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第2話

朝の商店は、開店と同時に人が集まるような場所ではない。

必要な者が、必要なときに立ち寄るだけの、ありふれた店だ。


それでも、その日は扉の前で足を止める者がいた。


理由を自分で説明できる者はいない。

ただ、入る前に一拍置く。

そして、思い出したように扉を開ける。


鈴の音が鳴る。


「おはようございます」


店の奥から返る声は、澄んでいた。

高すぎず、低すぎず、朝の空気に馴染む温度。


声の主は、カウンターの向こうに立っている。

黒髪を後ろでまとめ、エプロンを身につけた少女だ。

背は高くない。

店の棚と並ぶと、むしろ小柄に見える。


それでも、店の中で一番目に入るのは彼女だった。


派手な服ではない。

装飾もない。

化粧の気配もほとんどない。


なのに、視線が集まる。


理由は単純で、言葉にしづらい。

立ち方がまっすぐで、動きに迷いがない。

品物を取る手つきが静かで、置くときに音を立てない。

誰かと話すとき、必ず一度、相手の目を見る。


それだけのことが、店の空気を整えていた。


「……パンを二つ」


声をかけた男は、言い終えてから、

なぜかもう一度彼女を見た。


「はい」


短く返事をして、少女は棚に向かう。

振り返ったとき、結い上げた髪がわずかに揺れ、

首筋に光が落ちた。


男は、それ以上何も言わなかった。

言葉が浮かばなかった、という方が近い。


常連の客が、カウンターに肘をつく。


「ミア、今日は人が多いな」


「そうですか?」


少女――ミアは首を傾げた。

その仕草に、特別な意味はない。

ただ、本当に心当たりがないだけだ。


「いつも通りですけど」


そう言って微笑む。

控えめで、長く残らない笑顔。


だが、それを見た何人かが、

無意識に呼吸を止めた。


「……そうか」


常連は曖昧に頷き、

何を買いに来たのか、一瞬忘れた顔をした。


店の外から、中を覗く者もいた。

視線が中で止まり、

入るのをやめる。


――あとでいい。


そう判断させるだけの完成度が、

この小さな店にはあった。


少し遅れて、扉の鈴が鳴った。


男が一人、店に入ってくる。

背負い袋は軽そうで、武器らしいものは見えない。

服装も、旅人としては地味な部類だ。


「おはよー」


気の抜けた声。


「おはようございます」


ミアは顔を上げ、

ほんの一瞬だけ、表情を和らげた。


自覚はない。

ただ、いつもより少しだけ、声の調子が柔らかい。


「いつものですか?」


「うん。いつもの」


会話は短い。

だが、その短さに、違和感はなかった。


二人の間には、

説明しなくていい距離ができている。


常連の一人が、その様子を見て口を開いた。


「……知り合いか?」


「まあ、近所で」


男はそれだけ答える。


「ふうん」


それ以上、誰も踏み込まない。

踏み込む理由が、見当たらなかった。


ミアは品物を包みながら、

何気ない調子で尋ねる。


「今日は、街道を通ったんですか?」


問いは軽い。

ただの世間話だ。


「うん」


「……そうなんですね」


それで終わる。


だが、その一拍の間に、

ミアの視線は一度だけ、男の服元をなぞった。


汚れはない。

裂けも、血の跡もない。


それを確認してから、

何も言わずに包みを差し出す。


「はい」


「ありがと」


男は受け取り、少し考えてから言った。


「今日は、混んでるね」


「そうみたいです」


ミアは微笑む。


「理由は、分かりませんけど」


本当に分かっていなかった。


自分が視線を集めていることも、

店の空気を変えていることも、

考えたことがない。


彼女は、ただ立っているだけだ。


男が店を出たあと、

若い客が小さく息を吐いた。


「……すごいな」


「何が?」


「いや……なんていうか」


言葉が続かない。


別の客が、代わりに言った。


「ミアちゃんって、ほんと可愛いよな」


その言葉は軽かった。

だが、否定する者はいなかった。


ミアは聞こえていない。

聞こえていたとしても、

意味を深く考えることはなかっただろう。


彼女はカウンターを拭き、

次の客を迎える準備をする。


それだけだ。


それだけなのに、

この街の「日常」は、

確実に彼女を中心に回り始めていた。


本人だけが、

それに気づいていなかった。

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