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金曜日に贈る和歌  作者: 朝凪


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7/13

ながらへば

寒さの中に、春が少しだけ混じり始めた頃

太陽の光が柔らかくなり、風も冷たいだけではなくなってきたのに、遥の日々だけが冬に取り残されたように動かなかった


複雑骨折。足にはギプス、松葉杖。階段の上り下りは一大事で、外に出るのもひと苦労だ

大好きだった運動も、部活も、当然できない。体育館の床を蹴る感触や、走って息が切れる感覚が、遠い夢みたいに思える。毎日思うのは同じことだった


――早く治ればいいのに


けれど「早く」と願っても、骨がくっつく速度は変わらない。やるせなさだけが溜まっていく

遥はベッドに座り、ぼうっとスマホを眺めていた。動画も、SNSも、最初は気晴らしになったのに、いつの間にか全部が退屈に見え始めている。友達の楽しそうな投稿に、置いていかれる感覚が刺さるからだ

そんな時、ふと広告のように流れてきた文字が目に止まった

――金曜日に贈る和歌


「和歌……?」


古典の授業でやった、あの短い歌。難しいだけのものだと思っていたのに、“気持ちに寄り添う”と書かれているのが妙に気になった。遥は半信半疑のまま、ホームページを開く

フォームには、今の気持ちを書ける欄がある。遥は1度ためらってから、思い切って打ち込んだ


“怪我で部活に行けません。悔しくて、毎日がつまらないです。前向きになれる言葉を送って下さい”


送信ボタンを押した瞬間、少しだけ胸が軽くなった。誰にも言えていない本音が、画面の向こうに落ちた気がした


ーーーーーーー


その週の金曜日。玄関のポストに白い封筒が入っていた。母が持ってきてくれたそれを受け取った瞬間、遥の指先がわずかに震える。


「……来た」


封を開けると、薄緑色のメッセージカードが一枚。春の芽吹きみたいな色だ。そこに、濃い緑のインクで、はっきりとした文字が並んでいた。



ながらへばまたこのごろやしのばれむ

憂しと見し世ぞ今は恋しき



遥は声に出して読んでから、スマホで意味を調べる。現代語訳を見た途端、胸の奥がふっと緩んだ


かつて辛いと思った日々も、今となっては懐かしい

だとすれば、生きてさえいれば、辛い今もいつか懐かしく思うのだろうか


「……そっか」


遥は、カードを胸の前で握った。


「生きていれば……この怪我も、懐かしく思う日が来るのか」


怪我が美化されるわけじゃない。痛いし、悔しいし、できないことだらけだ。でも、“今が永遠じゃない”と分かっただけで、世界の壁が少し薄くなった気がした。昨日と同じ1日が続くのではなく、ちゃんと変わっていく。いつか、今の自分を振り返って「頑張ったな」って笑える日が来るかもしれない

ーーその時、階下から母の声がした


「遥ー、ご飯できたよー!」

「……はーい!」


返事をした自分の声が、思ったより明るい。

遥はカードを机の上に大切に置く。そして松葉杖を手に取り、いつもより軽い気持ちで階段へ向かった。段差をひとつずつ確かめながら下りる足取りに、ほんの少しだけ迷いがない

食卓に着くと、母が不思議そうに顔を覗き込んだ


「どうしたの? ずいぶん機嫌がいいじゃない」

「んー? ちょっと、いい事があったの」

「いい事?」

「うん。……和歌、かな」


母は首を傾げたまま笑い、味噌汁をよそってくれる。湯気の匂いがやさしく鼻をくすぐった。遥は箸を持ち、いつもよりしっかり「いただきます」と言った


(……今を、もうちょっと大切に生きてみようかな)


治るまでの時間は変えられない。なら、その時間の使い方を、少しだけ変えてみたい。遥は食べながら考える。部活を“できない”で終わらせたくない


(次の部活、お菓子を持って見学に行こう)


走れなくても、応援はできる。話すこともできる。みんなの輪の外にいる必要はない。そう思えたことが、遥にとっては大きかった


カードの薄緑は、春のはじまりの色

濃い緑の文字は、折れかけた心を支える芯みたいだった


遥は味噌汁を一口すすり、心の中でそっともう一度、和歌の言葉を反芻する


――ながらへば

生きていれば


その短い確信が、寒さの中に混じり始めた春みたいに、遥の毎日にじわりと広がっていった



・和歌

ながらへばまたこのごろやしのばれむ

憂しと見し世ぞ今は恋しき

(藤原清輔朝臣 新古今和歌集)

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