美しき支配者
夕暮れのロビーは、人もまばらだった。天井のシャンデリアが柔らかく光を落とす中、真珠はひとり、フロントカウンターへと向かう。
「失礼いたします。お客様――こちらに、招待状が届いております」
日本語で丁寧に話しかけてきたのは、ホテルの日本人スタッフだった。慇懃な笑みを浮かべながら、彼女は銀のトレイの上に置かれた一枚のカードを差し出した。
「お相手の方は、最上階のスイートルームにて、お待ちとのことです」
その瞬間、真珠の中で何かが音を立てて警鐘を鳴らした。真珠の知り合いはここにいない。招待なんて、受けるはずがないのだ。もしそんなものを送ってくるとしたら、あの黒づくめの男しかいない。
(あの人、最上階スイートに泊まってたの?)
このホテルで最上階スイート、それは真珠など一般人では想像もつかないお値段のはずだ。そんなところに連泊している人なんて、絶対に普通の人ではないだろう。真珠は、ドキドキする胸を落ち着かせながら、毅然とした態度をとった。
「申し訳ないですが、そのお誘いには応じられません」
真珠はその場で、冷静に、しかしはっきりと断った。けれど、スタッフは一瞬だけ戸惑い、そして焦るように食い下がった。
「え…あの、お相手は特別なお客様でして……ご一緒されるだけで構いませんから」
語尾にわずかに滲む“お願い”のような響きに、真珠はさらに眉をひそめた。
(なんで……スタッフまで、必死なの?)
「遠慮します。本当に、結構です」
きっぱりと言い残し、真珠は足早にその場を離れた。部屋に戻ると、ベッドに身を投げ出す。ハワイでの滞在も、残すところあと二日。
(明日は海にでも行こうかな……いや、あの人がいそうでやだな)
天井を見上げながら溜息を吐き、ゆっくりとシャワールームへ向かった。湯気に包まれ、熱いシャワーが肩を打つ。頭を空っぽにして、何も考えずにいられるのは、この時間だけだった。バスタオルを巻いたまま浴室を出た、その時だった。
――カチャリと、玄関のドアが開く音がした。
(……え?)
とっさに動けなかった。音もなく、スーツ姿の屈強な外国人男性たちが、無言のまま部屋に入ってくる。黒いサングラス、無表情な顔、揃った動き。意味がわからなかった。恐怖よりも先に、思考が止まった。
「ちょ、なに…? ちょっと、出てって……!」
声がうわずる。バスタオルを握りしめながら、真珠は一歩後ずさった。
――そして。
彼らの背後から、静かに、しかし圧倒的な存在感を放って――一人の男が姿を現した。
白。
全身を包むような、雪のように純白の長衣。頭部には同じく白い布が巻かれ、その隙間から覗くのは、濡羽のような艶を持つ黒髪。長めの前髪が流れるように額をなぞり、切れ長で涼しげな瞳が真珠を射抜いた。その眼は、深海のような紺碧色。褐色の肌は滑らかで、宝石のような艶を放っていた。意志の強さを語るような眉と、整いすぎた横顔。まるで神が完璧に彫刻した美そのもの――彼は、静かに部屋へと足を踏み入れた。
「こんばんは、真珠」
その瞬間、背筋が凍った。
「...あなた、誰?」
バスタオルをキツく掴んだまま、動揺を隠して静かに言った。美しい男は、まるで彼女の質問の意味がわからない顔をしている。
「俺がわからない、だと?」
手が、足が、どんどん冷えていくのがわかる。笑顔を貼り付けた男は、一瞬考えるような仕草をしたかと思えば、ゆっくりを口を開いた。
「ウルだ、自己紹介は済んだ筈だが?」
「ウ、ル?」
なぜ彼が日本語を…?なぜ私の名前まで知っている…?
男はゆっくりと微笑む。その笑みは穏やかで優雅で、けれど――どこか貼り付けたような、不気味な美しさがあった。
「まさか俺からの招待を断るとはな」
声も、動作も、完璧すぎた。まるで、長い時間をかけて準備された舞台に、今、真珠が引きずり込まれたかのようだった。
(なんで、ここに…鍵……誰が……)
思考は追いつかない。それでも本能は告げていた。この男は――最初から自分を狙っていた、と。
ウルは基本セットとして、俺様・傲慢・不遜なんですよ。王子様ですからね。次期国王ですし。この世に自分が自由にできないことなどないと、わりと本気で考えてる箱入り坊ちゃんです。
ちなみに、日本語は教養科目として学習していたからです。一応外交が強みの国という設定にしていますので、様々な言語に精通しなければならない、とされている。ということで納得してください。