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真珠が入院する前、まだ後宮内を歩けていたころ。すでに神前婚約式の準備は最終段階に入っていた。


衣装部屋には、アメニア王家の伝統を守る専門の仕立屋が集められ、女官長、アサナ、神殿側の衣装管理官までが出入りする一大プロジェクト状態だった。絹や刺繍糸のサンプル、生地見本帳が所狭しと並べられ、縫製台には下絵の図案が広げられている。


真珠はその場に座って、戸惑いながらも説明を聞いていた。


「こちらが王太子殿下のお召し物の下絵でございます」


「そしてこの黒は深い夜を象徴し、伴侶を迎える柔らかさを備えます」


「そして、この青は……」


女官たちがにこやかに説明する。


「妃殿下の衣装でございます」


真珠はその青を見て、はっとした。以前サンプルで見ていた青とは全然違う。深い、濃い、でもどこか透き通るような青。真珠がアメニアに来てから何度も見てきた色だった。ウルの瞳の、あの紺碧の色。


「……これ……ウルの、青だね」


真珠が小さく呟いた声に、女官たちが笑顔で頷いた。


「ええ、殿下のお色でございます」


「王家では、伴侶の色を纏い、神に誓うのです」


「妃殿下が殿下の色を纏うことは、“この方にすべてを預けます”という誓約の意味」


真珠は思わず小さく息を呑んだ。そうか、自分はこの色を着て、ウルに誓うんだ。何もかも預けるって。逃げも隠れもしないって。頬が少しだけ熱くなるのを自覚しながら、そっと布地を撫でた。


そして、次に見せられたのは王太子用の衣装案だった。深い黒。でもアメニアの格式ある文様が細かく織り込まれていた。


「……黒?」


思わず声を出す真珠。儀式といえば、白じゃないのだろうか?不思議に思っていると、女官長が柔らかく笑った。


「ええ、殿下は近頃は常に黒を選ばれます、“妃殿下のお色”を」


真珠は一瞬きょとんとした。


「私の……色?」


アサナが扇を軽く鳴らして補足した。


「黒は真珠様の色と認識されております。坊っちゃまが後宮を持ち始める頃から、ずっと衣装は黒だったそうです」


にっこりと、笑うアサナ。


「坊っちゃまは、もうだいぶ前から“真珠様の色を纏う”という強い意志を示していたのでしょう」


真珠の頬がみるみる赤くなった。心臓が跳ねる。あの人……そんなつもりで……。心の中で呆れたように笑いながらも、熱くなる胸を押さえた。


「お似合いでしょう」


女官たちが微笑む。真珠はやっとの思いで頷いた。


「……うん。いいと思う……すごく、いい」


実際、仕立屋が広げて見せる試作布は見事だった。真珠の青はウルの瞳と同じ深さを持ちながら、白い絹の下地を通してわずかに光を透かす。ウルの黒は真珠の髪と同じ艶を持ちながら、金刺繍が王家の誇りを表した。


アサナがそっと耳打ちする。


「坊っちゃま、普段は絶対に白しかお召しにならなかったんです。視察で外を回る際は例外でしたが…でも、真珠様のためにお変えになったのです」


真珠は言葉を失った。あの不機嫌で、無骨で、無口で、でも誰よりも執着深く、誰よりも脆い人が。自分の色を纏うのを、あの人が望んだ。馬鹿みたいに真っ直ぐに。思わず、胸の奥がじんわりと熱くなった。


その日の夜。寝室で真珠は、少し緊張しながらウルに言った。


「衣装、決まったんだって」


ウルは無表情で目を細めた。


「そうか……お前の色を、着る」


声は低いのに、わずかに掠れていた。


真珠は小さく微笑んだ。


「私も、ウルの色を着るよ。すごくきれいな青。ウルの目みたいだった。」


ウルの喉がごくりと鳴ったのを、真珠は見逃さなかった。瞳が細められ、でも視線が逸らせないように絡んだ。


「……俺だけ見ろ」


低い声が部屋を震わせた。


「式の日も、その青を着て、俺だけ見てろ」


真珠はふっと笑った。


「うん。約束する」


それ以降、衣装部屋では装飾の最終チェックだけが残った。色は決まった。形も決まった。刺繍も、神殿に提出する儀礼書類も、全てが整った。


残っていたのは、神殿側との正式な日程調整と、神官長の最終承認だけ。でもそれはウルと神殿の駆け引きだった。真珠は後宮で、自分の衣装の刺繍を見ながら、ゆっくりと深呼吸をした。


「これを着る日が来る。あの人に、誓う日が来る」


怖さもあった。でも、嬉しさもあった。胸がきゅっと痛くなるくらいに。


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