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手放せない

翌朝、真珠は無言でフロントに立った。声を荒らげることはなかったが、強い語気で圧をかける。

 「昨晩の侵入について」

 「部屋の鍵の扱いについて」

 「利用者の権利について」

完璧な論理と、わずかな怒りの熱を帯びた口調に、スタッフたちは動揺を隠せなかった。結局、部屋はその場で変更された。


(あと二日…もう会わない)


念のため、フロントにも「特定の人物との接触を避けたい」と明言しておいた。もちろん名前は言わなかったが、あの黒い男で通じたようだ。それだけ、彼の存在は異質だった。


新しい部屋に荷物を移し終えた後、真珠は大きく息を吐いた。重たい疲労感が背中を這う。異国の地で、何かあっても助けてくれる知人もいない。誰かに相談することもできず、異様な侵入者の記憶だけがじわじわと心を蝕んでいた。


(…気を取り直そう)


そう思って選んだのが、大通りに面したご当地バーガーチェーンだった。観光客でも入りやすい雰囲気。そしてなにより――


「さすがに、ウルみたいな坊ちゃんがこんな店に来るわけないわよね」


思わず小さく笑いながら、真珠はご当地限定のアボカド&ベーコンバーガーを手に取る。スパイスの効いたソースが香ばしく、トマトも肉厚でジューシーだった。


「…うん、うまっ」


ようやく気持ちが少しほぐれてきたその時だった。入り口のドアが開き、黒づくめの長身の男が、どこか気品を漂わせながら入ってきた。


(…うそでしょ)


真珠の表情から、すべての色が削げ落ちた。


「よく食べるんだな、君は」


ウルは真珠の前に立った。おそらくベールの下ではあの笑みを浮かべているのだろう。どこまでも不遜で、興味の対象を眺める眼差しだった。


「…用件は?」


「偶然だよ」


あまりにも白々しい言葉に、真珠は呆れて返す気にもなれなかった。その時、バッグの中で社用スマホが震えた。画面には、会社の後輩である有瀬くんの名前。ためらいながらも通話ボタンを押す。


「……もしもし?」


『あっ、先輩!? すみません、急ぎで…例のクライアント向けの資料…僕の端末に最新が残ってなくて…!』


明らかに混乱した声。海外出張中の自分にかけてくる時点で、相当困っているのだろう。


「落ち着いて、有瀬くん。あのデータはクラウドにも保存してるはずよ。ディレクトリの共有タグを“CT-03”で検索して。中にExcelとPDF、両方あるはず」


『あ……あった!! ありがとうございます!』


「自分で見つけられたんだから、大丈夫。あとは任せたわよ」


通話を切った後、真珠はようやく顔を上げる。ウルが、じっと自分を見つめていた。


「……何よ」


「君、仕事に対して妙に熱があるな」


「当たり前でしょ。好きなことしかやってないもの」


ウルはその言葉を噛み締めるように反芻し、椅子を引いて向かいに座った。


「…君くらいの年代の女は、結婚にばかり興味があるのかと思っていた」


「ん? ないわよ。仕事してる方がずっと楽しいし、自由だし。誰かのペースに合わせて生活するなんて、まっぴらごめん」


「それは……面白いな。俺と、考え方が似ている」


「あなたもそうなの?」


 真珠が不思議そうに問うと、ウルは短く息を吐いた。


「…俺の結婚は、政略だ。相手も選べない。子を作り、跡を継がせる。幸福など、初めから存在しない」


「ふうん……そんなに冷めてるんだ」


「現実を見ているだけだ」


真珠はバーガーの包装をたたみながら、ふっと微笑んだ。


「…でもさ、誰であっても、幸せになる権利ってあるんじゃない?」


その言葉に、ウルの視線がわずかに揺れた。


「……幸せ?」


「うん。自分が幸せじゃないと、結婚する相手にも失礼だし…あなたが守ろうとしてる“会社”の人たちだって、幸せになれないでしょ?」


ウルは少し目を見開き、そして鼻で笑った。


「……君は、“俺が会社を守ってる”と思っているのか?」


「うん。だって……雰囲気的に、石油王の息子とかでしょ?」


真珠は肩をすくめた。冗談半分のつもりだったが、ウルは黙って彼女を見ていた。そのまなざしには、何か静かな驚きと――熱のような執着が宿っていた。


(この女は……)


ただの観光客、ただの女。けれど、世界のどこにもいなかった。媚びず、恐れず、自分と似た思想を持ち、なおかつ俺を正面から否定しなかった唯一の存在。


(手放せない)


この女は――俺の所有に値する。

ただ欲しいのではない。

手元に置かなければならない。

この命が尽きるまで、囲い続けなければならない。


ウルは静かに立ち上がり、椅子を押し込む。


「ありがとう。話せてよかった」


「…なに急に」


「今日はここまでにしてやる。君にまた逃げる余地を与えよう」


「何様のつもりよ」


「王様だ」


にっこりと、完璧な笑みを浮かべ、ウルは去っていった。真珠はその背中を見送りながら、やはり小さくため息をついた。


(……あれが、石油王ってわけないわよね)


けれど、なぜか――彼との会話は、不快ではなかった。


本当は、真珠の仕事熱をもっと語る回にしたかったのですが、力及ばずでした。真珠の仕事ジャンキー具合はかなりなもので、仕事をして成果を出す=生きる意味 くらいには仕事脳に仕上がっています。恋人に割く時間すら惜しいと思い、また犬猫に癒しを求めるわけでもない。仕事は生きる目標であり癒し、くらいには狂ってます。

そんな仕事ジャンキー姿を見て、意外にも自分の考え方と近いと感じたウルは更に興味を持つって流れです。

ウルもかなりの仕事ジャンキーです。母国の執務室は基本デスマーチが標準で、側近たちは体力がないとついていけないため、文官なのにマッチョっていう面白い人たちが揃っている設定です。

今までウルの周りにいたのは、貴族の娘や有力者の血縁女性、美人で名高い世界的女優やモデルばかりで、ストイックに仕事に打ち込む女性は皆無です。「面白い女」から「手放したら二度と手に入らない女」へのシフトチェンジを、スムーズに行い、たかったです。

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