第12話 豊漁祭2
工房での三日三晩にわたる作業の末、ついにそれは完成した。
ナギの漁具一式は、リアムの手によって、魂を吹き込まれたかのように生まれ変わったのだ。特に、祖父の形見であるルアーは、リアムの技術と知識の結晶として、新たな命を宿していた。
「すげえ……。これが、俺のルアーか……?」
ナギは、手のひらの上で淡い虹色の光を放つそれを、ただ呆然と見つめていた。彼の喉が、感動で「キュル……」と小さく鳴る。
「まだだ」
と、リアム。
「道具は、使い手がいて初めて完成する。行くぞ、ナギ。こいつの本当の力がどんなものか、確かめに行く」
その言葉は、まるで我が子の初陣を見守る職人のよう。二人の、特訓の日々の始まりだった。
場所は、いつもの川辺。ナギは、生まれ変わった釣竿を手に、大きく振りかぶった。
「いくぜ、リアム!」
ヒュッ、と風を切る鋭い音。ルアーは、光の矢のように、一直線に川の中心へと飛んでいく。
「うおっ! なんだこれ!?」
驚くナギ。今までの半分くらいの力で、倍以上の距離が飛んだのだ。
「竿の芯材に、反発力の高い金属線を編み込んである。竿のしなりを信じろ」
川岸の切り株に腰掛けたリアムから、製作者としての冷静な声が飛ぶ。ルアーが水中に着水すると、その真価が発揮され始めた。
ぽぅ、と淡い光が灯る。そして、ナギがリールを巻き始めると、その光が、青、緑、黄色と、くるくると色を変え始めたのだ。
「うわっ! なんだなんだ!? ちかちかする!」
「慌てるな。ルアーが、周りの魚たちの魔力波を拾っている証拠だ」
「どれが虹鱒なんだよ!?」
「本命の虹鱒なら、『深い虹色』に光るはずだ。それ以外は雑魚か、川底の鉱石に反応しているだけ。見分けろ」
リアムの返答は、あくまで仕様説明。あとは使い手の仕事だ、とでも言うように、彼はそれ以上口を開かなかった。しかし、言うは易し。ナギは、目まぐるしく変わる光の情報に、すっかり翻弄されていた。
「あっ、今、虹色っぽかったぞ! いや、黄色か? うおお、どっちだ!?」
完全にパニックだ。彼の耳は、混乱してぺたんと伏せられている。何度か竿を振るうものの、釣れるのは目的ではない小魚ばかり。
「くそっ! 全然わかんねえ!」
ナギは、ついに釣竿を岸辺に置くと、頭を冷やすように、ざぶざぶと川に入って顔を洗った。新しい道具は、確かにすごい。だが、今の自分には、まったく使いこなせていない。焦りが、彼の心を支配していた。
ナギは、川の中に立ったまま、じっと水面を見つめた。子供の頃、祖父によく言われた言葉が、ふと頭をよぎる。
『いいか、ナギ。道具に頼りすぎるな。一番大事なのは、川の声を聞くことだ』
そうだ。じっちゃんはいつもそう言ってた。ナギは、ゆっくりと目を閉じた。光の情報を、一度、頭から追い出す。そして、全身の感覚を研ぎ澄ませていく。
足の裏に感じる、水の冷たさと流れの強さ。頬を撫でる、風の向き。竿を握る手に伝わる、糸の張り。そして、耳に届く、川のせせらぎ。
五感の全てで、川と一つになる。それこそが、ナギが祖父から受け継いだ、一番の武器だった。魚の気配。水の流れの変化。ほんのわずかな違和感。
集中しろ。川の声を聞け。
ぴり、と。ナギの感覚が、何かを捉えた。
すぐそこの岩陰。間違いなく、大物の気配。
その瞬間、ナギは、はっと目を開けた。そして、水中のルアーに視線を送る。
――光っていた。今まで見ていたどの光とも違う、深く、鮮やかな虹色の光が。
これか!
ナギの心に、電流のような閃きが走った。光は、答えじゃない。俺の感覚を、見やすくしてくれる『しるし』なんだ!光に頼るんじゃない。自分の感覚を信じ、光で答え合わせをするんだ!
「おおおおっ!」
ナギは、雄叫びを上げた。迷いは、もうない。彼は、感覚と光が示した一点に向かって、完璧なキャストを決める。
そして、数秒後。水面が、激しく爆ぜた。竿が満月のようにしなり、壮絶な格闘の末、ナギは見事な大きさの虹鱒を、高々と釣り上げていた。
「やった……! やったぞ、リアム!」
ナギが振り返ると、切り株に座っていたリアムが、静かに頷いていた。その口元が、ほんの少しだけ、緩んでいるように見えた。
その日を境に、ナギは急速に成長した。彼本来の漁師としての鋭い感覚と、リアムの技術の結晶であるルアーの情報。二つが組み合わさった時、ナギはもはや、ただの陽気な若者ではなかった。川の流れを読み、魚の位置を正確に把握する、凄腕の漁師の姿がそこにあった。
そんな二人の特訓は、すぐに街の噂になった。最初は遠巻きに見ていただけだった人々も、日を追うごとに、その輪を広げていく。
「よお、ナギ! そのピカピカ光る道具、ようやく手懐けたみてえだな!」
軽口を叩きながら現れたのは、ライバルのカイだ。
「カイ! 当たり前だろ! これと俺は、もう一心同体だからな!」
ナギが胸を張ると、カイは悔しそうに、でもどこか嬉しそうに鼻を鳴らした。また、ある日には。
「ナギちゃんも、リアムさんも、頑張ってるねえ」
パン屋のエルナさんが、焼きたてのパンをたくさん差し入れてくれた。
そして、その後ろからは、小さなエルフの女の子、フィアが、もじもじしながら顔を出す。その手には、一枚の絵。そこには、大きな魚を釣って笑うナギと、その隣で少しだけ微笑んでいるリアムの姿が、一生懸命に描かれていた。
リアムは、無言でその絵を受け取ると、工房に帰ってから、作業台の壁に、そっと貼り付けたのだった。
川の対岸からは、ドワーフの頑鉄が、腕を組み、仁王立ちでこちらを睨んでいることもあった。目が合うと、彼はいつも「ふん」とそっぽを向いてしまう。
だけど、彼が二人のことを気にかけているのは、誰の目にも明らかだった。街のみんなが、ナギの挑戦を、そして、それを支えるリアムを、温かく見守っている。
その応援が、二人の力にならないはずがなかった。大会への準備は、万全に整いつつあった。




