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第1話 

その日、街道で魔物が死んだ。


誰にも倒されたところを見られず、

誰にも戦った記憶がなく、

ただ結果だけが残った。


死体は、街道の中央にあった。

横倒しではなく、伏せるような形で、道を塞ぐでもなく、まるで最初からそこに置かれていたかのように。


逃げた痕跡はない。

足跡も乱れていない。

周囲の草木も、不自然なほど静かだった。


武器の欠片は見つからなかった。

魔法の痕跡もない。

焦げ跡も、血の飛沫も、地面を抉った跡もない。


それなのに、確かに――死んでいた。


魔物は中型。

この街道では、討伐依頼が出る程度には厄介な種類だ。

熟練の冒険者が数人がかりで相手をするのが普通で、一人で仕留めるにはそれなりの覚悟と準備が要る。


衛兵は死体の前で腕を組み、何度も首をひねった。

冒険者たちは一定の距離を保ち、誰も近づこうとしなかった。


「討伐報告は?」


「ない」


「目撃は?」


「それも、ない」


問いと答えは短く、会話は続かなかった。

続けようとしても、言葉が噛み合わない。

因果が、どこにも見つからなかった。


その時間帯、街道を使った者がいなかったわけではない。

だが、誰一人として「戦いを見た」とは言わなかった。


「……気味が悪いな」


誰かがそう呟いたが、反論はなかった。


結局、魔物の死体は「原因不明」として処理され、

街道は何事もなかったかのように再び使われることになった。


異常は、片づけられた。

だが、消えたわけではなかった。

―――――――――――


その頃、街のはずれにある小さな商店では、いつも通りの朝が始まっていた。


木製の扉が開く音。

乾いた鈴の音。

それを合図に、店の中に空気が流れ込む。


「おはようございます」


店の奥から、明るい声が返る。


「おはよー」


入ってきた男は、気の抜けた返事をしながら、棚の前で立ち止まった。

背負い袋は軽そうで、武器らしいものは見当たらない。

服装も、どこにでもいる旅人と変わらない。


「今日はパンだけ?」


声をかけたのは、店員の少女だった。


黒髪を後ろでまとめ、エプロンをきちんと着けている。

年の頃は十代半ばだろう。

笑顔は自然で、作った感じがしない。


「うん。それと水」


「はいはい」


少女は慣れた手つきで商品を揃え、カウンターに置いた。


その様子を、店の常連客が何気なく見ていた。

そして、少しだけ視線が止まる。


少女が、というより――

少女と話している男のほうに。


「……ミア、今日も忙しそうだな」


常連の一人が、からかうように言った。


「忙しくないですよ。ただの朝です」


少女――ミアは、軽く肩をすくめて答えた。


男は会話に入らず、ぼんやりと店の外を見ていた。

街道の方角。

朝の光が、建物の影を長く引き伸ばしている。


「そういえばさ」


別の客が口を開いた。


「今朝の街道、知ってるか?」


ミアが首を傾げる。


「街道?」


「魔物が死んでたらしい」


「え」


一瞬、店の空気が止まった。


「倒されたところを見た人がいないんだと」

「戦った記憶もないらしい」

「なのに、死体だけがあった」


噂は噂として、軽い調子で語られていた。

だが、どこか言葉を選んでいるようでもあった。


男は、ようやく視線を戻した。


「ふーん」


それだけだった。


驚きも、興味も、恐れもない。

まるで、天気の話でも聞いたかのような反応。


「……怖くないんですか?」


ミアが、少しだけ声を落として聞いた。


「なにが?」


「魔物ですよ。原因不明って」


男は考えるように一瞬黙り、それから言った。


「別に。もう死んでるなら」


それ以上は、何も言わなかった。


常連たちは顔を見合わせたが、深く突っ込む者はいなかった。

この街では、余計な詮索は長続きしない。


会計を済ませ、男は袋を受け取った。


「いつものとこ?」


ミアが聞く。


「うん。いつもの」


扉を開けるとき、ミアはふと気づいた。


男の服は、やけに綺麗だった。

街道を歩いてきたにしては、埃も、血の跡もない。


――でも。


そういうことを口に出すほど、彼女は無粋ではなかった。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


鈴の音が鳴り、扉が閉まる。


男は外に出ると、大きく伸びをした。


「あー、暇だぁ」


誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。


街は平和だった。

噂はすぐに別の話題に流れ、魔物の死は「よく分からない出来事」として記憶の隅に追いやられていく。


ただ、街道には今日も人が通り、

商店は朝を迎え、

男は何事もなかったように日常を生きている。


それだけだ。


それだけなのに――

何かが、確かに噛み合っていなかった。


説明されることのないまま、

その違和感だけが、静かに残っていた。


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