儀式を見た人々
アメニア王都の街中では
式の日は事実上の祝賀日になった。大理石の広場には巨大スクリーンが設置され、露天商たちが特別に許可を得て屋台を並べた。香ばしい焼き菓子や甘いナツメヤシの菓子、ミントティー、スパイスのきいた炊き込み米。空気がふわりと甘く香った。
婚約式の中継が始まると、みんな集まってスクリーンを凝視した。母親は幼子を抱え、若い兵士たちは目を細めて息を呑む。老父は杖をつき、白髪を風にそよがせながら見上げていた。
『ほら、あれが王太子殿下だよ』
『隣にいるのが、妃様になる人か』
『……異国の人だって言ってたけど、青い布纏って綺麗だな』
『アメニアの男らしいけどな。欲張りだけど、一度決めたら全部自分のものにする』
『……あの目、怖いけど、なんだか泣けるな』
誓約の言葉をカメラが拾うと、街中が静まり返った。スクリーンからウルの低い声が流れた。
『この女を、俺のものとする』
『誰にも奪わせない。神よ、見届けろ』
息を呑む音が響いた。やがて、拍手が起こった。
それは小さく、でも徐々に大きく、広場全体を満たした。屋台の店主も、鍋をかき混ぜる手を止めて拍手した。
『……殿下、ようやったな』
『もう、逃がさねえだろ』
『そりゃ、あんな目で睨まれたら誰も手を出せねえよ』
夜になり、祝賀の提灯が並んだ。子どもたちが手を繋いで「后様だー!」と歌いながら走り回る。若い娘たちは噂話を弾ませた。
『見た? あの青い婚礼衣装』
『私もいつか、あんな風に一人だけに選ばれたいな』
『でもあんな目で睨まれたら、ちょっと怖いよ……』
『でも……幸せそうだったね』
青年たちは酒場で騒いだ。
『たった一人選んだってよ』
『死ぬほど惚れてんだな』
『……いや、あれは執着だ』
『でもそれでいいんだろ。王族だしな』
アメニア王国は、王太子の愛と執着を知った。そして国中がそれを受け入れた。それは祝福であり、畏怖であり、そして何より――「王太子は、あの人を守るためなら何でもする」という、揺るがない覚悟の証明だった。
世界は、アメニア王国の王太子を恐れ、そして注目していた。かの国の血筋は古く、暴君の伝説が絶えない。だが、その王太子は即位前から異例の強硬さと周到さを見せていた。
最初に世界をざわつかせたのは、約一年前のあの声明だった。
「アメニアの王太子、正妃を迎える」
それが公式発表として国営放送を通じ、世界中に拡散されたのだ。ニュース速報は各国に走った。外交ルートも一斉に動いた。だが、アメニア王宮が公表したのは――「アジア出身の女性」というたった一行のプロフィールのみ。
各国は混乱した。
「誰だ?」
「どこの国籍だ?」
「どこの名家の娘だ?」
「なぜ情報を隠す?」
各国の大使館、情報機関、王室関係者が血眼になって探した。東アジアの外交筋は戦々恐々とし、東南アジアの王室は懸念を強めた。
「自国の娘が選ばれたのか?」
「もしアメニア王太子の伴侶なら、我が国はどう応じる?」
豪奢な晩餐会の陰で、各国の外相が杯を交わしながら耳打ちし合った。
「奴は一体、誰を選んだ?」
「それを隠すのは、外交カードにするつもりだ」
「いや、本当に囲って監禁してるらしいぞ」
「アジア出身、とだけ言ってな」
ワイドショーも過熱した。
「謎のアジア人女性、監禁説浮上!」
「砂漠の王子が選んだ“唯一の女”とは?」
スクリーンに映し出されるのは、ただの推測写真や、後宮の壁の写真。何も確証はない。だがその“情報不足”こそが世界を狂わせた。各国メディアは必死に「該当女性」を捜索した。日本、韓国、中国、東南アジア諸国で取材合戦が繰り広げられた。
「日本人女性失踪か?」
「中国系富豪令嬢との噂も」
「東南アジアの少数民族女性が後宮に?」
当事国政府は公式に否定したり、「調査中」と濁したり。実態は闇の中だった。それが、約一年前の世界の姿だ。
そして。
全世界の熱狂と混乱が一度冷めかけたその頃。アメニア王宮は、再びやってのけた。
「神前婚約式を、全世界に向けて生配信する」
その発表がなされると、世界は再び沸騰した。
「ついに正体がわかるのか」
「どの国の女が選ばれたのか」
「本当に、たった一人なのか」
式の日。
映像は砂漠の国の白大理石を照らす陽光を映した。香が焚かれ、石段を昇る黒衣と青衣の二人。カメラは容赦なく寄る。真珠の顔を映した。特有の繊細な輪郭。切れ長の瞳。戸惑いも覚悟も混じった揺れる瞳孔。わかる者にはわかる人種。その瞬間、全世界は息を呑んだ。
「日本人だ」
速報が走った。
「アメニア王太子の伴侶、日本人女性だった!」
各国メディアが一斉に翻訳を打った。
「Japanese woman chosen as sole consort.」
(唯一の配偶者として選ばれた日本人女性)
「アジアの正体、ついに判明」
当然、日本国内も騒然とした。
「本当に日本人なのか?」
「何者なんだ?」
「親族は?友人は?」
地方紙は記者を派遣した。だが家は取材拒否。近隣住民は軒並み口を噤んだ。
「……知らないとは言えない。でも、もうそっとしてあげて」
アメニア王宮前には、世界中の報道陣が詰めかけた。
「殿下、お后様は日本国籍ですか?」
「なぜ今まで隠していたのですか?」
「なぜ監禁していたと噂されたのですか?」
王室広報官は淡々と答えた。
「伴侶を守るためです」
「王太子殿下は、伴侶を唯一の后とする覚悟をお示しになりました」
「本日、それを神に誓いました」
キャスターは画面越しに呟いた。
「……守るために、隠した…だがそれは囲ったと言うことでもある。そして今、世界に見せた」
スタジオが静まり返る。それを誰も否定しなかった。
また、外交筋は頭を抱えた。
「一年間のあの混乱はなんだったんだ」
「情報戦か?」
「いや、本当に“監禁”だったのか」
「あの男は本気だ」
欧州の新聞は翌日、一面に大きく載せた。ウルが真珠の手を掴む写真。
「誰にも奪わせない」
そのキャプションは、世界中で翻訳された。
各国の政治家は、改めてアメニアという国を見つめ直した。
「手出しすれば、国を敵に回す」
「逆に味方にできれば……信用はできる」
「あれはあの王太子の心臓だ」
そして神前婚約式を終えた夜。
日本の小さな家で、年老いた女性がテレビを見つめていた。手を合わせるようにして、つぶやいた。
「……幸せにおなり」
世界は知った。一年間探し続けた“アジアの女”。それが誰だったか。そしてなぜ隠されていたのか。理由は一つしかなかった。
「誰にも奪わせないため」
それを、世界中に向けて見せつけた。国を背負い、血を継ぎ、権力を振りかざし――それでもたった一人を選んだ男の狂気を。それを受け止めた女の覚悟を。
世界は見た。そして誰も忘れなかった。あの石段を昇る二人を。手を繋ぎ、指を絡め、誓う姿を。




