忘らるる
成人の日の次の日ーー街にまだ晴れ着の記憶が残り、乾いた空気がやけに澄んでいる頃
この日、舞香は荒れていた。昨日、彼氏の浮気が発覚したのだ
言い訳の電話、薄っぺらい謝罪、逆に「誤解だ」と責めるような口調。どれも舞香の神経を逆なでし、眠れないまま朝を迎えてしまった
「ありえなくない!?」
会社の給湯室で、マグカップを握り締めながら声を荒げる
「「仕事で遅くなる」って言ってた日に、女と飲んでたんだよ?しかもそれが3回目って言う!!」
「それはアウトだわ」
「サイッテーー……」
OL仲間達は口々に同意してくれるものの、舞香の怒りは収まらない
悔しさ、怒り、何より「信じていた自分」への腹立たしさが混ざり、胸の奥がぐちゃぐちゃだった
「両方とも呪いたい」
「それは怖い」
冗談半分、本気半分で言った舞香に、同僚が苦笑いする
「だったらさ、これとかどう?」
差し出されたスマホの画面には、知らないホームページが載っている
ーー金曜日に贈る和歌
「和歌?」
「うん。なんか感情をぶつけると、ちょうどいい和歌が届くらしいよ」
「………ちょうどいいって何?」
舞香は半信半疑のまま、リンクを開いた
送信フォームを見た瞬間、己の気持ちをバーッと吐き出す
“恋人に裏切られました。恨みも怒りも悲しみも悔しさも全部あります。綺麗事はいりません。なんかいい和歌を贈ってください”
勢いのまま書いて、勢いのまま送信ボタンを押した
ーーーーーーー
金曜日の夜
残業でクタクタになり帰宅した舞香は、ポストを開けた
ーー雪のように白い封筒
「……これか」
部屋に入り、さっと封を切る
中には白い和紙、ほのかな香りの文香
和紙には、真っ黒な墨で和歌が書かれている
忘らるる身をば思はずちかひてし
人の命の惜しくもあるかな
舞香はしばらく眺め、スマホで意味を調べる
あなたが私を忘れた事はもういいのです
でも、決して忘れないと神の前で誓ったあなたに天罰が落ちるのが心配だわ
ーー舞香は爆笑した
「ちょっ……待って!「誓った癖に忘れたあんたに天罰が落ちるのが心配」って……!」
お腹を抱え、涙が出るほど笑った
笑いすぎて、お腹が痛い
「最っ高じゃん!この歌!!」
笑いながら舞香は決めた
スマホを取り出し、彼氏に短いメッセージを送る
“別れよう。天罰には気をつけてね?”
送信し、すぐさまメッセージも電話もブロック
「はい終了ーー!お疲れ私ーー!!」
声のトーンが明らかに元気になった
「よし!新しい恋探しますかー!」
白い和紙に、黒い墨で書かれた和歌
それは舞香にとって、未練を断ち切る見事な刃だった
・和歌
忘らるる身をば思はずちかひてし
人の命の惜しくもあるかな
(右近 拾遺和歌集)




