お前は強いな
夜の空気は涼しくて、月が王宮の白い壁を青く照らしていた。風が吹くたびに、薄い帳がゆらりと揺れる。外は静まり返り、寝殿の中にも人の気配はほとんどなかった。
真珠は寝室の扉を静かに閉めた。その背中を見ていたウルは、低い息を吐いたまま動かなかった。灯火がゆれる部屋の中央、長椅子に深く座って、肘を膝に置き、額を覆っている。
その姿は王太子ではなく、ただの男のように見えた。真珠はそっと歩み寄り、その横に座った。無理に覗き込んだりはしない。ただ近くにいて、肩が触れるか触れないかの距離を保った。
沈黙。
ウルは何も言わない。でも真珠は待った。夜は長い。言葉を絞り出すのに、どれだけ時間がかかってもいいと思った。
そして、やがて。低くかすれた声が、空気を割った。
「……今日、文官たちが言ってた。式の日取りを決めろと」
真珠は微かに頷いた。
「うん、聞いてたよ」
優しい声だった。
ウルは深く息を吐いた。手のひらで顔を覆ったまま。
「……本当は、すぐにでもやりたい。神前で、お前を俺のものだと誓いたい。誰にも文句言わせたくない……でも」
喉が詰まる音がした。指先が震える。
「……またお前を、壊したらどうする…同じことをしたら…俺は……俺が、怖い。」
真珠はゆっくりと手を伸ばした。彼の震える指に、自分の指を絡める。熱かった。男の手は大きくて、ごつごつしていて、でも今は子供みたいに頼りなく震えていた。
「……ウル」
真珠は低く囁いた。
「私、怖くないよ」
ウルが顔を上げる。青い瞳が、揺れていた。
「……お前は、怖くないのか。俺が、また……」
真珠は微笑んだ。優しく、でも芯のある笑みだった。
「私の国では女は度胸っていうのよ、だから私は決めたの。あなたのものになるって。王太子の后として、国のためにでもあるけど――何よりも、ウルのために」
言葉を切り、そっと瞳を細めた。
「私が逃げたら、あなたはきっと壊れてしまう。だから逃げない。壊されてもいいとは言わないよ。でも、私はもう逃げない」
ウルは目を伏せ、肩を震わせた。拳を握り締め、呼吸が荒くなる。
「……お前は、強いな」
声が掠れていた。
「俺より、ずっと強い」
真珠はその頬に手を当てた。大きな顔を、自分の小さな手で包む。
「ううん。あなたが弱いところを、私が埋めるの。それだけ」
ウルの瞳が潤んだ。震えた唇が何かを言おうとして、言えなかった。代わりに、真珠の手首を掴んで、そして引き寄せた。
そっと、静かに唇が重なった。
最初は恐る恐る。触れるだけのキス。でもすぐに、ウルの腕が真珠の腰を抱いた。真珠もその首に手を回した。
呼吸が熱を帯びた。舌が触れた瞬間、二人はもう止まれなくなった。荒い息が混じる。押し殺すような吐息が漏れる。腕の力が強くなる。
「……ウル」
真珠が微かに囁いた。
「大丈夫だよ」
その一言が、ウルを爆発させる。抱き寄せる腕が震えた。
「……お前が欲しい。全部欲しい。壊さない、でも……離したくない」
キスは深く、熱く、甘く、苦しいほどに交わされた。手が背を撫で、腰を引き寄せ、身体を重ねていく。口づけの合間に、互いの名前を呼んだ。吐息混じりの声が部屋を満たした。
そして二人の影は、ゆっくりと寝室の奥へ消えていった。月明かりだけが静かに、その扉を見つめていた。




