塵は塵に(ウルside)
薄暗い謁見室にただ一人座らされていた娘は、縛られた手首に赤い痕を刻みながら必死に息を整えていた。化粧は剥げ落ち、頬は濡れている。恐怖と憎悪が入り混じった目で扉を睨み続ける。
その時。重い扉が軋む音を立てて開いた。黒衣の裾を引きずり、ゆっくりとウルが入ってくる。護衛は誰もおらず、部屋にはただ二人きり。
娘は最初、希望の光を見出したかのように瞳を潤ませた。
『……殿下……!』
縋るように声を上げた。
『殿下、私は、私がこんな目に遭う理由なんて……ッ』
震えた声が尻すぼみになった。なぜならウルの目が、刃のように冷たかったからだ。まるで人間としてすら見ていない瞳だった。
『……殿下、お聞きください!』
娘は縋るように叫んだ。
『私は何も……!あの女が貴方を惑わせたんです!貴方は王位を継ぐお方、アメニアの血を汚すような女を正妃にするなんて許されない!』
『黙れ』
ウルの声が、刃のように切り裂いた。娘の言葉が喉で止まる。その紺碧の瞳が、射抜くように娘を見下ろした。
『貴様が何をしたか、全部吐かせた』
静かな声。低い、感情を押し殺した声だった。
『薬の手配、闇市との契約、襲撃者への金の流れ』
『……ち、違う!』
娘は悲鳴を上げた。
『私は殺せなんて言ってない!ちょっと……ちょっと懲らしめてやろうとしただけで……!』
『“ちょっと”?』
ウルが薄く目を細めた。
『薬漬けにして反抗心を削ぎ異国の闇市で売る計画が“ちょっと”か?』
一息に言い切る。ウルの本気の怒りに、娘の呼吸が荒くなった。
『そ、そんなの……父様が……!』
『貴様も金を積んだ』
女が最後まで言い終わる前に被せる。そもそも聞いていないのだ、彼女に理由など。
『《お高くとまる女は、豚のような男に抱かれるのがお似合いだ》――お前の言葉だ』
娘は顔面を蒼白にして口を塞ぐ。だが目には屈辱の火が宿っていた。
『……だって、あの女のせいで私は』
『真珠は貴様の存在も知らない』
ウルの声は静かだった。
『貴様が勝手に劣等感を抱き、勝手に汚そうとしただけだ』
『違う!!私はっ……正妃に相応しいのは私なのに!』
娘は喉を潰すように叫んだ。
『貴方は王なのよ!私は生まれながら貴族の娘で!!正妃になるべくして育てられた!!貴方は私を選ぶべきだった!!』
『選ぶ?』
ウルはゆっくり首を傾げる。紺碧の目がひどく冷たかった。
『貴様を?』
美しく妖しい毒のような笑みだった。
『汚物を后にできるわけないだろう』
娘の目が見開かれた。口が開き、声にならない悲鳴が漏れた。
『……殿下……貴方がこんなことを……!』
『俺が何をするか分かっているか?』
ウルは少し歩み寄る。その分、娘が腰を引いた。しかし縛られて逃げられない。
『貴様を国外に売る』
『いや……いや、いやいや!!』
『人間をやめる薬も、客も、全部貴様が用意した通りだ』
『待って!!嫌ぁ!!』
『“人を呪わば穴二つ”、后の母国の諺だ。さすがアメニアよりも長い歴史を紡ぐ国なだけある、言い得て妙だな』
少しだけうっとりしながら、ウルはその瞳を細めた。だが次の瞬間には、凍えるような紺碧に戻っていた。
『貴様が真珠に用意した地獄を、そっくりそのまま貴様にくれてやる』
娘は絶叫した。
『お願い!!やめてください、殿下!!ごめんなさい、ごめんなさい!!』
涙と涎で顔を汚し、必死で頭を下げた。
『私が悪かったです!!何でもします、私を側室にでもしてください!!養女でも何でも!!殺さないで、そんなところに売らないで!!』
ウルは動かなかった。その顔には、一片の同情も浮かんでおらず、ただ紺碧の目が冷たく光るだけ。
『貴様は馬鹿なのか、汚物を后にできぬと言っただろうが』
『いやぁ!!いやです!!やめてください!!』
『安心しろ、今すぐ殺しはしない』
娘は息を呑んだ。
『必ず生きたまま売る』
その声は凍っていた。
『生きたまま壊れて、泣き叫んで、絶望の中死ぬこともできずに、汚泥の中に沈め』
汚物には似合いの最期だな、残酷に歪めた口元から吐き捨てるように言葉が滑り落ちる。
『いや、いやあああああ!!』
娘は泣き喚いた。
『殿下!!殿下あああ!!助けて!!愛しています!!助けてください!!』
ウルは微動だにしなかった。冷たい声が、娘の悲鳴を断ち切るように響き渡る。もう興味もないとばかりに。
『連れて行け』
扉が開いた。護衛たちが無言で入ってきて、泣き叫ぶ娘を引きずるようにして連れ出した。その声は廊下の遠くまで届くように響いた。
『いやだ!!離して!!殿下あああ!!お願い!!嫌あああああ!!!』
やがて扉が閉まり、声は遠ざかった。重い沈黙が落ちた。ウルはしばらく立ち尽くし、暗い瞳の奥で何かが軋む。そして小さく、吐き捨てるように呟いた。
『貴様ごときに真珠を汚す資格などない』
冷たい風が、揺れる蝋燭の火を揺らした。それを見つめ、ウルの顔には一瞬、深い闇が落ちた。




