第12話
店の中は、昼前にしては静かだった。
客がいないわけじゃない。
人の気配も、街の音も、ちゃんとある。
ただ、落ち着いている。
ミアがカウンターの向こうで帳面をつけていて、
俺は店の隅の椅子に腰を下ろしていた。
「あー、暇だぁ」
口に出すと、
ミアが顔も上げずに返してくる。
「暇なら、外で呼び込みでもしたらどうですか」
「それは雇用契約に含まれてません」
「雇ってません」
「じゃあ自主的に休憩です」
「……勝手に休憩しないでください」
そんなやり取りをしていると、
扉の外で、足音が止まった。
軽い。
でも、迷いがない。
次の瞬間、扉が開く。
「――探しました」
はっきりした声だった。
澄んでいて、通る。
店に入ってきたのは、少女だった。
水色の髪。
肩より少し短いショートカットで、動くたびにさらりと揺れる。
光の当たり方で、色がわずかに変わるのが分かる。
体格は小柄。
細いが、弱そうではない。
余計なものを削ぎ落とした、冒険者の身体。
腰の左右に、短剣が一本ずつ。
双剣使いだと、一目で分かる。
立ち姿が、やけにきれいだった。
「……」
俺は、その姿を見た瞬間に分かった。
「ああ」
思わず、声が漏れる。
「お久しぶりです、カイル先生」
少女は、深く頭を下げた。
礼儀正しい。
けれど堅すぎない。
顔を上げた瞬間、
視線がまっすぐ俺に向く。
――隠す気、ゼロだな。
好意が、はっきりしている。
でも、押しつけがましくはない。
「久しぶり」
自然に、そう返していた。
「お元気そうで何よりです」
そう言って、少女は小さく笑った。
その笑顔を見た瞬間、
俺ははっきり理解した。
……これは、最初からだ。
「……知り合い、ですか?」
ミアの声が、少しだけ硬い。
俺は、その変化にすぐ気づいた。
「昔、仕事でな」
「初心者冒険者の指南をしていただいていました」
少女が、すぐに補足する。
「名前は、リンです」
「リン」
俺は、軽く頷く。
「最初は、本当に何もできなくて」
リンは、少し恥ずかしそうに笑う。
「剣も、まともに振れませんでした」
「突っ込んで倒れてばっかりだったな」
「……はい」
否定しない。
「でも」
リンの声が、少しだけ真面目になる。
「一度、判断を間違えて」
店の空気が、わずかに張る。
「魔物に囲まれました」
「逃げられなくて」
「そのとき」
リンの視線が、俺に戻る。
「先生が、前に立ちました」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「何も言わずに」
「でも、気づいたら」
「全部、終わっていました」
余計な説明はない。
「……命、助けてもらいました」
リンは、もう一度、深く頭を下げる。
「それから、一緒に何度か冒険しました」
「短い期間でしたけど」
「すごく、楽しかったです」
ミアが、黙って聞いている。
視線が、俺から離れない。
リンは、はっきり言った。
「それで、好きになりました」
一切の迷いがない。
「最初からです」
ミアの指が、ぴくっと動く。
「……す、好き、って」
声が、わずかに揺れた。
リンは、ミアを見る。
敵意はない。
でも、引く気もない。
「はい」
「カイル先生が、好きです」
真っ直ぐすぎる。
「……」
俺は、頭を掻いた。
「覚えてるよ」
正直に言う。
「全部は無理だけど」
リンの表情が、ぱっと明るくなる。
「それで、先生がここにいると聞いて」
「探しました」
「仕事も、街も、関係なく」
「ただ、会いたくて」
沈黙が落ちる。
ミアの視線が、痛い。
「……そう、なんですね」
ミアの声は丁寧だった。
でも、感情を抑えているのが、はっきり分かる。
「カイルさん」
名前を呼ばれる。
「こういう話、初めて聞きました」
「話す機会もなかったしな」
「……そうですか」
ミアは、帳面を強く握る。
「じゃあ」
少し間を置いてから、言う。
「私、邪魔でしたか」
即座に立ち上がった。
「違う」
即答だった。
「邪魔じゃない」
ミアが、驚いた顔をする。
リンも、少し目を丸くする。
「俺は、ここにいる」
「それだけだ」
「誰かを選んでるわけでもない」
正直な言葉だった。
でも、それが一番、火をつける。
ミアの胸の奥に。
「……そういうところです」
ミアが、小さく言う。
顔を伏せる。
リンは、その様子を一瞬見てから、俺に向き直る。
「先生」
「はい」
「私は、待てます」
はっきり。
「昔も、そうでしたから」
「先生が前に立ってくれるなら」
「私は、後ろでもいいです」
ミアの唇が、ぎゅっと結ばれる。
嫉妬が、隠れていない。
「……」
俺は、内心でため息をついた。
「参ったな」
呟く。
でも、不思議と嫌じゃない。
二人の視線が、俺に集まる。
空気が、張りつめる。
その中心に、自分がいる。
「とりあえず」
俺は、軽く笑った。
「店の中で戦うのは禁止です」
リンが、すぐ答える。
「戦いません」
ミアも、少し遅れて。
「……しません」
でも。
視線だけで、もう火花が散っていた。
俺は、椅子に座り直す。
「あー……」
「忙しくなってきたなぁ」
本音だった。
この日を境に、
俺の日常は、確実に騒がしくなり始めていた。




