七
◇
この思いを彼に伝えよう。
そう決心したのは大学二年生が始まった頃だった。
危機感をもった。このままでは一生を片思いで終わらせてしまう。まあ、それはまだいい。
嫌なのは、彼にこの気持ちが伝わらないまま、老いてしまうこと。こんな宙ぶらりんなまま、死にたくない。
彼に電話して、これから行くことを告げる。大事な話がある、そう言った。
彼は不思議がりながらも、了承した。
結局一緒の部屋に住むことはできなくて、私は彼のアパートから少し離れた、セキュリティのしっかりしているマンションを借りた。
そこから、走って彼の元へ向かう。
周りなんて見えてなかった。いつかと同じ。いや、いつもとおなじ。でも、その時だけちがった。
気付いたら、私に自動車が向かってきていた。
はねられた。
コンクリートに体を打ち付けて、ああ、死んだ、なんて。血がダラダラだったから、そう思った。
でも、死ねない。まだ伝えてない。もしかしたら生まれてから二十年、ずっと愛していた人かもしれないのに。
血が垂れる。
嫌だ。死んだらこの想いを誰が伝える? 誰にも言えなかった胸の苦しみを一体誰がわかってくれる?
そうだ、もっと早く言ってればよかったのだ。彼みたいに常識に捕われないで、伝えればよかったのだ。
でも、私は弱虫。だから、彼に憧れたのだ。二人で一人、そんな二人だったから。
意識が遠退いた。けれど、思いは途絶えない。
どうしても。
どうしても。
どうしても、伝えたかった。
◇
私はその瞬間に目を覚ました。今までの記憶が鮮明に思い出される。
そうだ。私は草野遥。現役大学二年生。サークルはテニス。誕生日はちょい前。成績はまあまあ。友達付き合いもよい。結構モテてる。でも、絶対に付き合わない。だって、好きな人がいるから。多分、生まれてからずっと、好きだった人。
そして彼は目の前にいた。真剣な眼差しを私に向けてくれている。嬉しい。
でも同時に悲しい。どうしてそんな今にも泣きそうな顔をしているの?
「やっぱり……遥だったか」
彼はそういった。苦しそう。なんで? 私は……
ちらり、と横を向いたのがいけなかった。そこには笑顔の私の写真があった。写真には黒い帯がかかっている。即座に理解。
私は……死んだんだ。
そして……。
生き返ったんだ。彼と過ごした一ヶ月ほどの思い出が、フラッシュバックする。ああ、私はこんな思いをしていたんだ。
断られた同棲生活までできて、幸せだったんだ。彼が怒るから、渋々だった。でも、最後に幸せだった。よかったんだなぁ。
「遥……っ」
前を向く。
あの強くて頼もしくてカッコイイ彼が、泣いていた。感情を剥き出しにして、泣いていた。
「どうして泣いてるの?」
「だって……。俺がおまえの気持ちに気付いてやってたら」
……ああ。結局私は彼に想いを伝えてなかった。そうだ。幽霊になっても、彼はしばらく気付いてくれなかったんだ。
でも、やっと、気付いてくれた。私が今までずっと言わなかったのは、もしかしたら彼が気付くのを待っていたのかもしれない。
「俺は、俺は……っ」
「いいんだよ」
私は精一杯の笑顔で応えた。あなたはなにも悪くない。悪いのは、多分、私。怖かったんだもん。いろいろと。
臆病だったの。想いを伝えたらすべてが壊れてしまいそうだったから。
でも、もう我慢する必要はないんだよね。吐き出していいんだよね。
そう思うと、知らず、鳴咽が漏れた。最後、なんだ。彼と会うのも。生きるのも。
「うっ……今まで、ありがとね。私、最後にあなたと二人で過ごせてすっごい幸せだった。今までで一番。初めての、でっ、デートに誘ってくれて……」
涙で顔がぐちゃぐちゃ。でも彼には見えてないんだろうな。そう思うと益々泣けた。
「おっ、俺だって。凄い、幸せだった。ありがとう。おまえのおかげでまた頑張れる……」
私からは彼が見える。とっても泣いてる。彼がこんな風に泣くなんて、知らなかった。私も彼のことを全てわかってるつもりだったのに。
ううん、もういい。私は彼に想いを伝えに来たんだ。それ以外は野暮。この機会をくれた神様を怒らせたくはない。
「あのね。大事な話があるの」
「……ああ」
彼も悟ったらしい。ゆっくりと頷くと、涙で濡れた顔をこちらに向ける。
私は堪えられなかった。彼に抱き着く。抱き着いて、抱き着いて、抱き着いて。
彼の温もりを一杯もらって。やっぱり好きだと確信して。
精一杯の勇気を振り絞って、二十年来の想いを告げた。
「私はあなたの傍にいられてとっても幸せだった。二十年間、ありがとう。とーっても、愛してるよ。お兄ちゃん」
◆
最後にその言葉を残して、遥の気配は静かに消えた。仏壇に飾られた彼女の顔が、新たな色を付け足したように見えた。
「あら、和也。いたの?」
よっこいしょ、なんて掛け声をかけながら、買い物から帰ってきた母親が、袋を置いた。和也の視線が双子の妹の仏壇から動かないことを見て、俯く。
「知ってた? 母さん。遥さ、ずっと俺のことが好きだったんだってさ」
涙が止まらない。葬式では泣かなかった。ただただ、胸を埋める空虚にさいなまされた。そして、生きる気力を失った。助けてくれたのは、結局遥だった。
「勿論」
当たり前、といった様子で母親は頷いた。
「私はあんたらの母親だよ。遥はずーっとお兄ちゃんお兄ちゃん言ってたでしょ」
「気付かなかった。ずっと妹だから甘えてるんだと思ってた」
「それでいいの。今となっては、もう。あんた、さっさといい女を嫁にもらいなよ」
母親はそういって、台所に向かった。強いな、と思った。泣いていたのは、黙っておく。
でも、当分嫁はきそうにない。
この一ヶ月の間に恋をしてしまっから。
「俺も愛してる。ありがとうな、遥」
また幽霊でもこないかな、と思う。そしたら絶対同棲を許可するのに――




