后の目覚め(真珠side)
夜の後宮は、しんと静まり返っていた。襲撃のあった翌日とは思えないほど、異様に整えられていた。割れた壺も、血の跡も、燃えた絨毯も、すべてが片付けられていた。まるで何事もなかったかのように。
でも。私の頭の中では、まだあの音が鳴り響いていた。発砲音。剣戟の音。怒号。アサナの必死な声。
誰かの呻き声。悲鳴。そして、火薬の匂いと血の匂い。
ベッドの上に座り込んだまま、両手を握った。その手は僅かに震えている。
ウルがいなくなった、その隙を狙われた今回の事件。命を奪われるかもしれなかった。連れ去られて、二度と帰れなくなるかもしれなかった。そんな未来を想像し、足元が沼に沈むような錯覚に陥る。
思い出すのは、あの夜の、冷たいナイフの感触。自分で自分を傷つけた日のこと。
「死にたくなかった」
声に出したら、喉が震え、涙が溢れてきた。
どれだけ泣いたんだろう。後宮に閉じ込められてから、何度も泣いた。
「帰りたい」「自由にさせて」「触らないで」「嫌だ」「お願い」「助けて」「愛してる」
ウルに泣きついて、縋って、言いなりになって。結局は、怖くて逃げることもできなくて。死ぬことさえ未遂でしかなかった。
あの時の私、本当に情けなかった。泣くことしかできなかった。ウルが来れば抱きついて震え、抱きしめられたら、縋りついていた。
あんなにも強く愛されて、でも逆にそれが怖くて。でももう離れることもできなくて。後宮という檻の中で、私は私じゃなくなっていた。
「后様」「妃殿下」「王太子妃」「後宮の主」
全部、与えられたもの。自分で獲得したわけじゃなく、今や受け取るだけの人間になってしまっていた。
でも昨日、突きつけられた。「后」でいることが、どれだけ重いことか。ただの妻じゃない。王太子の后は、国そのものだ。外国人だからこそ、余計に憎まれるだろう。反感も買うだろう。今後も命を狙われるかもしれない。
アメニアという国が、私を拒んでくる。「なんでお前が后なんだ」それを認めさせないといけない。
――怖い。今も、手が震えてる。泣きたいし逃げたいし、守ってほしい。でも――もう、それだけじゃだめだ。昨夜、死ぬほど怖かったからこそわかった。あんな思い、もう二度としたくない。泣いて震えて、ただ守られるだけの私なんて、終わりにする。
私は、王太子の后なんだ。アメニアの次期王妃。この国を背負う女。守られるだけじゃなく、これからは守る側になる。
ウルの檻に閉じ込められて、美しいものに囲まれて、美味しいものを食べるだけの人生なんて。鉄壁に守られいてる檻の中で、儚く笑うだけの人生なんて。そんなもの、こっちから願い下げた。
だから私は、逆にウルを閉じ込め返すことにしよう。この国に受け入れられる后になる。外国人だろうがなんだろうが、関係ない。
私を選んだウルの目を思い出す。あの紺碧の瞳。誰も拒めない支配の光。でも、私にはあの目が、泣きそうに揺れていた日もあったことを知っている。
「閉じ込めたくないのに、閉じ込めてしまう」
あの人もまた、不器用に愛しているだけ。私が変わらなきゃ。ウルの隣に立つ女になる。守ってもらうだけじゃなく、肩を並べて国を背負う女になる。
深く息を吐いた。手はまだ震えていたけれど、指を組み締める。溢れそうな涙を拭った。
「大丈夫。大丈夫だから」
自分に言い聞かせた。
「私は后だもの。もう、泣いているだけの女じゃない」
そしてゆっくりと立ち上がった。まだ足は少し震えたけど、一歩前に出た。この国で、王太子の后として、生きてやる。その覚悟を決めた夜だった。




