嵐の前の静けさ
白い石壁に反射する日差しは、やわらかく庭を満たしていた。真珠は、薄絹を揺らす風に目を細める。後宮は広く、どこを見ても豪華だった。でも、その贅沢さはときどき自分を笑わせた。
「……豪華な、檻よね」
ぽつりと漏らすと、近くのアサナが軽く目を伏せた。
「坊っちゃまは、ここを安全だと思っておられます」
真珠は少しだけ鼻で笑った。
「うん、知ってる。私のため、なんだよね?」
そしてため息をつく。
「もうさ、慣れたもんだよ。これが私の世界だって」
アサナは静かにお茶を注いだ。真珠はその湯気を見ながら、少し口元を緩めた。
「これって立派な共依存じゃない?」
自虐めいて笑った。でも声は震えていなかったし、むしろ、どこか甘かった。
アサナはその笑いを受け止めるように頷いた。
「坊っちゃまも、真珠様がいないと駄目なのでしょう」
「ふふ。あの人、そういう顔するもんね」
「ええ。存じております」
真珠は膝を抱え込むように座り直した。
「……ねえ、アサナ」
「はい」
「今日も、ウルの話して」
アサナは皺の深い顔を綻ばせた。
「どんな話を?」
その瞬間、真珠は瞳を輝かせた。
「子供の頃のウル。泣き虫だったって話、もっと聞きたいな」
アサナは快く頷き、低い声で話し始める。
「坊っちゃまは……六歳の頃、夜が怖いと私の部屋に来たことがありました」
「夜が怖いって?」
「ええ。父王様から『王は孤独であれ』と強く言われた直後でした」
「……」
「無理に寝室を与えられて、従者も減らされて、坊ちゃまは真っ暗な部屋でじっとしていたのです」
「それで?」
「我慢していたのでしょう。でも夜半に私のところへ来ました」
真珠は想像して小さく笑った。
「可愛い」
「泣いていました。でも声は出さず、肩を震わせて」
途端に、真珠の目が潤み始める。
「私が声をかけると、睨むのです。『泣いてない』と」
「……ウルだ」
「そうでしょう?」
真珠は少し声を弾ませた。
「ほんとに不器用というか何というか」
「ええ。でも愛おしい方です」
真珠は少しだけ、寂しそうに笑った。
「……愛おしいよね」
静かな風が通り抜けた。鳥の声が遠くで聞こえた。後宮は、穏やかだった。真珠は膝の上に頬をのせて、ゆっくりと瞬きをした。
「アサナ」
「はい」
「私さ、ウルが帰ってくるの待ってる間、こうやってお話してたい」
「喜んで」
「ありがと」
声は小さかったが、優しかった。
アサナは深く頭を下げた。
王宮の外門近くでは、車が数台停められていた。荷物を運ぶふりをして中を覗く男が小さく頷いた。
『縄と布袋、鎮静薬、全部ある』
『輸送先も手配済みか』
『ああ。国外に流すルートに繋げる。あとはやるだけだ』
目が暗く光った。
『王太子の女だろうと、金さえもらえば関係ねえ』
夜風が吹き抜けた。ランプの火がゆらりと揺れた誰もまだ、その気配を知らなかった。ただ、空気だけが不自然に張り詰めていた。




