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王太子の決意(ウルside)

夜が明けかけていた。窓の向こうがうっすら白んでいるのが分かる。冷えた空気が肺に入るたびに、痛いくらい澄んでいた。


腕の中は温かかった。真珠が、ぐったりと体を預けている。荒い呼吸は落ち着きかけているのに、時折まだ小さく喉を鳴らす。汗で湿った髪が頬に張り付いていた。涙の跡がそのままだった。それを、ウルは指先でそっと拭った。力を入れすぎないように、必死に加減しながら。触れるたびに、胸がきゅうっと縮んだ。


「……可愛い」


誰にも聞かせない声で吐き出す。その言葉が自分の口から出るのが、少し恥ずかしくて、でも嬉しくて。真珠が眉を寄せて、小さく鳴いた。起こさないように、でも離さないように、腕を回したまま抱き寄せた。


この女は、自分が傷つけた女だ。血を流させた。声を奪った。首を切らせた。心を壊しかけた。今もその痕跡は、喉に残っている。傷が、何よりも雄弁に物語っていた。


「お前を傷つけたのは、俺だ」


唇を押し当てるようにして囁いた。真珠は眠ったまま小さく動いた。その弱い反応が愛しくて、胸が痛んだ。


何の音もしない部屋で、ふと王太子としての自分を思い出す。あれはつい最近のことだ。謁見の間にて、宰相から苦言を呈されたのだ。


「王太子殿下、今後の王家の存続を考えれば、後宮を拡充されるべきかと」


自分はこの国を背負う立場。誰もが「後宮を満たせ」「王家の血を増やせ」と囁いた。女は神の祝福を分け与える器だと。王族は多くの妻を持つのが当然だと。そんなこと、物心つく前から叩き込まれてきた。周囲も、それを当然だと受け入れていた。


(言われずとも、知っている)


父王にも釘を刺された。女一人と国と、どちらがより優先すべきなのかと。今までの教えで、ウルには「国」が優先されることは当たり前に理解している。


だが、自分にはそれができなかった。真珠を抱きしめる腕の中で、改めて確信する。「他の女は、要らない」と、心の底からそう思った。他の女の名前も、顔も浮かばない。身体の形すら想像できない。欲しくないし興味がない。目の前の女以外を「女」として見たことなんか一度もなかった。


(この世に女は真珠しかいない)


真珠の肩を指先で撫でた。白くて、少し冷たくて、泣きはらして弱々しい。それがたまらなく愛しかった。血を流すほどに自分を拒み、死ぬほどに逃げようとしたのに。今は腕の中で眠っている。頼りなく、泣きながら、たまに先輩風吹かせながら、でも全部を差し出してくれた。


「抱いて」と泣きながら懇願してくれた。「全部ちょうだい」と震えながら言った。あの言葉を思い出すたび、喉が詰まる。心臓が痛む。こんなに醜い自分を、それでも欲しいと言ってくれた。


(俺の愛は歪んでいる。でも止められないんだ)


どれだけ拒んでも、結局自分が勝手に奪った。でも彼女は、それを全部受け入れて、泣きながら「愛してる」と言った。もう逃がせるわけがない。


「……お前以外、見えない」


囁くように、でもはっきり言葉にした。真珠の頬に唇を落とすと、少し震えていた。


「本当に、見えないんだ」


愛おしくて、仕方がなかった。この国の期待も、貴族の圧力も、宗教も、伝統も。全部クソ食らえだと思った。後宮を満たせ?王家の血を残せ?そんなもののために、この女を手放すくらいなら、王位などいらない。真珠を泣かせるくらいなら、玉座ごと燃やしてやる。真珠を失うくらいなら、国ごと失っても構わない。


「お前だけだ」


もう一度、そっと囁いた。その声に自分が震えた。


「お前だけが、俺の女だ」

 

真珠は寝息を立てたまま、小さく顔を寄せた。甘えたみたいに。涙の跡がまだ乾いていない。それすら愛しかった。


時々王太子としての理性が、かすかに抵抗を試みた。


「国を背負う者としては失格だ」と。でも、それを心の中で押し潰した。「真珠を手放すくらいなら、王をやめてやる」というその決意は、いつの間にか絶対のものになっていた。


この国が受け入れなくてもいい。宗教が認めなくてもいい。歴史に汚名を残してもいい。「お前がいない世界になど、未練はない」ウルは静かに、でも確かに心の中で宣言した。


真珠の髪を梳く。汗と涙で湿った髪を、ゆっくり解くように撫でた。指先で触れるたびに、自分のものだと刻みつけるように。


「もう泣かせない」「もう傷つけない」「もう何も奪わない」


全部、自分に対する誓いだった。でもきっと、自分はまた泣かせてしまう。また怯えさせてしまう。それでも離せない。その矛盾を全部受け入れる覚悟を決めた今、他の女など必要がない。


「お前だけが俺の女だ」


真珠を抱きしめた腕に、力がこもった。夜が明けても、この腕を緩めるつもりはなかった。この女を、何があっても離さない。この腕の中で、笑わせてみせる。もう一度「ウル」と震えない声で呼ばせてみせる。それが、彼が生きる理由だった。


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