七草粥
1月7日ーー人日の節句
夕暮れの台所に、鍋から湯気が立ち上る
桜は袖をまくり、七草粥の支度に取り掛かる
米を研いで鍋に入れ、火加減を見ながら粥を炊く
その間に、丁寧に洗った七草をサッと茹でる
ーーせり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ
食べやすいように七草を刻んでいると、草の青い香りがツンと鼻を刺激する
冬の空気の中で、一足早い春の香りはひどく鮮烈だ
鍋を覗くと、米が程よくとろけている
火を止め、刻んだ七草をそっと落とした
お粥の白に、若草の緑がふわっと広がる
最後に塩をひとつまみ。味付けはこれだけ
夕食は、七草粥とキノコのお吸い物
1人の食卓は静かで、しかし寂しいというより落ち着いている
桜は手を合わせた
「いただきます」
匙ですくった粥を口に運ぶ
熱い粥が喉を通り、胃に落ちていく
「……美味しい」
胃がじんわりと温かい
正月のご馳走で疲れた胃に染み渡る
「君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ……」
古今和歌集の1首。若菜を摘む手元に雪が降る情景が、脳裏に浮かぶ
寒さの中で春を待つ、その境目を昔の人は丁寧に切り取っていた
「……すごいなぁ」
桜はまた粥を口に運んだ
古い言葉は遠い世界のもののはずなのに、こうして生活の中に置くと妙に近い
その感覚が、桜を惹きつけてやまないのだ
食後に淹れたハーブティーを飲み終えると、桜は深呼吸をした
「今年も無病息災で過ごせますように」
ささやかだけど、大切な願いを口に出す
願いは、口に出すと少しだけ現実味を帯びる気がした
桜は立ち上がり、食器を片付け始めた
お椀を洗い、鍋をすすぎ、まな板を拭く。水の音が静かに響き、台所は元の姿に戻っていく
手を動かしながら、桜は若菜の歌を反芻した
ーー春はまだ遠いけど、確実に近づいている
昔の人も、粥を食みながらそう思っていたに違いない
皿を拭き終え、布巾をたたみ、最後に台所の灯りを落とした
日が少し長くなったとはいえ、まだ夜の時間は長い
冬の闇の中、桜は改めて心の中で願う
今年も健やかに
そして、誰かのために若菜を摘める心を失わないように
そうして桜の1日は、今日も静かに締めくくられる
・和歌
君がため春の野に出でて若菜摘む
我が衣手に雪は降りつつ
(光孝天皇 古今和歌集)




