表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/197

幸せの余韻

夜はまだ終わらないはずなのに、窓の向こうが少しずつ青みを帯びてきていた。


真珠は布団に半分埋もれたまま、ウルの胸に頬を寄せている。心臓の音がゆっくりになっているのが分かった。さっきまで荒く息を乱して、名前を叫んでいたのが嘘みたいに静かだった。でも、まだ汗ばんだ肌は触れ合っていた。


離れようなんて思わなかった。それはウルも同じだった。大きな腕がゆっくり背を撫で続ける。時折、指先が震えていた。それが愛しくてたまらなかった。


「……眠くない?」


真珠がそっと囁いたその声は、かすれていた。昨夜、泣きすぎたせいだろう。ウルが低く息を吐いた。


「眠い」


短く、それだけ言った。彼の声もかすれていた。真珠がくすっと笑うと、ウルの胸が小さく震えた。


「じゃあ、寝ようよ」


「まだ……お前を見てたい」


その一言で、真珠の頬が熱くなる。


「見なくていいから」


そう言いながら、ウルの胸に顔を埋めた。愛しいって顔に書いてあるくらい、嬉しそうなウルを見ていられない。彼の手が背を抱きしめた。


「可愛いな」


掠れた声が頭上で落ちる。


「やめて」


「嫌だ」


「恥ずかしいってば」


「それがいい」


真珠は小さく唇を噛んで肩をすぼめる。その動きにウルの腕が強くなったが、痛くはなかった。ただ、愛されている重みだった。


しばらく、何も言わない静かな呼吸だけが混ざった。外の風が窓を鳴らす音が遠い。真珠は目を閉じたまま、そっと指先を動かした。ウルの胸を撫でてみる。耳をあてると、少し速い心臓の音。


「まだ、速いね」


小さく言うと、ウルが喉を鳴らした。


「お前がいるからだ」


声が掠れて、息が混ざる。


「私も」


囁くように返した。


「ウルがいるから落ち着くのに、でも心臓は速くなるの」


ウルが指先で真珠の髪を梳いた。絡まった髪をそっと解くように。


「泣き疲れた顔してるな」


「ウルのせいよ」


「そうだな」


少しだけ笑った声がした。


「だが泣かせたのは俺でも、泣き止ませるのも俺だ」


真珠は目を開けて、ゆっくりウルを見上げた。月明かりがまだ少しだけ残っていて、ウルの目も潤んでいた。


「ありがとう」


小さく言うと、ウルが深く息を吐いた。


「こっちの台詞だ」


掠れた声が、いつもより優しく響いた。でもなぜか、急にウルの顔が曇り始める。何か思い詰めたみたいに、眉を寄せていた。


「……俺はまた…お前を閉じ込めるだろう」


低く唸るような声だった。後悔するような響きさえあった。その声は、ただ苦しそうで。


「閉じ込めないと言いながら……抱きしめて、結局また閉じ込めてる」


指先が真珠の背を撫でる。ウルの手は優しくて、でも僅かに震えていた。


「俺の愛し方はお前を苦しめる、わかっているのに」


変えられないんだ、最後は囁くような小さな声だった。


「それでもお前を、離せなかった」


額を真珠に押し付けたまま、眉を寄せて目を閉じた。少しづつ、ウルの呼吸が荒くなる。


「すまない」


小さな声を吐き出す。


「またお前を、縛ってしまう」


真珠は静かに聞いていた。口元にうっすら笑みを浮かべて、小さな声で、でもはっきり言った。

 

「……バカね」


ウルが目を開いて、驚いたように真珠を見つめる。真珠はふっと息を吐いて、得意げに顎を引いてみせた。


「分かってたよ」


声が掠れていても、どこか誇らしげな真珠。


「ウルがそういう人だって」

 

ウルは眉を寄せ難しい顔をしている。また小さく笑った真珠は、片手を持ち上げてウルの頬を優しみ包んだ。


「閉じ込められるだろうなと、分かってたわ」


喉を震わせながら、唇を噛みそうになったけど踏みとどまった。


「でも、逃げなかったでしょ、私」


ウルの瞳が揺れた。もう一度、真珠は小さく笑った。


「むしろ自分から行ったよね」


肩をすくめるようにして、ちょっと得意げだった。


「一応年長者だからね。たぶんウルは手を出せないだろうから、私から行かなきゃって」


ウルの喉が鳴る。目を伏せそうになるのを真珠の手が止めた。


「見て」


小さく命令するみたいに言った。


「私、ちゃんとわかってるんだから」


ウルはまた、自分の額を真珠の額に当て、小さく息を震わせた。


「……本当に分かっているのか」


低く、震える声だった。


「俺がお前をどうするのか、どれだけ欲しがるのか」


「分かってるよ」


即答した真珠は、ゆっくり目を閉じた。


「だから言ったんだよ、『抱いて』って」


喉が震えた。


「あなたに愛されたくて」


声が小さく震えるが、構わずいう。今言いたいから。


「でもあなたの愛し方が怖いのは本当ね。まぁ今ではそれすら愛しく思ってしまうんだけど」


涙が滲んだ。


「だから、もういいのよ」


ウルの呼吸が止まった瞬間だった。真珠が涙を拭わずに続ける。


「閉じ込めたっていいよ」


また喉が震えた。


「私も、ウルを縛るから」


「……真珠」


「お互い様、でしょ?」


泣きながら笑った。


「でも、たまには息抜きさせてくれると嬉しいな」


ウルは息を吐いた。深く、重く、胸の奥をかき乱すように。そして真珠を強く抱きしめる。真珠が小さく声を漏らして、そのままウルの胸に顔を埋めた。


「……離さない」


低い声が震えた。


「お前を一生、ここに閉じ込める」


「……うん」


くぐもった声で真珠が応えた。


「俺を恨んでくれてかまわない、自分で言ったことすら守れぬ男だと」

 

ウルの腕がまた強くなった。


「でもお前がそう言うなら……もう二度と逃がさない」


「いいよ」


真珠が甘えたように、でも勝ち誇ったように言った。


「私も、ウルを閉じ込めるから」


ウルは小さく喉を鳴らして、頬を真珠の髪に押し当てた。目を閉じて、深く息を吸う。この匂いを、ぬくもりを、呼吸を、自分のものと刻みつけるように。


「……お前が欲しい」


かすれた声で呟いた。


「俺の、真珠」


真珠が小さく頷いたのが分かった。そして、そっと顔を上げて唇を触れさせる。触れるだけで深くはなく、優しい音がした。それに、ウルが息を呑む音がする。


「……もう一回」


「欲張りだな」


「したくないの?」


囁く声が甘く滲むと、ウルの腕がまた強くなった。


「…したい」


低く、決意みたいに言った。


「お前が欲しい。全部欲しい。ずっと欲しい」


「うん」


「他の誰にも渡さない」


真珠の目が熱くなり、また涙が滲む。


「私も、ウル以外いらない」


指先がウルの頬を撫でる。硬い輪郭が震えた気がした。


「もう、離さない?」


「絶対離さない」


「私も」


涙が落ちると、ウルがそれを舌で掬う。そして深く、長くキスをした。


夜明けが近づいても、二人は離れなかった。熱は冷めない。ただ呼吸を混ぜて、心臓の音を聴き合った。


互いの名前をもう一度呼び合って、また唇を重ねる。抱きしめる腕を緩めることはなかった。


「真珠」


「……おいで、ウル」


ただそれだけで、世界が満たされるようだった。あの夜の血も涙も、全部溶かして包み込むように。

もう二度と、何も奪わない。

もう二度と、独りにしない。

その約束を、何度も目を閉じて交わした。

ー朝の光が差し込むまで、二人は一つの布団の中で、ずっと寄り添い続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ