表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金曜日に贈る和歌  作者: 朝凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/13

世の中を

ひな祭りの華やかなムードが、街のあちこちに滲む頃だった

スーパーの入口には桃色の装飾、和菓子屋には菱餅の広告。けれど原田の部屋だけは、季節の明るさから切り離されたように薄暗かった

原田は余命宣告を受けていた。医師の口から告げられた言葉は、日付のない死刑宣告のように胸に残り、息をするたびに重くのしかかる。夜は特にきつい。眠りに落ちれば、そのまま目が覚めないのではないかーーそんな恐怖が、布団の中で膨らんでいく


「……怖い」


声に出すと、ますます現実になる気がして、原田はいつも黙って耐えた

だが、沈黙は怖さを消さない。ただ濃くするだけだ

そこへ、孫の桃がやってきた。通学カバンを置くなり、いつもより静かな顔で祖父を見つめる


「お爺ちゃん、また…眠れてないでしょ」

「……そんなことはない」


嘘だった

もちろん桃にはお見通しらしい。桃は小さく息を吸い、スマホを差し出した


「これ、知ってる? 『金曜日に贈る和歌』っていうの。友達が教えてくれたの」

「和歌ぁ?」


原田は眉をひそめた。今さら歌なんぞ、何の役に立つというのだ。慰めの言葉ならもう散々聞いた。大丈夫、きっと楽になる、頑張りましょうーーどれも、耳に残るだけで心には届かなかった


「嫌だよ、そんなもん…」


桃は引かなかった。祖父の手を取って、体温を確かめるようにぎゅっと握る


「お爺ちゃん、怖いって言っていいよ。でも、怖いまま一人でいるのは、だめ」


原田は何も言い返せなかった。可愛い孫を残して死ぬ、その恐怖を、誰にも触れさせまいとしてきたのに、桃はまっすぐそこを見てくる


「……書くだけ、書いてみるか」


原田は渋々スマホを受け取り、ゆっくり文字を打った


“余命宣告を受けました。孫を残して死ぬのが怖いです”


送信ボタンを押した途端、胸が少しだけ痛んだ。怖いと文字にした瞬間、怖さが形を持った気がしたのだ


「…桃、これでいいのか」

「うん。お爺ちゃん、えらい」

「えらいって歳でもないだろ」


そう言いながら、原田はほんの少しだけ、息がしやすくなった気がした


――そして金曜日

薄桃色の封筒が届いた。桃は駆け寄り、原田の隣にちょこんと座る


「一緒に開けよう」


封筒は、ひな祭りの飾りみたいにやさしい色をしていた。原田は指先が震えるのを隠しながら封を切る。中から出てきたのは白い便箋。そこに濃いピンクのインクで、しっかりとした文字が並んでいた



世の中を思へばなべて散る花の

我が身をさてもいづちかもせむ



原田は声に出して読んだ。読み終える前に、喉がきゅっと縮む。無常、散る花、儚い、どこへ持っていけばいいのか……言葉が、原田の胸の底を正確に撫でてくる

最初に声を上げたのは、和歌の意味を調べていた桃だった


「そっか……私も、いつか死ぬのか……」

「お前がそんなことを言うんじゃない……!」


原田は思わず声を荒げた。桃が“死”を口にすることが怖かった。未来が縮む気がした。

桃は驚いた顔をしたが、すぐに目を伏せて、便箋を見つめた


「お爺ちゃん。この和歌の言う通りだよ。死は誰にでも来るんだから」


原田は言葉を失った

孫が、こんなに落ち着いた声でそんなことを言うなんて

桃は祖父の手の甲を、ぽん、と軽く叩いた


「だからさ。お爺ちゃんは天国で、ちゃんと待っててね」

「……ん?何をだ」

「私が、お土産話をたくさん持って、いつか天国に行くからさ」


原田はぽかんとした。頭の中に、勝手に桃が天国へ行ってしまう想像が浮かんで、慌てて振り払う


「すぐに来るんじゃないぞ。……300年後くらいに来なさい」


桃は目を丸くして、それから笑った


「300年って、妖怪じゃん〜!!」


桃は声を上げて笑い、原田もつられて笑ってしまった。笑うと胸が痛むのに、笑いが止まらない。便箋の濃いピンクが、妙に明るく見えた

原田は、和歌の最後の一行をもう一度、心の中でなぞった


――さてそれでは、この我が身をいったいどこへもっていったら良いのでしょう?


答えは書かれていない。けれど、桃の笑い声が答えの一部になった気がした。どこへ持っていくか分からなくても、今ここで、手を握って笑えるならーーそれだけで少し、怖さが薄まる

原田は桃の頭をそっと撫でた


「……お前な。長生きしろよ」

「うん。お爺ちゃんもね」


原田は頷き、窓の外の淡い光を見た。桃の節句の飾りのように、季節は変わっていく。散る花があるなら、咲く花もある。散るのが怖いなら、せめて咲いているうちに、もう少し見ていたい


(……もう少し、頑張ってみるか)


可愛い孫のために

そして、怖いと認めた自分のために

原田は便箋を丁寧に折り、胸の近くにしまった。薄桃色の封筒は、死の恐怖を消してはくれない。けれど、その恐怖の中に、小さな笑いの灯を点してくれたのだった




・和歌

世の中を思へばなべて散る花の

我が身をさてもいづちかもせむ

(新古今和歌集 西行)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ