初夜
「冗談じゃ、ないよね…」
自分の笑った声が掠れていた。視界も滲んでいる。
「ねえ…本気なの?私、外国人だよ?しかも年上だよ?」
このタイミングで、真珠の脳裏に奇跡的に妙案が浮かんだ。アメニアについて日本で勉強していた時、真珠は確かに読んだ覚えがある。アメニア王族の婚姻について。それにはハッキリと、
《后となるには乙女であること》
と明記されていた。今時こんな国もあるのかと、当時真珠は驚いた記憶がある。処女性を重んじる国、昔なら世界中の国々でそういった慣習があっただろう。だが真珠にとって、女にばかり処女性を求めることに違和感しかなかった。男女の権利の非対称性が、どうしても受け入れられないのだ。
「私は、処女でもないのよ!?」
だが、今はこの窮地を脱するにはこの処女性に縋るのが一番手っ取り早いと真珠は考えている。だって意味が全然わからないのだ、なぜ自分なのか?自分がウルのような麗しい若者から選ばれるなど、天地がひっくり返ってもありえないと、本気で考えていたからだ。......声が震えたのは、悔しさのせいだ。
ウルの目を見上げながら、どうしても笑い飛ばすことができなかった。
だが、ウルは涼しげな目でじっと見下ろしていた。
その瞳には、微笑みが浮かんでいるのに、何ひとつ同情は宿っていなかった。
「そうだろうな」
「……は?」
「お前が外国人なのも、俺より年上なことも知っている。処女ではないだろうとも思っていた。だが、それがどうした?」
吐き捨てるように言うウルの声は、かすかに低く震えていた。それが怒りなのか、欲望なのか、真珠には判断できなかった。
「俺は、お前が誰よりも俺のものだって示したいだけなんだ。お前がどこの国の生まれでも、何人の男を知っていようと、関係ない。今日から、お前は俺の后だ」
「そんなっ、勝手すぎる…!」
唇を噛む真珠を見下ろし、ウルは口の端をゆがめた。
「勝手じゃない王なんて、いるのか?」
そのやり取りを他所に、部屋中に甘い香気がゆっくりと染み渡っていた。乳香と樹脂と蜜が混じり合った、どこか野生的で頭を痺れさせるような香り。
シン…と静まり返った後宮。残ったのは、ウルと真珠、そして甘い香煙だけ。
「んっ…これ…なに……?」
突然、真珠の体がおかしな反応をし始めた。息をするたび、肺の奥が火照るような感覚。思考が妙にゆるく、輪郭を失っていく。ウルは指先で真珠の顎を掴むと、その頬を撫でた。
「神の寵愛という香だ。俺たちが後宮で交わるためのものだ。神の前でお前が俺に屈するための、祝福だよ」
ゾクリと背筋を這い上がる寒気。けれど身体は逆らえない熱を帯びていた。
「ふざけ……ないで……」
必死で押し返そうとした両手を、ウルは片手で簡単に掴んだ。
「力を抜け。効いてきただろ。お前はもう、俺の匂いを嗅ぐだけで落ちる体になってる」
「や、だ……」
声は震えて、上擦った。
喉が渇き、瞳が潤む。
呼吸が苦しい。
身体の奥が、じわりと疼く。
(こんなの、私じゃない……)
なのに、ウルが近づくたびに、心臓が痛いほど跳ねた。吐息を感じただけで、頭の中が白く染まった。
ウルの唇が、真珠の唇に重なる。
「もう遅い。お前は今夜、俺の后になる。神にも国にも、お前自身にも、そう刻む」
真珠は首を振った。けれど、力は入らなかった。
「やだ……いやだって、言ってるのに……」
「言え、泣け、叫べ。お前が拒んだところで、俺が選んだ女はお前だ。誰にも止められない。お前自身でさえな」
耳元でささやかれたその声は、あまりに優しく、あまりに冷たかった。身体が震えた。否定の言葉が唇から零れるたび、香煙を吸い込んだ肺が焼け付くように熱くなり、理性を溶かしていった。
「ふふ、堪らないな」
ウルの手が肩をねっとりと撫でる。もうその刺激だけで、真珠は震えるくらい感じてしまっていた。衣装を乱し、布地が滑り落ちるたび、真珠は声を抑えきれなかった。
「は……っ、やだ、やめ……」
「可愛い声だな。お前がどんなに拒んでも、その声は俺だけに聞かせるものだ」
涙が滲む。恥ずかしくて、怖くて、悔しくて、なのに抗えなくて。
(どうして…なんでこんな…)
でももう、その問いを声にする余裕もなかった。
ただ熱と香りと、ウルの冷たい微笑みに支配されながら、身を捧げるしかなかった。
後宮の奥の奥。
決して外には聞こえない、閉ざされた場所で。真珠は、その夜、王に奪われた。
そして、その身に“王の后”という刻印を、否応なく刻み込まれた。