元凶は誰だ
食事の盆は、既に冷め切っていた。後宮の医療室の空気が冷たかったからかもしれない。外の砂漠はまだ夜の闇をたたえていたが、この部屋は時間が止まったようだった。
ウルは真珠の寝椅子の隣に座っていた。さっきまで苛立ちにまかせて、顎を掴み、強引に食べさせようとした。スプーンを唇押し当て、泣きじゃくる顔を無理やり正面に向けた。「食べろ」「后だろう」と吐き捨てた。
だが――結果は何も得られなかった。真珠は声も出せず、ただ震えて泣いた。涙と嗚咽だけで、スープを拒み続けた。喉が閉じたまま、何も飲み込めなかった。
ウルは失敗を認め、ゆっくり息を吐く。スプーンを落とした指がわずかに震えていた。
「……」
冷たい空気が重かった。もう真珠は目を閉じている。頬にはまだ乾かない涙の跡が光っている。呼吸は浅く、喉の奥がヒクヒクと震えていた。首にはまだ痛々しい包帯が巻かれ、衰弱しきっていることが誰の目にも明らかだった。
(后だろうが)
自分の心の声が嫌味のように響く。その声に、思わず奥歯を噛みしめた。しばらくウルは、その場から動けないでいた。護衛も女官も、医師もいない。この部屋に、真珠と二人きり。寝椅子と椅子の距離は短いのに、手を伸ばすのが恐ろしく遠く感じた。
それでも、ウルは再び盆を引き寄せた。スープは冷めているが、取り替えに行く気力もなかった。もう一度、震える手でスプーンを取り、スープをすくった。僅かに湯気を立てるその液体を見つめ、
(食べさせるんだ、食べれば、生きる)
それだけを考え、自分に言い聞かせた。ウルは叫びたくなる衝動を抑え、声を押し殺し、顎を強張らせた。またゆっくりと真珠の口元にスプーンを持っていった。今度は無理に押し込まず、震える唇の前で止める。
「食べろ」
ウルの声は、掠れきっていた。さっきのような命令でも、怒号でもなく、懇願に近かった。
「食べろ、俺の、后だ。生きろ」
真珠の睫毛が震え、ゆっくりと目を開けた。彼女の赤く腫れた目が、泣き疲れて光を失っていた。ウルを見あげるが、でも焦点が合わなかった。まるで何も見えていないようだった。
「……」
喉が鳴り、声を出そうとした。だが何度もやっても、空気が震えただけだった。唇が微かに開き震えたが、スプーンを拒むように、また閉じた。
食べ物を受け付けない。食べられないのだ。
その様子を、ウルは見ていた。目が逸らせず、喉の奥で呻き声が僅かに漏れた。そして、スプーンをわずかに震わせた。
「食べろ」
ウルの声は、まるで泣いているようだった。ゆっくりスプーンを下ろし、その手は震えていた。
「……食べろよ」
もう命令ではなかった。ウルの喉から、吐き出すように落とした声だった。
それでも真珠は泣き続けた。肩を震わしながら、声なき声を絞り出すように。喉が痙攣して、もう何も飲み込めないのだ。目の前のスプーンを見て、怯えるように首を振り、喉の奥を押さえるように手を引いた。
その瞬間、ウルは硬直した。その動きを、拒絶を、全部見てしまった。途端に吐き気が込み上げてくる。自分が握るスプーンが汚物のように見えた。
「……」
ウルはスプーンを盆に置くと、金属音が部屋に響いた。後宮の医療室は凍りついたように静かだった。真珠の嗚咽だけが、小さく響くが、それも声にならない。
ウルは額を手で覆った。視界が歪み、目が潤んでいく。息が震え、喉は詰まった。
(なんでだ)
自分に問いかけた。そして、心の奥で叫んだ。
(なんで食べない、なんで泣く、なんで声を出さない)
ウルは静かに拳を握った。握った拳は小さく震えていた。血が滲むほど爪を立て、口の中が血の味で満ちるくらい歯を食いしばった。
(なんで……こんなに……壊れてる)
その瞬間、胸が裂けたように痛んだ。喉の奥で嗚咽が漏れ、それを必死に噛み殺す。じわじわと紺碧が潤んでいった。
(誰が……)
目の前の真珠を見た。彼女はずっと、泣きながら震えていた。声が出ず、喉を震わせるたびに、押さえて痛がっていた。真珠と目が合うも、次の瞬間には怯えたように目を逸らされる。
ウルの心臓が掴まれ、握りつぶされた。
(誰が……こんな……)
問いかけた。でも答えは一つしかなかった。
(……俺だ)
喉から嗚咽が漏れた。それを必死に抑えた。でも手の震えは止まらない。視界がどんどん滲んでいった。
(俺が……真珠を)
従順にさせるため、香を焚いた。
慣例に従い、閉じ込めた。
勝手に后だと、宣言した。
逃げたから、捕まえた。
二度と逃げられないように、鎖で縛った。
真珠の喉に、刃を当てさせた。
(俺が……)
胸が押し潰され、吐きそうになった。吸っても吸っても、酸素が肺に入っていかない。
真珠は泣いていた。声を出さずに泣いていた。生きる気力もなさそうに、泣くしかできない女になっていた。その女は、自分が作った后だった。
「……すまない…」
ウルは俯き、その肩は震えていた。彼はゆっくり息を吐き、嗚咽を殺した。やっと出た声は、まるで自分のものとは思えないほど掠れていた。こんな声、誰にも聞かせたくなかった。でも、出てしまった。
「……すまない…真珠」
真珠はウルの謝罪に、何の反応もしなかった。ただ泣き続け、声も出さず、目を逸らしたままだった。




