記者会見をすることになりました
公式記者会見が決まった日。会議室を出た直後、ウルは真珠の腰を無言で抱いた。側近たちが慌てて視線を逸らしたのを、真珠は気づいていた。
ウルはその青い瞳を真珠にだけ向けて、低く告げた。
「お前は俺の隣にいろ、どこにも行かせない」
真珠は小さく頷づく。頬が赤くなるのを止められなかった。
そして、その宣言は――ただの口約束じゃなかった。
【王宮執務室】
真珠が政務の書類に目を通す。窓の外の庭園からは爽やかな光が入るはずだったのに、空気は張り詰めていた。
斜め向かいの机に、ウル。黒と金の装束を纏い、書類をめくる長い指。側近に指示を飛ばす冷たい声。だが――その視線は頻繁に真珠に向けられた。
真珠が少しでもペンを止めると、低く問いかける。
「どうした、疲れたなら言え」
周囲の側近たちが無言で顔を伏せた。
彼らも分かっていた。
ウルが真珠から目を離さないことを。
【礼法指導室】
「后殿下、もう一度歩き直しましょう」
礼法講師が穏やかに言う。真珠は浅い呼吸を整え、裾を持って立ち上がる。
講師の視線が一瞬、部屋の隅をちらりと見る。黒い民族衣装の男が、壁際に腕を組んで立っていた。
……ウル。
無表情で真珠を見つめていた。細い青の瞳が、逃げ場を与えない。
講師が咳払いをして声を落とす。
「殿下、お立ち会いは……」
ウルは視線を動かさず、一言。
「必要だ」
真珠は必死で笑みを作った。
「大丈夫です……続けましょう」
【食事の時間】
長いテーブルの上に並ぶアメニア料理。ウルは真珠の右隣に座っていた。席を離れることを許さない距離。
フォークを落としかけた真珠の手を、無言で押さえる。
「落とすな」
真珠は恥ずかしくて顔を赤くする。周囲の給仕たちが見ていないフリを決め込む。
【衣装合わせ】
侍女たちが布を広げ、色合いを確認する。
「こちらの青が后殿下の瞳をより……」
「こちらは王太子殿下と合わせた…」
真珠が試しに布を当てられると、ウルの視線が動く。
「それは却下だ、透けすぎる」
侍女たちが青ざめる。真珠も真っ赤になる。
「だ、大丈夫よ、ウル……」
「却下だ」
最終的に、真珠が必死に説得して「殿下と色を合わせた落ち着いた青」に決定。だが、ウルはずっと黙って横に座り、選ぶ過程を全部見ていた。
【夜、後宮の部屋】
唯一二人きりになれる時間。真珠は疲れて息を吐き、寝台に倒れ込む。ウルはその足元に座り込み、無言で髪を撫でた。
「……大丈夫だ」
低い声が、囁くように落ちる。その手は優しくて、でも決して離さない。真珠が目を閉じると、そのままそっと抱き寄せられる。
「逃げるな、お前は俺の隣だ」
その言葉に、真珠は小さく頷くしかなかった。
【会議室移動中】
政務のために廊下を歩く。真珠の右手をウルが強く引く。側近たちが頭を下げる中、真珠は恥ずかしくて視線を逸らした。だがウルは止まらない。どんなに忙しくても、真珠を引き連れて歩いた。
「話を聞け」
「書類にサインする時は俺の確認を待て」
「分からないことは黙るな」
その言葉は厳しかったけれど――全てが「隣にいろ」という命令だった。
【側近たちの会話】
「殿下、政務のご予定が……」
「后殿下の礼法指導も……」
「会見の準備が……」
ウルの返答は常に同じ。
「真珠を連れていけ」
「俺がいる」
「俺が見る」
側近たちが顔を見合わせて小さく嘆く。
「……知ってた」
「はい、知ってました」
会見準備が山場を迎えた週の中頃。真珠は王宮の長い廊下を歩きながら、軽くめまいを覚えていた。衣装合わせ、質問シミュレーション、礼法指導、公務……。その全てにウルがついてきた。
そして今も。真珠のすぐ横を、黒い衣装の男が無言で歩く。周囲の侍女たちが気を遣って距離を取る中、ウルだけは絶対に離れなかった。
真珠は意を決したように足を止めた。そしてウルを見上げた。
「……あの、王太子殿下」
ウルの青い瞳が動く。
「何だ」
真珠は頬を赤くし、言いづらそうに目を伏せた。
「少し、席を外したいのですが」
「どこに」
その声が即答だった。しかも低く、鋭い。真珠は小さく肩を震わせた。
「え、えっと……その、控え室の奥に……」
「どこだ」
「……お手洗い……」
周囲の空気がピシッと凍った。侍女たちが気まずそうに視線を逸らす。側近がそっと耳打ちするフリをして距離を取った。
だがウルは動じない。青い瞳を細めて真珠を射抜いた。
「どれくらいかかる」
真珠の顔が真っ赤になった。
「そ、そんなの……普通の時間……です」
「何分」
「数分っ……!」
「誰が中にいる」
「えっ、あ、侍女さんが……」
ウルはゆっくりと首を巡らせ、背後にいた侍女長を一瞥した。侍女長がビクリと硬直し、慌てて頭を下げる。
「は、はい、后殿下専用の個室ですので、誰も入れません!」
ウルは一言も返さなかった。ただその冷たい視線で念を押すように侍女を睨みつけた。侍女長は小刻みに頷いた。
「はいっ、絶対に誰も近づけません……!」
真珠は泣きそうになりながらウルの袖を引いた。
「だ、大丈夫ですから。殿下は、ここで……お待ちください……」
ウルはピクリとも表情を崩さなかった。そして低く吐き捨てるように言った。
「三分だ」
真珠が盛大にむせた。
「えっ、ええっ……!?」
「三分過ぎたら呼ぶ」
「呼ぶって何を!? やめてください!!!」
周囲の側近たちが全員下を向いて肩を震わせていた。笑いを堪えるのに必死。
侍女長だけが青ざめて小声で指示を飛ばす。
「殿下のお声が届かない位置に、誰も立たないように!!!后殿下に声をかけるのも厳禁よ!!!」
真珠は顔を真っ赤にしたまま、裾を持ち上げてお手洗いへ走るように向かった。振り返ると、ウルの姿がそこにあった。腕を組み、無表情で待つ王太子。青い瞳が、逃げるなと言うように冷たく光っていた。
「……あの人、絶対に迎えに来るつもりだ」
真珠は心の中で絶望した。そして、頬を赤くしながら扉を閉めた。
側近たちが小声で囁いた。
「……あれ、絶対迎えに行きますよね」
「行きますね」
「だって“片時も離さない”って仰ってましたもん」
ウルは聞こえていないフリをしたまま、ただ一点を見つめていた。その先には閉まった扉。
冷たい声が漏れた。
「……遅いな」
まだ一分しか経っていなかった。
お手洗いの重い扉が閉まった瞬間。真珠は壁に手をついて、小さく息を吐いた。頬は熱くて、指先まで震えていた。
「三分って何……!!子どもじゃないんだから!!恥ずかしすぎる……」
思わず声を殺して唇を噛む。でも耳の奥に、あの冷たい声が残っていた。
「三分だ。三分過ぎたら呼ぶ」
真珠は額を押さえて膝を折った。スカートの裾が揺れる。
「あの人……本当に迎えに来るつもりだ……もう、やだ……!」
一方、扉の外。
ウルは壁に背を預け、腕を組んでいた。動かない。目だけが鋭く、真珠が入った扉を真っ直ぐに見据えていた。
侍女長が小声で囁く。
「……殿下、あの……」
ウルの青い瞳が動く。
「何だ」
侍女長はビクリと硬直した。
「い、いえ……お時間、まだ経って……」
「二分」
「……あっ、はい……」
横にいた側近が別の側近の袖を引く。
「(二分て、数えてる……)」
「(ガチで数えてる……)」
全員が目を逸らし、空気を殺した。その場に吹き溜まった重圧が、冗談抜きで呼吸を奪った。
中の真珠は、気配を感じて震えた。扉越しに分かる。外に、あの人がいる。あの青い瞳が、自分を睨むように待っている。
「お願い……帰って……ちょっとくらい、一人にならせて……」
でも分かっていた。そんなの、通じない。ウルは本当に呼びに来る。
そして――
ウルが動いた。
長身を起こし、ゆっくりと扉に近づく。その動作すら無駄がない。
「三分だ」
低く、一言。
真珠の心臓が跳ねた。息を呑む音が、自分でも聞こえた。
「やばい、本当に来る……!」
扉の外で、侍女長が慌てて前に出た。
「殿下、お、お待ちを……!」
ウルの目が一瞬だけ動く。冷たい視線が突き刺さった。
「退け」
侍女長、蒼白。
「……はい」
ノックもせず、取っ手に手をかけるウル。その瞬間、扉の内側から声が弾けた。
「ま、待って!!」
ウルの手が止まった。
真珠の声は必死で、上擦っていた。
「ま、待って……!!今、今出るから!!」
一瞬の沈黙。外も中も固まった。
扉の外で側近たちが小声で嘆息する。
「(ああ……これは……)」
「(后殿下、お気の毒に……)」
中では真珠が頬を真っ赤にして呼吸を整えていた。
「は、恥ずかしい……死ぬ。もう、やだ……やだ……!!」
でも観念してスカートを整える。扉の取っ手に手をかける手が震えた。
そして、ゆっくりと扉が開いた。ウルが目の前に立っていた。完璧な民族衣装、青い瞳、表情はいつもの無表情。
真珠は目を逸らした。
「……お、お待たせしました……」
ウルは動かない。真珠の頬が更に赤くなる。
「……ご、ごめんなさい」
ウルの青い瞳が細まる。一瞬だけ、口の端がわずかに動いた。
「遅い」
その声は低く、冷たかった。だが――なぜか少しだけ、いつもより静かだった。
真珠は小さく震えながら、でも顔を上げた。ウルの視線を受け止めた。そして無言で頷いた。
ウルはその頷きを見届けてから、ようやく身を引いた。だが腰に手を回す動きは躊躇わなかった。
真珠が驚いて声を詰まらせる。
「ひっ……!」
ウルは耳元に顔を寄せた。吐息が触れる距離。
「次は二分だ」
真珠の顔が真っ赤になった。侍女長が気絶しそうな顔をして、側近たちは完全に目を逸らした。
そして、王太子と后は何事もなかったかのように廊下を歩き出した。ただ、真珠の頬は火がついたように赤く、ウルの腕の力は一切緩むことがなかった。




