婚姻
「ようこそ、我が后よ」
満足げな笑みを浮かべ、ウルは真珠を見下ろす。その眼差しは、彼女を完全に手に入れたと確信しているようだった。
「これにて、婚姻は完了した」
ウルが放ったその一言は、まるで静かに刃を滑らせるかのように、真珠の耳に深く刺さる。現実感のない状況の連続に、真珠の頭はまだ理解を停止していた。
「えっ、な、に?」
乾いた声が自分の喉からこぼれたことにすら気づけない。ただ、脳が言葉を反芻する。
后?完了?婚姻?誰が?……わたし?と、誰と?
「嘘、でしょ…?」
呟いたときには、既に後宮の扉が音もなく閉ざされていた。ガチャン――という静かな錠の音に、全身が凍りついた。この音はただの扉の閉鎖ではない。自由という名の出口が、確実に消えた瞬間だった。
「ちょ、ちょっと、待って。待ってってば……!」
真珠は慌てて後ずさり、今来た扉に手をかけようとする。だが、ウルはそれより一瞬早く、彼女の手首を軽く掴んだ。
「……っ」
「そう慌てるな。逃げられると思っているのか?」
低く、穏やかな声。なのに、心の奥をしっかりと掴んで離さない王の圧がそこにあった。
「逃げるって…なに勝手なこと言って……これは、ただの――」
なんでもない。そんなはずがない。書類も書いてない、式も挙げていない、証人もいない、家族もいない、ただ衣装を着せられただけで――
「こ、これで婚姻が成立だなんて、おかしいわよ!」
真珠の声は震えていた。怒りか、恐怖か、あるいは理解不能な状況に対するパニックか。
「おかしいのは、お前だ」
ウルはあくまで優雅に、だが瞳の奥に笑いを湛えながら言う。
「婚姻は儀式で決まるものだ。我が国において、首輪とヴェール、そして王太子の手によって迎え入れられた者は、法的にも神の御前でも妻だ」
「そ、そんな……私は、そんなつもりじゃ……っ」
真珠はもう一度、扉のほうへ足を向けようとするが――ふわりと、ウルの手がその腰を抱き寄せた。
「やめて…!」
「俺はお前を怖がらせたいわけじゃない。だが――」
囁くような声は、耳元で静かに響く。
「もう、どこにも行かせるつもりはないんだ」
「っ……!」
力は強くはない。だが、離れようとするたびに、ウルの指先が逃がさないと語るようにしっかりと添えられている。
「あなた、どうかしてるわよ!もっと理性的に考えたらーーっ」
「その理性が崩れ落ちるほど、欲しくなったんだよ」
そう言って、ウルは真珠の首に手を添える。そこには、王家の紋章が刻まれた首飾り――まさしく花嫁の証。
「やめて……お願い、これ、外して……!」
真珠は首飾りに手を伸ばす。が、そこにウルの手が重なる。
「これはもう、お前の肌の一部だ。…外すなんて、無粋なことを言うな」
「ウル、お願い…」
懇願する声に、ウルの瞳がゆっくりと細くなる。
「……お前からのお願いか、いい響きだな。もっと言え」
「ふざけないでっ!」
その叫びにウルは笑う。怒っているのではない、喜んでいるのだ。
「お前はまだ、自分がどれほど俺を惹きつけているのか、わかっていないんだな」
その言葉の意味を考える前に、真珠はまた逃れようと身をよじる。だが――背後の扉も、窓も、すべて閉ざされていた。部屋は静かだった。青いシルクが波打つようなカーテン、天井の金細工。すべてが美しい牢獄。豪華で、優雅で、甘美な檻。
ウルはそっと真珠の額にキスを落とした。
「怖がるな。お前を閉じ込めるのは、この国で最も安全な場所に導くためだ」
その言葉は、どこまでも優しく、それでいて逃れられない契約のように響いた――。