王となる子どもとは
アサナとの話は、驚くくらい弾んだ。後宮の一室は、いつも通り何の音もなかったが、そこはもう寂しいだけの部屋ではなかった。
「ウルは、何でも自分一人で勝手に進めちゃうから」
「坊っちゃまは、そういう方です」
え?と、真珠はその呼び方に少し目を丸くした。
「……ねぇ、えっと、アサナ…さん?」
「アサナと、真珠様」
「あ…そうか。アサナ」
「なんでしょう真珠様」
「さっき、坊っちゃまって」
アサナの皺の深い顔に、優しい笑みが浮かんだ。
「はい。あの方がまだほんの小さな男の子だった頃の呼び名です。唯一、私にだけその呼び方を許されておりました」
真珠は興味深そうに目を細めた。
「……聞かせてくれる?」
アサナはゆっくりと頷いた。そして、遠い目をした。
「坊っちゃまは、小さい頃から泣き虫でした」
「えっ」
真珠は思わず声を上げた。今のウルからはあまり想像できないような、いやでも真珠が声を失っていた頃は何度か見たことはあった。だが今やもう、鉄面皮と言われてもおかしくないくらいではないだろうか。真珠がうんうん唸っていると、アサナはくすりと笑った。
「泣いてはいけないと叩き込まれていましたけれど、それでも泣きたくなるものです。子供ですから」
「…あ…うん」
「でも泣けない。だから黙って泣くのです。声を押し殺して、袖を噛んで。それがとても痛々しくて」
真珠は黙って聞いていた。子どものウルを想像するだけで。胸がじんと熱くなる。
「私のところに来るときだけは、泣いてもいいと決めていたのでしょう」
「……」
「何も言わずに、袖を掴んで、顔を埋めて、泣いていました」
真珠は喉が詰まった。あまりにも自分の知る一般的な子供時代とかけ離れていて、息をゆっくり吐く。あまり現実感がなく、少し茶化してしまう。
「……かわいい」
小さく呟いた声に、アサナが微笑んだ。
「ええ。とても」
「でも、切ないね」
「ええ。それも、とても」
真珠はそっと手を伸ばし、ベッドの縁を指でなぞる。
「泣くのも禁止されてたんだ」
「王になるお子ですから。弱さを見せるなと、周りは教えました」
「……酷いね」
「はい。でも、それが国というものだとも思います」
真珠は小さく鼻を鳴らした。
「ウルは……今もそういうとこある」
「そうでしょうね」
「強い顔して、怖いこと言って、でもたまに本当にバカみたいに子供っぽい」
「ええ」
「寂しがり屋だよ」
「はい。存じております」
沈黙が落ちる。でも重苦しいものではなかった。真珠がふとアサナを見上げた。
「ねえ、アサナ」
「はい」
「ウル、どんな子供だった?」
その問いに、アサナは懐かしむように目を細めた。
「頑固で、怒りん坊で、でも泣き虫で、そしてとても優しい子でした」
「……優しい?」
「ええ。自分で優しいと思われたくなくて、睨んでごまかすような子でした」
真珠は思わず笑ってしまった。でもすぐに少し目が潤んでくる。
「想像できる」
「でしょう?」
「……あの目で睨んでくるくせに、すごく不安そうな目してるときある」
「はい。それが坊っちゃまです」
真珠は指先で自分の膝を撫でる。その動きは落ち着かなくて、でもどこか愛おしそうだった。
「……私のことも、睨んできたことがあるの」
「それはそれは」
「怖かった。殺されるかと思った」
「そうでしょうね」
「でも……」
真珠は小さく笑った。
「今は、あの目が好きだよ」
アサナの瞳が細くなり、深い皺が笑った。
「坊っちゃまは幸せ者です」
「ほんとに不器用で、何でも一人で背負い込んで、愛し方がめちゃくちゃで……でも全部本気だから」
「ええ。あの方はいつも本気です」
真珠は少し視線を落とす。胸の奥がじんわりと熱くなった。
「私でよかったのかな」
アサナは首を横に振った。
「真珠様でなければ、坊っちゃまは壊れていたでしょう」
「……そんなことないよ」
「いえ、あります」
アサナの声は優しく、でも強かった。
「坊っちゃまは愛せない子でした。奪われることを恐れて、何も与えられなかった。だからこそ、閉じ込めたかったのです」
「……」
「でも今は、あなたにだけは全てを渡すおつもりでしょう」
真珠はその瞬間、息を呑んだ。目は滲み始める。
「……そうだと、いいな」
アサナはゆっくりと頷いた。
「坊っちゃまは、私には決して見せなかった顔を、あなたにはお見せになるのでしょう」
真珠は涙を拭いた。
「……ずるいよ、ウル」
アサナは黙って頷づく。それが全てを肯定するようだった。
長い沈黙の中、真珠は深く息をつく。そしてポツリと言った。
「ねえ、また話してくれる?」
アサナは柔らかく微笑んだ。
「はい。何度でも」
真珠は照れたように笑う。
「ありがとう、アサナ」
「いいえ。こちらこそ、坊っちゃまを、どうかよろしくお願いいたします」
「任せて」
真珠は頷いた。涙が滲んだまま、でもその顔はとても晴れ渡り、安心した笑顔だった。




