青を纏う
神前婚約式の準備は、想像以上に煩雑だった。衣装、装身具、香油、誓約の巻物、神殿への献花。特に后となる女の衣装は、王宮の女官たちが何度も図案を持ってきては、真珠を囲んで頭を下げたり顔を見合わせたりしていた。
「この金糸の刺繍を、もっと光沢の強いものに……」
「裾は銀の飾り房をつけて……」
「ええ、でもこの青は王太子殿下のご意向でして……」
真珠は鏡越しに、女官たちがヒソヒソと交わす視線を見た。彼女の目元を確かめるようにして、そして一様にため息をついている。
「そうよねぇ、殿下からは“青以外は使うな”とのお達しだものね……」
真珠は、ぴくりと眉を上げた。
「え?」
女官長が困り果てた顔で首をすくめた。
「殿下のご命令でございます。后様のお召し物の色はすべて青系に統一せよ、と」
真珠はしばらく黙った。青以外は、使うな――まるでこの身体の上から、ウルの目の色で覆いつくすように。
女官が気まずそうに目を伏せる。
「申し訳ございません……でも王太子殿下は“最も美しく仕立てろ”とも仰せで……」
真珠は小さくため息をついた。そして鏡に映る自分の顔を見つめる。瞳を縁取る濃い青色の衣装。刺繍糸も宝石も全部、あの人の瞳を思わせる深い青。思わずため息が出た。
「はぁ……」
真珠のいる王宮の衣装室は、夕暮れの光に青の反射で満ちていた。深青、瑠璃、群青、藍――どの反物も、どの糸も、どの宝石も、あの人の瞳を閉じ込めたような色ばかり。
(変だなと思っていたけど、まさかねぇ)
真珠はもう一度溜息をつきながら、鏡の前で布を肩に当ててみた。青い、青すぎる。似合うのかどうかすら、もはや分からない。
前から青い衣装ばかりだなとは思っていた。真珠自身、青色は似合う方だと思っている。そもそもブルベなのだ、似合うはず。王宮に来たばかりは、青以外もあったと思う。いや、どうだったかな?
(紫とか、碧みたいな色までしかなかったかも)
真珠の住んでいた日本において、相手の瞳の色を纏うという文化はない。本や映画の話として知識があるくらいなのだ。
わかりやすすぎて、もう呆れるしかない。でも、どうしようもなく頬が熱くなった。
そのまま、真珠は大きなため息をつきながら自室に戻った。考え込む暇もなく部屋の扉が強く、ノックもせずに開いた。衣装選びの報告を受けたウルが部屋に入ってきたのだ。真珠はベッドの端に座り、腕を組んで睨んだ。
「……ウル」
青い瞳が真珠を射抜く。部屋が一気に狭くなるような存在感。ウルは扉を閉め鍵をかけ、そしてゆっくりと歩み寄った。
「青以外を着るな」
短く、それだけを繰り返す。真珠は眉をひそめた。
「なんで」
ウルは立ち止まる。彼女との距離はわずか数歩。
「俺の色を纏え」
「え?」
ウルは眉ひとつ動かさず、彼女を見た。
「そのままだ」
「私が選べる色は?」
「青だ」
「他は?」
「ない」
真珠は息を呑んだ。言葉が詰まる。ウルは悠然と歩み寄り、真珠の顎に指をかけた。その青い瞳が、真珠を閉じ込めるように覗き込む。
「お前が他の色を纏うのを俺は見たくない」
「どう、して」
ウルは更に一歩近づいた。手を伸ばし、真珠の頬に触れた。冷たい指先が、優しくも逃がさない。
「お前が何を着ても構わん。だがその色は、俺のものでなければならない」
真珠は口を開きかけたが、言葉が出なかった。心臓がうるさく鳴る。
「俺の色を纏え」
真珠の心臓が大きく跳ねた。目を逸らしたくても、指先が離してくれなかった。
「……子供みたい」
思わず呟いた声が震える。
ウルはその一言で目を細めた。
「お前にだけだ」
その声が少しだけ低く、拗ねたように響いて、真珠は目を瞬いた。ああ、この人は本当に――誰よりも強くて、誰よりも幼くて、どうしようもないほどに自分を欲しがってくる。
真珠は思わず笑った。今度は隠しきれずに、声が零れた。
「……本当に、面倒な人」
ウルはその笑い声に目を見開いた。そして腕を伸ばし、彼女を抱き寄せる。抵抗できないほど強く、だが震えるほど優しく。
「……わかったわ」
真珠はそっと目を閉じた。頬が赤いのを悟られたくなくて。真珠はその胸に押しつけられた顔を少しだけ上げた。
「でも、青ばっかりでいいの?」
ウルの指がそっと頬を撫でた。
「俺の后だ、世界に見せてやれ」
真珠は小さく息を吐いた。
「青ばっかりじゃ目立つわよ」
ウルは口元をわずかに緩める。
「上等だ、見せつけてやればいい」
その言葉に、真珠は堪えきれずに笑った。小さな声で、でも確かに笑った。
「ほんと、馬鹿みたい」
ウルは眉を寄せたが、次の瞬間には真珠を強く抱きしめた。その腕の強さに、逃げられないことをまた思い知らされる。真珠はその胸に額を預けた。
「独占欲、強すぎ」
ウルは低く息を吐き、髪に口づけた。
「お前にはそれが似合う」
真珠は頬を赤くしながら、でも拒まずに目を閉じた。ウルの青い瞳に覆われるような夜が、また一つ増えるのを感じながら。
でも今夜は、それを拒む気になれなかった。




