王宮医師団(医療行為はフィクションです)
床は血が滲み赤く染めていた。香炉は倒れ中から細い煙が上がり、香の残滓が空気を更に重くした。真珠はその血だまりの中央で、ウルの腕に抱え込まれていた。
首には応急の包帯がぐるぐるに巻かれ、すでに赤く染みていた。圧迫されていても血がじわりと滲む。目は半分閉じて、呼吸が浅く、時折途切れた。
「目を開けろ、真珠!!」
ウルが叫ぶ。その声は、王族とは思えないほど荒々しかった。深い紺碧は潤んで揺れている。血で汚れた指先が真珠の頬を叩くように触れた。
「死ぬな……おい、死ぬな……」
その時、扉が乱暴に開かれた。黒服の護衛たちが飛び込み、すぐに白衣の医師たちが続いた。王宮医師団。砂漠の王宮の医学を背負う選り抜きたち。だがそんな彼らでも目の前の光景に息を飲んだ。
「妃殿下が……!」
先頭の老医師が即座に指示を飛ばした。
「止血!縫合キット!鎮静薬用意!輸液ライン確保!酸素マスク!」
助手たちが駆けた。その間、誰も王族を見なかった。ただ血まみれの后を見つめて動いた。
ウルは動こうとしなかった。真珠を腕に抱いたまま、血に塗れた手で傷の上を布で押さえた。金の装飾が赤に染まる。老医師がウルにそっと声をかけた。
「殿下、妃殿下を我々にお預けください……!」
「ダメだ」
ウルは低く吐き捨てた。その声は震えていた。老医師はその声を聞き、一瞬顔色を変えた。だが引かない。
「殿下、このままでは妃殿下が危険です!!我々に診させてください!」
「…死なせるな」
「必ず、殿下」
ウルは一瞬だけ目を閉じた。そのまま腕を緩め、真珠をそっと床に横たえた。でも片手は首元の布を押さえたままだった。
ウルが離れると、医師団が真珠を取り囲んだ。白衣の袖が血に染まる。薬瓶が転がる音。医療器具の金属音。指示が次々に飛んだ。
「呼吸確認して!」
「弱いですが、あります!」
「血圧は?!」
「低下しています!」
「輸液を全開に!第2ルート確保!」
「傷口を露出!包帯を切れ!」
刃が走り、赤く染まった布を切り裂いた。傷口が開き、血がたちまち滲む。医師の手袋がすぐに真紅に染まった。
「出血点を特定!鉗子を!」
「血液が足りない、輸血持ってきて!」
「血液型を再確認しろ!」
「妃殿下はO型のはずです!」
「在庫分を持って来い!」
真珠の呼吸は浅く、時折止まりかける。口元がわずかに痙攣した。すぐに酸素マスクが押し当てられる。
「酸素濃度上げろ!」
「鎮静剤は最低限だ、呼吸抑制おこすな!」
「意識を戻せ!声をかけ続けろ!」
助手が必死に真珠の頬を叩いた。
「妃殿下!お目覚めください!!お聞きになれますか!!」
だが目は薄く開くだけで、焦点は合わなかった。その時、唇がわずかに動いた。
「……や……だ……」
吐き出すような声。その声に血が混じっていた。次の瞬間、モニターがけたたましく鳴った。
「血圧さらに低下!!」
「輸血間に合わない!」
「圧迫!圧迫しろ!」
「縫合を急げ!」
ウルは目の前の光景に、今にも崩れ落ちそうになっていた。医師に制止されてもまるで床に根を張っているかのように動けないでいた。真珠の血にまみれた手が震える続ける。それでも、歯を食いしばり、泣きそうな声を絞り出した。
「死ぬな……死ぬな……」
老医師が一瞬、ウルを見上げた。その目が鋭く光った。この時は王族であろうと遠慮はなかった。
「殿下、退いてください!!このままでは助けられません!!」
ウルの喉が鳴った。息が止まり、時間が止まったようだった。それでも、しばらく動けなかった。血まみれの手を押さえたまま、顔を真珠に近づけた。
「…頼む……死なないで、くれ…」
呟いた声は掠れていた。そして、ゆっくりと離れていった。
途端に、医師たちが一斉に割り込んだ。圧迫を交代し、縫合を開始する。器具が血に滑り、助手が手早く拭った。
「出血量は!?」
「800を超えました!」
「さらに出てます!」
「結紮ポイントを増やせ!」
「後宮の医療室を開放しろ!」
「酸素飽和度は!」
「下がってます!」
「呼吸補助しろ!!」
指示が飛び交い、王宮の重厚な壁に声が反響する。
護衛たちは固唾を飲んだ。看護師が泣きそうな顔で器具を差し出す。薬剤師が必死で輸液バッグを振って加圧した。
その時。真珠の身体が小さく痙攣した。目が薄く開いても、そこに光はなかった。血の気が引き、唇は青白かったが、それでも喉がわずかに動いた。
「…もう、いい…」
老医師が顔を歪めた。
「妃殿下!我々が必ずお助けします!!どうか……!」
糸を通す手は震えていなかった。だが目は血走っていた。周囲は呼吸を詰めた。縫合針が傷口を通り、鉗子が血管を掴んだ。
「縫合完了!」
「圧迫維持!」
「鎮静剤は0.5!呼吸を落とすな!」
「心拍数確認!」
背後でウルが肩を揺らしていた。誰も彼に声をかけられなかった。血のついた手を握りしめ、歯を食いしばり、それでも彼女を見ていた。時折紺碧は揺れ、床に落ちた血だまりを睨んでいた。
(死ぬな…真珠…お前は俺のものだ……死んだら許さない……)
医師の声が震えた。
「止まるな!縫い切れ!!」
「出血コントロール!」
「酸素を上げろ!」
「輸液全開!!」
「まだだ、意識を戻せ!!」
後宮の奥の奥。正妃の部屋は血の匂いで満たされた。誰もが、死を感じていた。それでも、誰も諦めなかった。真珠を守る。それが命令だった。そして――それは、王族の絶対命令でもあった。




