヒロインに想いを告げる予定とか? それなら、私が好きな花よりもヒロインがぐっとくるような花がいいだろう。
「ローゼン様から貰うなら、バラをメインにした花束とかでしょうか」
「バラを?」
「ええ、ローゼン様の紋章にもバラがあしらわれているのでぴったりかと」
「君の家は?」
「我が家の紋章は特に植物を使っていないので参考にはならないですね」
「ならリナリアの花を使うのはどうだろうか」
真っ直ぐな視線から目をそらしてティーカップを見つめる。なんでだかわからないけれど、今は見たくなかった。
「あの、リナリアの花は夏の少し前が開花時期なので今用意するのは難しいです。それに、花束には向きませんから……」
「そうか」
ほんの少しだけ嘘をついた。温室を使えばすぐにでは無いが季節外れの花を咲かせることだってできるのだから。でも自分の名前と同じ花をヒロインにプレゼントされるのはちょっと、嫌だと思ってしまった。
「バラに合わせる花のご相談ならいつでも承りますよ」
「ああ」
なんだか変な空気になってしまった。アルヴェインは私が嘘をついた事を気付いているんだろうか。
それからの毎日は本当に何も変わらなかった。いつも通りにやってくるアルヴェインと、花の世話をしてお茶をして。
もうヒロインに花束を渡したりしたんだろうか、と気になったけれど聞くことはできなかった。
風に冬の気配が現れ始めた秋の終わり、温室にやってきたアルヴェインは扉のすぐそばに立ったまま動かない。
「どうかしましたか?」
近づくと、彼が後ろに持っていた何かを突き出した。視界いっぱいにバラと、リナリアが混じった花束が現れた。
「リナリア、俺と恋人にならないか」
「は……え?」
突然の話に思考が追いつかない。
「あの、ローゼン様?」
「俺では駄目だろうか」
「いえ、そう言う訳では……あの、告白の予行練習でしょうか?」
「本番だ」
「えっと、ミュリエル様は?」
「彼女は殿下しかみていない」
まさか……私は何か勘違いをしていたんだろうか。
攻略対象だからって、アルヴェインは例え適わなくてもヒロインの事を好きだと思っていたし、ヒロインもアルヴェインの事を好きだと思っていた。
「あの、すみません状況の整理ができていなくて」
「俺は君が好きだから恋人になりたいと言っている」
なるほど、聞き間違いではなさそうだ。
「私、貴方の家のメリットになるような階級ではありませんけれど」
「関係ない。もし家族から何か言われれば利益になるような家と結婚しなくたって問題ないと実力を示すまでだ」
「結婚まで考えなくてもいいのですが」
「俺は君と生涯を歩みたいと考えているし、実現できるだけの力はあるつもりだ」
「はあ……」
そうだ、アルヴェインは真っ直ぐで、惚れたら一途で、何があっても傍にいてくれる人だった。
ああ、どうしよう。今、前世と今世の人生を併せても一番嬉しい。
震える手を伸ばし、花束を持つアルヴェインの手に重ねる。
「私で良ければ、宜しくお願いします」
「君が良いんだ。リナリア」
そうして、初めてアルヴェインは満面の笑みを見せた。それは両手一杯の花束も霞むほど眩しくて愛らしい笑みだった。




