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言いにくい話

昼下がりの病室は、いつもより少しだけ穏やかだった。昼食を終えた真珠は、女官が片付けていくのを見送りながら、小さく息をつく。包帯はほとんど取れて、まだ薄いガーゼを当てた傷跡が痛々しいものの、もう自分で動けるくらいには回復していた。


医師の診察も終わり、あとは少し休むだけ。だからこそ、彼女はそのとき扉の向こうに人影があるのを見逃さなかった。


「……ウル?」


声をかけると、躊躇うようにゆっくりと扉が開く。そこに立っていたのは、いつもよりずっと気配を殺したウルだった。王族用の薄いガウンのような正装はきちんと着ているのに、髪はわずかに乱れていて、瞳の奥がぎらつきもせずに沈んでいた。


真珠はすぐに気づく。あ、これ。すごく言いにくい話をしに来た顔だ、と。


ウルは何も言わずに、そっと部屋に入ってくる。

ぎこちなく椅子を引き、真珠のベッド脇に腰かけた。その間もずっと、視線は床に落ちたままだった。


「……どうしたの」


真珠が優しく問いかけると、ウルの肩がわずかに揺れる。


「……」


黙ったまま、ウルは何度か言葉を飲み込むように唇を動かした。長い黒髪が揺れる。真珠はそれをじっと見つめて、ゆっくりと微笑んだ。


「……ウル」


柔らかく名前を呼んだ。ウルがびくりと反応する。真珠はベッドの上で体を起こし、そっと手を伸ばした。


「話していいんだよ、大丈夫だから」


ウルはその手を見つめた。紺碧の瞳がわずかに揺れる。ゆっくりと、その大きな手を真珠の手に重ねた。ぎゅっと握ったその感触が、あまりにも強くて、でも震えていた。


「……俺は」


低い声が、部屋の静寂を割った。


「……お前に、言わなきゃいけないことがある。でも……言いたくない」


真珠は少し目を見開いたけれど、すぐに微笑んだ。


「……いいよ。言いたくないなら、言わなくて。でも言いたいなら、ちゃんと聞くからね」


ウルは苦しげに息を吐いた。その瞳が真珠を射抜くように見つめたけれど、いつもの獣の光じゃなかった。弱さを隠せない、人間らしい光だった。


「……俺の血の話だ。俺の家の……王家の血筋の、厄介な話」


真珠はゆっくりと頷いた。


「うん、聞かせて?」


ウルは目を伏せ、唇を噛み呼吸が荒くなった。でも、真珠の手を離さなかった。


「……アメニアの王家には……呪いみたいなものがある。古い、もう伝説みたいなものだって言われてた。でも……俺は、それを色濃く受け継いでしまった」


真珠は眉を寄せた。


「……呪い、どんな?」


ウルはしばらく沈黙する。何度も喉が動いた。そしてやっとのことで、搾り出すように言った。


「……王家は……獣の血を引いてる、そうだ。支配者としての権威、力、威圧……全部、血筋で受け継いでる。それが……本当に欲しい女を、噛んで、自分のものにするって形で現れる」


真珠の脳内に、パッと過去の数々の噛み痕がフラッシュバックした。


思わず冷や汗が滲む。


(な、何?獣て!本当に噛んでたし!いや、洒落にならないんだけど!)


心の中で突っ込んだ。でも顔は一切崩さずにいた。


ウルは必死だった。声が掠れていた。


「……俺は、子供の頃から兆候があった。噛むのを我慢できなかった。女官にも、兄弟にも、母親にも……噛みつこうとして……」


大きな手が、ぎゅっと力を込める。


「……父もそうだった。王家の血が濃いほど、理性を削ぐ。支配欲を、独占欲を、全部……理屈じゃ抑えられなくなるんだ」


真珠はそっとウルの手を撫でた。


「……そうなんだ。教えてくれて、ありがとう。」


ウルはきれいな顔を歪める。


「お前を、こんな目に遭わせた。何度も、泣かせて、傷だらけにして……俺は……化け物だ」


真珠はふっと笑う。


「ウル。私は王子様を伴侶に迎えたんじゃない、ウルを迎えたの」


悲しみ沈んだ王子様の頬に、そっと手を当てる。


「血筋も、過去も、欲望も、全部含めて。……ウルでしょ?」


ウルは目を見開いた。呼吸が詰まる。


真珠は優しく微笑んでいた。


「噛むのも、支配したいのも……愛情表現だと思ってる。ちょっと痛いから、もう勘弁して欲しいけど」


ウルは小さく震える。紺碧の瞳がじっと真珠を見つめる。そこに、どうしようもなく脆い光が滲んだ。


「……お前、怖くないのか」


真珠は少し考えてから、正直に言った。


「怖いよ、でもウルじゃない。だから大丈夫」


ウルの喉が震える。真珠の手を持つ手が、少しずつ力を取り戻した。真珠はその手を包み込むように握った。


「ありがとう、教えてくれて。私にだけ、教えてくれて」


ウルはやっと、ほんの少しだけ、唇を歪めて笑った。でもその目は潤んでいた。


「……お前、馬鹿だな」


真珠は目を細めてにっこりと笑った。


「うん、ウルが好きな馬鹿だよ」


そして二人は、手を繋いだまましばらく黙った。でもその沈黙は、怖いものじゃなかった。お互いを許し合い、受け止め合うためのものだった。


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