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第8話

違和感の置き場所


朝、目が覚めた。


今日は、音が先に来た。


遠くで人の声がする。近くじゃない。窓の外でもない。街のどこかが、もう動いている感じだ。


「早起きな街だなあ」


そう言ってから、少し遅れて起きる。起きる理由はない。起きない理由もない。だから起きる。


水を飲む。今日も水は優秀だ。


外に出ると、昨日より人の流れが一定じゃない。速い人と遅い人が混じっている。立ち止まる人が増えている。


「立ち止まる理由がある日、ってやつか」


理由があるかどうかは知らない。あると思われているだけで、人は立ち止まる。


市場の前を通ると、声がひそひそに変わる。昨日は落ちていた音量が、今日は均一に低い。


「あ、これ

 聞かせる気ないやつだ」


聞かせる気がない話ほど、広まる。


商店の前に着くと、ミアが扉を開けていた。鍵を外す動きが、いつもより丁寧に見える。


「おはよー」


カイルが声をかけると、ミアは一瞬だけ手を止めてから振り返った。


「おはようございます」


声は普通だ。高さも、速さも、昨日と同じ。


でも、目が少しだけ泳いでいる。


「今日は早いね」


カイルが言う。


「……そうですね」


返事が一拍遅れる。


「眠れなかった?」


冗談半分で聞くと、ミアは首を横に振った。


「そういうわけじゃ、ないです」


言い切らない。


「そっか」


それ以上は聞かない。聞くほどのことじゃない、と思ったからだ。


店に入ると、まだ誰もいない。静かだ。静かだけど、落ち着かない。


「今日は、外で並べる?」


カイルが聞く。


「いえ……今日は中で」


理由は言わない。言わないけど、選択だけは変わっている。


「了解」


了解、という言葉は便利だ。納得していなくても使える。


水を取って、パンを取る。動線は昨日と同じ。変わっていない。変わっていないはずなのに、ミアの視線が、時々こちらに来る。


合う前に、逸れる。


「あれ」


気づいた瞬間、気づかなかったふりをする。


「今日も暇?」


ミアが聞いてくる。


「いまのところは、いいなぁ」


いつもの返事。声も軽い。軽くしておく。


「……」


ミアは少しだけ黙った。


「どうした?」


カイルが聞く。


「いえ」


否定は早い。


「何でもないです」


何でもない、という言葉は、だいたい何でもある。


「ならいいけど」


会計を済ませる。ミアの手が、ほんの少しだけ固い。硬いじゃない。固い。意識が入っている感じ。


外に出ると、視線を感じる。数は昨日と同じ。でも、向きが違う。


「俺じゃないな」


視線の先は、商店だ。


ミアが気づいていないか、確認する。


気づいていない。

気づいていないふりをしているのかもしれない。


「……まあ」


独り言を飲み込む。


昼前、もう一度商店の前を通る。理由はない。通り道だからだ。


中に客がいる。二人。見慣れない顔。冒険者っぽい。


ミアが対応している。声は落ち着いている。表情も変わらない。


でも、距離を取っている。


いつもより、半歩。


「半歩って、

 意外と大きいんだよな」


誰に言うでもなく思う。


買い物を終えた冒険者が、外に出る。


視線が一度、こちらに来る。


「……」


何も言われない。言われないけど、見られた。


「あー……」


軽く息を吐く。


「今日、

 空気が一段変わってる」


夕方、また店に寄る。


ミアは帳簿を見ている。数字を追う目が、少しだけ真剣だ。


「忙しそうだね」


カイルが言う。


「そうでも、ないです」


でも、返事は即答じゃない。


「ミア」


名前を呼ぶと、ミアが顔を上げる。


「大丈夫?」


大丈夫、という言葉は、聞く側が決めるものじゃない。


ミアは少し考えてから、うなずいた。


「……はい」


はい、と言った。


でも、その声は、昨日より低い。


「なら、いいや」


それ以上は踏み込まない。踏み込む理由がない。


外に出ると、夕方の街はいつも通りだ。子どもが走っている。呼び止める声がする。


「いつも通りだな」


そう思ってから、少し遅れて気づく。


いつも通りに見せようとしている。


部屋に戻る。


水を飲む。


「今日も、

 何もなかった……わけじゃないな」


何かが起きた、とは言えない。

でも、何も起きていない、とも言えない。


置き場所のない違和感が、

部屋の隅に置かれている感じだ。


「あー……」


いつもの言葉を出す。


「暇だぁ」


声は軽い。

でも、言った後、少しだけ間ができた。


「……まあ」


布団に倒れ込む。


考えるほどのことじゃない。

考えたところで、名前が付かない。


だから今日は、

そのままにしておく。


違和感は、

置いておけるうちは、置いておく。


目を閉じる。


外で誰かが、

また同じ話をしている気がした。


でも今日は、

聞こえないふりをした。

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