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失ったもの

「心因性です。」


後宮医療室に集められた医師団の老医師が、沈痛な声で告げた。室内は張り詰めた空気が揺れた。ウルは椅子に座ったまま、指先を組んで顎を支えた。その紺碧の瞳は、老医師を射抜く。


「何だ、それは」


「喉の縫合は完璧です。声帯はそもそも損傷しておりませんでした。ですが……妃殿下は喋ろうとしても声を出せない。これは、精神的な要因です」


「精神的?」


「心的外傷による失声です。」


医師たちは一斉に視線を落とした。女官も息を潜めた。後宮の奥での、あの自殺未遂。血まみれで「バイバイ」と笑った真珠の顔を思い出した。その顔を思い出したウルの目は、スッと細くなる。その目は獣のような光を帯びていた。


「……つまり、喋ろうとしても喋れないのか」


「はい、殿下」


「治せ」


老医師が苦しげに目を伏せる。


「申し訳ありません。心因性の失声は、外科的処置では……まずは心を安定させ、回復を――」


「原因は何だ」


老医師は沈黙した。一気に部屋が重くなったようだった。女官が硬直し、誰も口を開けなかった。


その中で、ウルの声が低く響く。


「真珠の声を奪った原因は、何だ」


誰も答えなかった。だがその沈黙がすべてを告げていた。


ピンと張り詰めた空気の中、ウルは鼻で笑った。その声はひどく冷たかった。


「くだらん」


女官が肩を震わせ、医師たちが顔を伏せる。


「后は后だ。回復させろ。それが仕事だろう」


「……では、まずはお食事です」


老医師が震える声で言った。


「お身体が衰弱されています。今のままでは回復も……」


ウルはゆっくりと立ち上がった。長い装束の裾が絨毯を擦り、金の足音が静かに響く。


「食べさせればいい」


「殿下、しかし――」


「俺が食べさせる」


その声は、一切の拒絶を許さなかった。医師団は沈黙し、女官が泣きそうな声で礼を言い、退いた。


真珠はベッドに、静かに横たわっていた。酸素マスクは外され、首を覆う包帯はまた新しく巻き直されていた。首筋の血の香りを、薬の匂いが覆っている。彼女の視線は虚ろで、目は開いているがその瞳には何も映っていないようだった。左の足首につけられた金の足枷が、光を鈍く返している。足がわずかに動くたび、小さく甲高い金属音が鳴り、その存在を主張するようだった。


小さくノックが聞こえ扉が開くと、ウルが手ずから盆を持って入ってきた。スープの香りが漂う。女官たちは頭を垂れていたが、それ以上誰も入ろうとしなかった。ウルは真珠の隣に座り、視線を下ろす。その時、真珠の睫毛がわずかに動いた。でも目は合わなかった。彼女の瞳は、いまだ何も映していない。


そんな真珠の様子にはお構いなしに、ウルはスプーンでスープを掬った。熱いスープが表面張力で震える。ウルはぎこちなく、ゆっくりと真珠の唇の前にスプーンを持ってきた。


「食べろ」


真珠は動けなかった。喉は上下した、でも声が出ない。呼吸が詰まり、口を開けなかった。代わりに、何も映していない目から、静かに涙が零れた。


「食べろ」


ウルの声が低く落ちた。その声には抑えた怒気が滲んでいた。それでも、真珠は口を閉じたままだった。


ウルの目が細まり、持ったスプーンが震えた。次の瞬間、強引に真珠の唇をこじ開けた。


「食べろ」


真珠は首を振った。首を振るたび、首の傷が痛んだ。包帯の下の縫い目が、わずかに引き攣る。


声が出ない。

息が詰まる。

涙が溢れた。


ウルはスプーンを押し込むように当てた。


「后だろう」


低い声が震えた。


「食べろ、生きろ、后なんだ、お前は」


真珠は震え、涙で視界が滲んだ。声を出したくても出せなかったため、首を振って拒絶するしかなかった。その動きすら弱々しかった。


その様子を見て、ウルの眉が寄った。次に真珠の顎を乱暴に掴みながら、唇を震わせる真珠を見下ろした。首にはいまだ血の滲んだ包帯。青ざめ血の気を失った、声の出ない女。足には、逃げられないように縛る金の枷。


「生きる気もないのか」


低い声が落ちる。その声は酷く冷たい声だった。それはまるで、嗚咽のようでもあった。


真珠は静かに涙を零し続けた。喉は上下するが、声にならない息が詰まった。ただただ泣くしかない、それでも声が出なかった。


「食べろ、食べろと言っている。后だろうが、俺のものだろうが」


ウルの声は掠れていた。それは激情を押し殺しているようだった。スプーンを持つ手が白くなるほど力が入っている。


真珠はそっと目を閉じた。頬を伝う涙がとめどなく落ちる。何も言えない、何も返せない、声が、出ない。真珠はただ震え、泣き続けた。


ウルは息を吐く。長く、冷たい息だった。その後、スプーンを皿に置く小さな音が響いた。ウルは手を伸ばし、さっきとはうってかわって、優しく真珠の頬を包み涙を拭った。でも新しい涙が止まらなかった。


「食べろ」


もう一度囁いた。今度は低く、落ち着いた声だった。命令ではない言い方だが、真珠にはまるで呪いの言葉のようだった。


「食べろ。死ぬな」


声を失った后は、ただ泣いていた。

声にならない嗚咽だけが、静かな後宮医療室に落ちた。


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