君がため
8月中旬。蝉の声が朝から響き、夏の日差しが容赦なく降り注ぐ頃
会社員の拓海は、病院の待合室でスマホを眺めていた
数年前から持病を抱えている拓海は、これまで自分の身体についてどこか投げやりだった
「まあ、なるようになるだろ」
薬を飲み忘れても、生活習慣を注意されても、そんな調子だった
けれど、半年前に恋人の美月と出会ってから、少しずつ考えが変わってきた
一緒に水族館へ行った。桜も見た。夏になったら花火を見ようと約束した
そして最近、美月が何気なく言ったのだ
「来年も、その次の年も、一緒に花火見られたらいいね」
その言葉が、拓海の胸から離れなくなっていた
(……来年も、その次も、か)
今まで、自分の未来なんて真剣に考えたことがなかった
ところが今は違う
美月ともっといろいろな場所へ行きたい。美味しいものを食べたい。いつか一緒に暮らしたい
――長く生きたい
初めて、そう思うようになっていた
そんな時、拓海は偶然「金曜日に贈る和歌」というサービスを知った
『大切な人ができました。その人と出会ってから、以前より自分の人生を大切にしたいと思うようになりました』
少し恥ずかしく思いながら、そう書いて送った
その週の金曜日。拓海のもとへ、深い赤色の封筒が届いた。
中には白い一筆箋が1枚。そこには落ち着いた赤色のインクで、1首の和歌が記されていた。
君がため惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな
拓海は意味を調べる
――あなたのためなら惜しくないと思っていたこの命さえ、あなたと出会った今では、長くあってほしいと思うようになった
「……これ、すごいな」
拓海は思わず呟いた
千年近く昔にも、自分と同じような気持ちになった人がいたのだ
誰かを好きになることで、自分自身の命まで大切に思えるようになる
拓海はしばらく一筆箋を眺めたあと、スマホを取り出した
『今度の花火大会、どこで見る?』
美月へメッセージを送る
すぐに返信が来た
『川沿いがいい! 来年も同じところで見ようよ』
拓海は思わず笑った
『じゃあ再来年も』
『その次も!』
『欲張りだな』
そう返しながら、拓海は机の上の和歌をもう一度見る
長く生きたい
それは死ぬのが怖いからではない
大切な人と、まだ見たい景色がたくさんあるからだ
「……次の診察、ちゃんと先生の言うこと聞くか」
薬も忘れず飲もう。生活も少し見直そう
ほんの小さな決意だった
けれど、それは拓海が自分の未来を大切にし始めた証でもあった
窓の外では、夏の青空がどこまでも続いている
拓海はその先に、美月と過ごす来年の夏を、そしてさらにその先の季節を思い描いていた
・和歌
君がため惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな
(後拾遺和歌集 藤原義孝)




