第7話
朝、目を開けて最初に思った。
今日は、ちょっとだけ空気が重い。
重いと言っても、息が詰まるほどじゃない。靴の底に小石が一個挟まってる、くらいのやつだ。歩けるけど、気になる。
「気になるって時点で、
もう負けてる気がするんだよな」
誰にともなく言って、起きる。
水を飲む。今日も水は優秀だ。裏切らない。人間もこれくらい安定してほしい。
外に出ると、昨日より明らかに視線が多い。
多い、というより、減っていない。
「あー……これ、
消えると思ってたやつだ」
噂は時間が経てば薄まる。
薄まると思っていた。
でも今日は、薄まる前に一段階変わっている。
見る側の目が、
「興味」から「確認」に変わっている。
「確認って、
面倒くさいやつだな」
市場の前を通ると、会話が途切れる。
完全に止まるわけじゃない。
音量が一段落ちる。
「あ、はいはい」
小声で言う。
「俺、話題の一部になってるっぽい」
別に声をかけられるわけじゃない。
指をさされるわけでもない。
ただ、
「通った」
という事実が、会話の節目になる。
「昨日まで無関係だったのに、
今日は関係者扱いか」
関係者ってほどのこと、何もしてないんだけど。
商店の前まで来ると、ミアが扉を拭いていた。朝の光が当たって、黒髪がやけに柔らかく見える。
視線が集まる。
本人は気づいていない。
「おはよー」
カイルが声をかけると、ミアが顔を上げた。
「おはようございます」
いつも通りの声。
それだけで、少し安心する。
「今日は外からなんだ」
「朝のうちにやっておかないと、
後で手が回らなくなるので」
「計画的だなあ」
「普通です」
普通、という言葉を信じると、大体裏切られる。でもミアの場合、本当に普通だ。
「今日は暇?」
ミアが布を畳みながら聞いてくる。
「いまのところは、いいなぁ」
自分でも、ちょっと軽すぎると思う。でも軽く言っておかないと、重くなりそうだった。
「良くないですよ」
「でも忙しいと、
暇な時間が恋しくなるでしょ」
ミアは一瞬考えてから、視線を逸らした。
「……それは、そうですけど」
その間が、周囲の視線をさらに引き寄せる。
「あー……」
小さく息を吐く。
「今日も、
よく見られてるな」
「え?」
「いや、独り言」
店に入ると、昨日までいなかった客がいる。見覚えのない顔。冒険者っぽい。
視線が合う。
すぐ逸らされる。
「露骨だなあ」
水とパンを取って、カウンターに置く。
「最近、外が騒がしいですね」
ミアが言う。
「うん。
昨日のやつ、まだ生きてる」
「怖くないですか」
「怖いって言葉、
便利だからね」
「……怖くないんですか」
「怖くないわけじゃないよ」
一拍置いて、肩をすくめる。
「ただ、
怖がっても暇は埋まらない」
ミアは納得したような、していないような顔をした。
会計を済ませて外に出る。
今度は、完全に視線を感じる。
二つ。
三つ。
四つ。
「あ、増えてる」
増えている、という事実を確認してしまった時点で、もう元には戻らない。
「まあ、
見られる分には減るものもないし」
減らないけど、増える。
通りを歩いていると、声をかけられた。
「なあ」
振り返ると、昨日見た冒険者の一人だ。
「この辺、
詳しい?」
詳しい、という言葉の使い方が雑だ。
「そこそこ」
「昨日の街道の件、
何か知らないか」
知らない、と言えば終わる。
終わるけど、終わらない。
「知らない」
即答する。
「そうか」
冒険者は引き下がった。
でも、目は引き下がっていない。
「……ああ」
歩き出しながら思う。
「これ、
始まっちゃったやつだ」
始まるほどのことは、何もしていない。
していないのに、始まる。
「面倒だなあ」
本音が出る。
木陰で立ち止まり、空を見上げる。
今日の空も、曇り。
「変わらないものって、
減ってくな」
誰に聞かせるでもなく、言う。
それでも、歩く。
止まったら、もっと見られる。
「まあ、
暇じゃなくなるよりは、
マシか」
そう言って、笑ってみる。
笑った顔が、
ちゃんと「いつもの顔」に見えているかどうかは、
自分では分からない。
でも少なくとも、
まだ声は軽い。
「あー……」
いつもの言葉を出す。
「暇だぁ」
でも今回は、
誰かに聞かれていた。
それが分かった瞬間、
カイルは少しだけ、歩く速度を上げた。




