世の中は
足元からしんしんと冷える寒さの頃
作家の山内は、机に突っ伏していた
パソコンには、書きかけの原稿……いや、書きかけというより、書いたつもりの原稿
「………また同じだ」
ため息が、部屋の乾いた空気に溶ける
書き上げた短編を読み直すと、どれも似た人物、似た言い回し、似た結末に見えた。というか、似た所を見つけるより違う所を見つける方が簡単だ
かつては「この主人公はこう喋る」と手が勝手に動いた
今は、どの人物も山内の指先から同じ声で出てきてしまう
「これじゃ、量産品だな………」
自嘲気味に笑ってみるが、笑いはすぐにしぼんだ
スマホが鳴る。編集者からのメッセージだ
“進捗はどうですか?無理はさせませんが、そろそろプロットが見たいです”
無理はさせないーーその優しさが、今は痛い
「無理じゃないんだよ。書ける、書けるはずなんだよ」
そう言い訳をすると、スマホを開いて“創作スランプ 抜け出し方”と検索した
やたら精神論だか根性論だかの記事が並ぶ中、ふと変わったタイトルが目に入った
ーー金曜日に贈る和歌
「和歌?」
クリックすると、雄大な富士山の写真が載ったホームページが映る
“あなたに寄り添った1首をお届けしますーー”
「…………ネタ探しにはなるか」
今のスランプを抜け出せるなら、どんなネタでも良いから欲しい
フォームを開き、短く打った
“作家です。スランプ中で、今書いてる作品が全部同じに見えます。何か動く言葉が欲しいです”
送信
その瞬間、胸の奥がほんの少し軽くなった
“頼った”という事実が、以外と効いたのかもしれない
ーーーーーーー
金曜日。郵便受けに見慣れない封筒が差し込まれていた
美しい水色、カラッと晴れた冬空に似ている
山内は指先でなぞりながら、部屋に戻った
「………凝ってるな」
封を切ると、川が描かれた一筆箋
水面がキラリと光るような線で、緩やかな流れが描かれている
青いインクで、和歌が書いてあった
世の中はなにか常なるあすか川
きのふの淵ぞ今日は瀬になる
山内はスマホで意味を調べーー笑った
「ふふっ……何だそれ、言い切るじゃないか」
不変なものは何1つない
昨日の深い淵が、今日は浅い瀬になる
山内は紙を見つめたまま、ポツリと言った
「……不変なものがないなら、このスランプも変わる、か………」
その言葉が口から出たことに、自分自身が驚く
もしかしたら、今までの自分は“変わらない”ことにしがみついていたのかもしれない
自分の作風、読者の期待、編集者の評価
「作風が固まったのは良いことだと思ってたけど……。固まったって、流れないってことだよな」
山内は、一筆箋を机の上に置いた
まるで、川が机に流れ込んできたみたいに見える
「………よし、もっと和歌を調べてみるか」
こうして、久々にアイデアが降ってきた
山内は百人一首や万葉集を調べ、歌人の人生を読み込み、和歌の意味を調べていく
ノートに連想した場面をどんどん書き付ける
「………あれ?」
机に向かう時間が、久しぶりに“苦痛”ではなくなっていた
止まっていた筆がスルスルと走り、2日目にはプロットができた
3日目には、連作短編集の原稿がほぼ完成する
「書けた……!」
そして、震える指で編集者へのメールを打つ
「……送るぞ、送っちゃうぞ」
原稿のファイルを貼り付け、送信ボタンを押す
送信完了
ふっと肩の力が抜けた
「……よし、流れた」
ーーーーーーー
翌日。編集者から電話がかかってきた
「山内さん!今読んでます!」
声が明るい。編集者のこの声を聞くのは久しぶりだ
「早いですね」
「そうですね。……いや!それより!どうしたんですか!?作風が変わったじゃないですか」
山内はスマホを耳に当てたまま、目線を一筆箋に向けた
一筆箋は、机の前の壁にセロテープで貼ってある
「いや、ちょっと勇気をもらってさ」
「勇気?」
「うん。………変わらないものはないって」
「え、何それ名言っぽい」
「……和歌です」
「和歌!?急に雅じゃないですか」
編集者の笑い声が電話越しに弾んだ
山内は顔が熱くなるのを感じながら、照れ隠しに咳払いをする
「……たまたま、だけど」
「たまたまでこの変化なら、毎週たまたましてくださいよ」
「それ、ただの習慣化じゃん」
「いいじゃないですか。いい習慣を積み上げた人が最後は勝つんですから」
山内は笑った
「………じゃあ、来週も川に頼ってみるかな」
「川だけじゃなくて、山内さん自身が流れ始めたんですよ」
山内は壁に貼った一筆箋をなぞった
「………そうかも」
その声は、この上なく穏やかだった
・和歌
世の中はなにか常なるあすか川
きのふの淵ぞ今日は瀬になる
(よみ人知らず 古今和歌集)




