アメニアに生まれて(ウルside)
自分にとって「伴侶」とはなんだったか。
アメニア王国の王族に生まれてから、ずっと教えられてきたことがある。女は神から与えられるもの。家を守る要。夫の名誉を支える存在。そして、王の妻は、この国に子を残し、血統を未来へ繋ぐ聖なる器だ。
俺は、この国の王太子だ。アメニア王国。砂漠の中の神の国。千年以上も前から、男は女を「囲う」ことで愛を示してきた。妻を囲い、外に出させず、守る。それが誠意だった。裏切りを防ぐためでもある。だが、それ以上に――愛する女を、あらゆる危険から守る檻を築くことが、この国での「最大級の愛」の形だった。
……美辞麗句を並べても、本質は変わらない。欲しいものは手に入れる。それが当然だった。周りは誰も咎めなかった。いや、むしろそれが「正義」だった。王家は国の象徴だ、王が望むものを奪えないような弱者では、民を守れない。
自分の父も、そうだった。母を攫うように後宮へ迎え入れたと聞く。それを誰も非難しなかったし、母自身も、淡々と話していた。「それがこの国のしきたりよ」と。母は父を愛していた。後宮の中で他の女に嫉妬し、泣き、時に怒ったが――それでも父を愛した。父も母を特別扱いした。母は「愛された」と胸を張って死んだ。それが、この国の理想的な「夫婦」だった。
だから、何もおかしくなかった。自分が真珠を選んだのは、至極当然のことだった。多少強引さはあったかもしれないが……それも愛ゆえだと信じていた。むしろ「強引さ」は美徳だった。貫く意志の証だった。だから、何も間違ってなど、いなかった。――はずだった。
だが、真珠は違った。あの瞳は、恐怖を、絶望を、憎悪を浮かべていた。囲えば囲うほど、その色は深くなった。触れれば触れるほど、冷たく固く拒んだ。まるで自分を、毒か蛇かのように。
あらゆる危険から守るために、後宮へ閉じ込めた。砂漠の風も、男の目も、世間の噂も、全部防いだ。自分だけが見る、触れる、話す。それを「愛」と信じて疑わなかったからだ。真珠のためだと思っていた。誰より大切にするからこそ、外には出さない。囲うのが愛だ。それがアメニア王族の愛し方だ。
だから、最初は理解できなかった。愛しているから閉じ込めた。守りたかった。誰にも渡したくなかった。――それがなぜ、あんなにも彼女を苦しめたのか。
そして、あの逃走。まさか、自分から逃げ出すなど、全く想定していなかった。後宮を抜け出して、王都を彷徨い、寝衣はボロ布と化し、血だらけの足で泣いていた。見つけたとき、俺の心臓が凍った。呼吸も止まった気がした。そんなことは想定していなかったのだ。「逃げる」とは思わなかった。「そんなに嫌だった」とは、微塵も考えていなかった。肝は冷え、心臓を掴まれたような恐怖があることを知った。あの時初めて、「失う」という可能性を真剣に思い知った。
だが、最悪はそのあとだった。真珠は自ら死のうとした。首を切り裂き、自分の腕の中で血を流した。泣き叫ぶことすらできず、かすれた声で拒絶した。
まるで――「死んでも、自由になりたい」とでも言うように。
あれほどの拒絶を、俺は生まれて初めて受けた。
自分の首を、なんの躊躇いもなく切り、笑って「バイバイ」と言った真珠。あの時の顔を、俺は一生忘れないだろう。本当に死ぬつもりだった。本気で俺から解放されたがっていた。
無事に助かった後、真珠は声を失っていた。でも俺は瑣末なことだと思っていた。真珠が生きている、そのことが何よりも大事だったからだ。だが、俺はまた間違えてしまった。真珠の生きる意思は底をついているのに、無理矢理食べさそうとした。食べられない真珠を見て、その顔を見て、やっと理解した。同時に俺の心はグシャリと音を立てて潰れた。自分がしていたことを、初めて見つめ直したのもそのときだ。俺は、愛し方を間違えたんだと。
衝撃だった。恐ろしかった。だが、同時に思った。「それほどまでに、嫌だったのか」と。心底、愚かだったと思う。
その夜、俺は一睡もできなかった。真珠の部屋の椅子に腰掛け、彼女の血の気が失せた白い顔を見つめ続けた。
――こんなものが愛か。
――これで守ったなどと言えるか。
――父と同じことを繰り返しているだけではないか。
だが、それでも、手放すことなど到底できなかった。自分の命より大切な女を、失うなど考えられなかった。だから、決めた。
奪い取るだけではない、礼をもって迎え入れる。世界中の誰よりも大切にし、彼女が望むものを、できる限り与える。そのために、国の風習をも変えてみせる、と。
真珠の両親を日本から招いたのも、破格の待遇で迎えたのも、彼女の意志を尊重するためだ。常に気を遣い、意見を聞き、慎重に礼を尽くす。期限など設けず、真珠の両親を王族並みの待遇で滞在させた。日本での生活も、裏で支えた。家も、仕事も、金も、全部手配した。砂漠の王族が日本人にそこまでするなど、誰も想像しなかった。だが俺はした。それはただ、真珠のためだけに。
そして、やっと俺は気づいた。礼をもって接すると、真珠は驚くほど反発をやめた。怯えたように瞳を伏せるが、拒絶はしない。時には戸惑いながらも、こちらの言葉を聞いてくれる。自分を、王太子ではなく「ウル」として見つめ返してくれる。確実に「憎しみ」だけじゃないものが混じった真珠の目には、諦めでも、絶望でもなく――ほんの少しだけ、揺れる光があった。それを見た時、初めて心が震えた。……何より愛しかった。
変わらなければならないのは、自分だった。変わることでしか、彼女を救えない。だから、変わると決めた。それほどまでに、愛しているのだ。
俺は王太子だ。この国の未来を背負う男であり、生まれながらの支配者。欲したものは手に入れる男だ。それは変わらない。変えるつもりもない。だが、真珠のために変わる。愛し方を、変える。この国の王族が何千年も信じた「囲う愛」を超えて――この女を、王太子妃として愛したい。妻として、愛したい。たとえ、声を失ったままでも。たとえ、憎まれても。ただ、その手を、優しく包める男になりたいと思う。
俺は変わる。
真珠のために。
それが、俺の愛だ。
――この愛を、世界で一番の形で証明する。
それが自分の使命だと、今は信じている。




