未来の王妃
重い金の扉が開いた瞬間、王宮の大広間に凍りついた空気が走った。白い大理石の床は磨き抜かれて鈍く光り、天井のランプが青白く燃えている。長く敷かれた深紅の絨毯の先には、高い玉座。そこに王太子が座していた。
その横に、見慣れない小さな椅子が置かれている。真珠はそこに座らされていた。長いドレスに包まれた体をこわばらせ、しかし背筋を伸ばしていた。無数の目が、彼女に注がれていた。王族に跪き、額を床につけた男たちの視線。敵意と恨み、恐怖、羞恥が入り交じっていた。
ウルは何も言わない。ただ冷たい紺碧の瞳を細めるだけ。その視線だけで、全員が震えた。
『全員、顔を上げろ』
その低い声が、青ざめた壁たちに響く。震えるように顔を上げた族長たちの目に、ウルとその隣にいる異国の女の姿が映った。
『言え』
ウルの声が鋭く落ちる。
『お前たちがここに何をしに来たのか』
しばらくの沈黙。そして、一人の老いた族長が、声を絞り出した。
『……王太子殿下……アメニアの後宮に刃を向けた愚行、拭いようもない不忠……』
族長の声は震えていた。ひどく緊張し、恐怖にのまれながらも懸命に謝罪の言を紡ぐ。
『我ら一族……一同、謝罪を申し上げます……!』
そのまま地面に額を思いっきり打ちつけた。鈍い音が鳴り、血が滲み床を赤く染める。
その後を追うように、全員が地面に額をつけた。上衣の裾を広げ、礼を尽くす姿勢を見せながらも、顔は引き攣っていた。これが王国中の有力族長。その面子を全て潰す儀式だった。ウルが意図的に作った屈辱の場だった。
真珠は座っているのが辛かった。胸が締め付けられる。自分を陥れようとした男たち、関与は薄いと言いながら金を流していた男たち。何もしていない人たちは、この場に呼ばれて土下座する他の族長の姿を見せられる。次はお前だと言わんばかりに。
土下座は、その全てが、自分に向かって頭を下げている。重たい沈黙の中、心臓の音が異様に大きく響いた。
次の瞬間、ウルが動いた。背を伸ばし、視線をゆっくり全員に落とす。
『今回の件をもって、後宮に牙を剥いた全ての派閥を粛清が完了した』
声は低く、抑制されていた。だがその静けさが、逆に全員の背筋を震わせる。
『お前たちも知っているだろう』
紺碧の目が鈍く濁って行く。
『関与が薄いなど言い訳にもならない。許すのは俺だ。赦さないのも俺だ』
震えた息が広間を支配する。族長たちの額から汗が落ちた。
『この場は謝罪を受け入れる場だ。だが忘れるな、お前たちは俺の前で頭を下げた。それを一生、背負って生きろ』
声は冷たく刺した。
『二度はない』
族長たちは一斉に頭を下げた。
『はは……っ……』
誰かが嗚咽を漏らした。それすら許されているようで、他の者はさらに深く額を床に擦り付けた。
そしてウルの視線が、隣に座る真珠に向く。真珠はその目を見返した。初めて見る、王太子として人を従わせている姿が、あまりに自分が知っている姿とかけ離れていたから、純粋に怖かった。でも視線は逸らさない。必死に見返していると、ふとウルの目が細くなった。だがすぐに再び全員を睨み据えた。
『聞け』
静かに告げたその声は、まるで死刑宣告のよう。
『この女は、俺の妻だ』
誰かが息を呑む音が響く。
『アメニア王太子の后だ。未来の王妃だ』
ウルはわずかに前のめりになる。
『お前たちは、今日から俺と同じように、この女に頭を下げる』
族長たちの顔色が変わった。
『あの襲撃は、この王国の后を狙った行為だ。お前たちは、その恥を一生背負う』
震える息が集団を襲う。真珠は心臓を掴まれたように息を止めた。
ウルの声は鋭く、そして抑え込むように低かった。
『だが、二度とこんな真似をさせない。させたら、今度は国ごと潰すだろう』
静まり返った空間に、紺碧の目が光った。
『だから俺は、この女をこの場に伴わせた。これからも伴わせる』
囁くようでいて、決して逃げられない声。
『政務、公務、祭礼、軍議。俺がいる場所に、必ずこの女はいる』
族長たちの目が見開かれた。そんな慣例は王宮にはない。王妃は後宮にいるもの。それを覆す宣告だった。
『俺が守る。俺が示す。この国は俺そのものだ。この女も俺のものだ。お前たちは、その事実を受け入れろ』
誰も声を上げられず、頭を下げたまま震えた。拒むことは死を意味しているのだから。
ウルが背を伸ばし、真珠の手を取った。冷たい指先が絡む真珠は肩を揺らしたが、手を離さなかった。
「立て」
低く命令する声。それを聞いて、真珠は立ち上がった。その場にいる全員が、その姿を見上げる。緊張で胃がねじれるように痛む。次にウルの声が静かに響いた。
『見ろ。これが俺の后だ。頭を垂れろ』
全員が、床に額を叩きつけた。広間が震えるほど、土下座の音が響き渡る。恐怖と屈辱が渦巻く中で、ウルだけが冷たく目を細める。
真珠はその場に立たされ、一瞬泣きそうになる。だが泣かなかった。こんなことでいちいち泣いてやるもんか、真珠は気を強く持つように自分を言い聞かせる。
その横で、ウルの指先は一度だけ震える。けれどそれをすぐに握り直した。全員を見下ろしながら、王太子は口を開いた。
『今日から、この国は変わる』
その声が重く広間を支配した。
『お前たちの古い秩序は、今日で終わりだ。俺と、この女のための国にする』
吐き捨てるように言い放つと、沈黙が重たく落ちた。ただ蝋燭の火が揺れ、無数の影が床に伸びた。そして、全員の絶望的な沈黙を背に、ウルは真珠の手を引いて、ゆっくりとその場を後にした。




