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金曜日に贈る和歌  作者: 朝凪


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14/20

瀬をはやみ

3月の終わり

桜が咲き、出会いと別れが一気に街へ押し寄せる季節だった


大学4年生の真帆は、駅前のカフェで恋人の蒼介と向かい合っていた。窓の外では、新しいスーツに身を包んだ人たちが行き交っている。春らしい光景のはずなのに、真帆の胸の中は少しも浮き立たなかった


「遠距離、か……」


ぽつりと漏らすと、蒼介はコーヒーカップを見つめたまま苦く笑った


「うん。……大丈夫って言いたいけど、簡単じゃないよな」


蒼介は地元・福岡の企業に就職が決まっていた

真帆は東京の出版社に勤めることになる

2人は大学で出会い、2年半付き合ってきた。何でもない日常を一緒に過ごし、将来の話だって少しずつしてきた。それなのに春は、そんな2人の手をあっさり引き離そうとしている


「私……ちょっと考えたんだよね」

「何を?」

「別れたほうがいいのかな、って」


言った瞬間、蒼介が顔を上げた

その目の揺れを見て、真帆の胸も痛んだ


「……俺も、少しだけ考えた」


嘘をつかない人だと思った

だからこそ、その正直さが苦しかった

沈黙が落ちる。店内には食器の触れ合う音と、小さな話し声だけが流れていた


「でも、別れたいわけじゃないんだよ」


真帆が絞り出すように言うと、蒼介は小さく頷いた


「俺もだよ。ただ、会えなくなることとか、新しい生活とか……考えると、不安で」

「うん」

「真帆に寂しい思いさせるのも嫌だし」

「私だって、蒼介に同じこと思うよ」


2人とも“好き”なのに、その先にある現実が重たかった


ーーーーーーー


その夜、真帆は1人暮らしの部屋でベッドに腰を下ろし、しばらく動けなかった

別れたほうが楽なのかもしれない。今のうちにきれいに終わらせれば、もっと傷つかずに済むかもしれない

でも、本当にそれを望んでいるのかと自分に問い直すと、答えは決まっていた


「……別れたくない」


声に出した瞬間、涙がこぼれた

泣きながらスマホを開く。何気なくSNSを流しているうちに、前に友人が話していたページを思い出した


“金曜日に贈る和歌”


藁にもすがるような気持ちでホームページを開き、真帆は送信フォームに言葉を打ち込む


『春から恋人と遠距離になります。好きなのに、不安で、別れたほうがいいのではと思ってしまいます。離れても繋がっていられる言葉がほしいです』


送信を終えると、少しだけ呼吸が楽になった


ーーーーーーー


その週の金曜日

帰宅した真帆のポストには、淡い水色の封筒が入っていた。まるで春の川面のような色だった


「……来た」


部屋に入り、ゆっくり封を切る

中には白い便箋が1枚。そこに、深い青のインクで1首の和歌が記されていた



瀬をはやみ岩にせかるる滝川の

われても末にあはむとぞ思ふ



真帆は、便箋を胸に抱いた

離れることは、終わることじゃない

今は岩にせかれて流れが分かれても、それぞれが前へ進んでいれば、また合流できるかもしれない


「分かれてもまた会おう……か」


その言葉は、慰めというより約束に近かった


ーーーーーーー


真帆はすぐに蒼介へメッセージを送った


『今夜、少し話せる?』


ほどなくして、通話画面に蒼介の顔が映る


「どうした?」


真帆は便箋を膝の上に置き、息を整えた


「私、やっぱり別れたくない」


蒼介が黙って真帆を見る。真帆は続けた


「離れるの、すごく怖いよ。会えなくなるのも、新しい生活も不安。……でも、離れるから終わりにするんじゃなくて、離れてもまた会えるように頑張りたい」


蒼介の表情が揺れた


「今は別々の場所に行っても、ちゃんと前に進んで、また会おうって思いたいの。川みたいに、1回分かれても、またひとつになるみたいに」

「………それ、和歌?」

「うん」

「真帆らしいな」

「何それ」

「でも……好きだよ、そういうとこ」


真帆は泣き笑いみたいな顔になった。蒼介も、画面の向こうで少し照れたように目を伏せる


「俺も、別れたくない」

「……うん」

「簡単じゃなくても、やってみたい。遠距離でも、ちゃんと続けたい」


真帆は強く頷いた


「じゃあ……」

「うん。“分かれてもまた会おう”でやってみよう」


その言葉に、真帆の胸の中で何かが静かに定まった


ーーーーーーー


通話を終えたあと、真帆は便箋を机の上に飾った

岩で分かれても流れをやめない川のように、自分たちもそれぞれの場所で進んでいけばいい


春は、別れの季節でもある

けれど同時に、新しい約束を結び直す季節でもあるのだ

窓の外では、春の雨がしとしとと降っていた

まるでどこかの川の流れを、遠くから祝っているみたいに




・和歌

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の

われても末にあはむとぞ思ふ

(崇徳院 詞花和歌集)

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