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Behind You  作者: しろがー
3/8

 

 ◇



 初めて彼を意識したのは幼稚園のときだった。


 私と彼は同じ幼稚園に通っていた。バスでの出迎え、同じバスに乗って、いつも二人は隣り合わせに座った。


 彼は優しかった。幼稚園の頃からいつでも私に気をつかってくれて、私はとてもうれしかった。


 彼は素敵だった。彼の話はどんなものでも、鮮やかな色彩を私の脳裏に浮かび上がらせた。綺麗な旋律を奏でてくれた。


 そうやって彼が大人のようであったから、私は感化されたのかもしれない。


 その頃から、私は彼に恋をし始めていた。



 ◆



「誰だ、あんた」



 和也は落とした袋を拾いながら、尋ねた。幸い買った物の中に炭酸のような、取り扱いに注意が必要なものはない。


 和也は最初こそ驚愕したが、今となっては冷静沈着であった。落ち着く理由を発見したわけではなく、驚く理由がなかったから。たかが見知らぬ女性一人が部屋にいただけ。はい、それだけ。



「え?」



 不思議そうに、彼女は首を傾げた。そして、自分の両手を持ち上げ、じーっと見る。



「何してんの?」


「え、ああ、あの……」



 部屋に勝手に上がりこんだ女性よりも、上がり込まれた和也の方が落ち着いているという不思議。困惑した様子の彼女は、身振り手振りで動き、



「あの、ごめんなさい。勝手に上がり込んじゃったみたいで」


「別にいいよ」



 上がり込んじゃったみたいで。その口ぶりからするに、故意的ではないのか。というか、自発的でなくどうやって他人の部屋に入れるというのだろうか。



(ま、どうでもいいか)



 持ち前の落ち着きを失わない頭脳でそう判断し、和也は部屋に入っていった。テーブルの上に袋を置き、その傍らに佇立している彼女に向けて、「いつまでいるのさ」くらいの声を出そうとして、動きを止めた。


 至近距離から彼女を見て、目を見開いた。いくら他人が家に入っていようが一切気にしない和也でも、これには驚かざるをえない。 


「あんた……」



 全体を見て、その存在感はとても希薄だった。目の前にいるはずなのに、一瞬目を離すといるのかわからなくなる。女性だとはわかるのだ。しかし、その顔や体型はわからない。霧がかかったかのように、その姿を不明瞭にしていた。



「あの……私はどう見えているのでしょうか?」



 彼女は恐る恐る、といった様子できいてきた。恐る恐る、というのも、何故かわかる。第六感が働いているのか。



「なんか……ぼやけてる。なんなんだ? なんか使ったのか? いや、俺の目がおかしいのか」


「いえ……あなたの目はいたって正常だと思いますよ」


「じゃあなんで?」



 問うと、彼女は俯いたようだった。それから意を決したように、口を開く。



「私はすでに……死んでますから」





 ◆





「つまり、あんたは幽霊なのか」



 驚愕の事実を知らされ、腰を抜かすとも思ったが、和也は持ちこたえた。そして自分を落ち着かせるため、久々にお茶を沸かした。何故か不法侵入の疑いがかけられている女性の分まで用意してしまった。それほど動揺したのだ。



「わざわざ……すみません」


「まったくだ」



 和也は茶をすすりながら、過去の自分を叱責する。とはいっても5分程前の話だが。5分も経てば和也も充分冷静になれた。


 半分ほど飲み干すと、テーブルを挟んで目の前に座る女性に、質問を投げかける。



「死んだのにこの世界にいるってことは、結局そういうことだろ?」



 率直に言うと、彼女は頷いた。その動作は小さく、落ち込んでいるのがわかる。


 

 ぶっちゃけ知らない女が悲しもうが、関係ない。それが生きた者でない場合、尚更に。



「じゃ、さっさと成仏してくれよ。俺だって生活あるし」


「う……」



 彼女は苦しそうに声を漏らす。和也はそれを見て……いや、感じて、大仰にため息をついた。



「はっきり言うと、俺は霊感ゼロなわけ。そんな俺にも見えてるあんたは相当やばいと思う。だから、すぐにいなくなってほしい」


「……」



 正直に吐露し過ぎて、辛辣な言葉になってしまったか。彼女は押し黙ってしまった。しばらく無言のときが過ぎる。



(そういや今は一時ちょいすぎ)



 幽霊やお化けの類は夜に出るのがテンプレだと思っていたが、そうでもないらしい。この部屋が薄暗いから大丈夫なのか。とにかく、疑問は尽きそうになかった。


 和也が欠伸をかきはじめたとき、女性は重い口を開いた。



「成仏……ってどうすればいいのでしょうか?」


「……知るか」


「ですよね」



 おいおい、と和也も不安になった。このお化けさんは自分がなんでここにいるのかわかっていないのか。



「大体そういうのって、現世でやり残したことがあるから、起こるんじゃないか? 何かないのか、未練みたいなもの」


「……」



 またしてもだんまり。一分程の間を置いて、



「わかりません。今となっては前世、っていうんですか? とにかく生きていた頃の記憶がないんです。私が誰なのかも、どうして死んだのかも、何故ここにいるのかも」

 

「はぁ」



 何もないのか。手掛かりどころか、自分の正体すらもわからないとは。これは色々と骨が折れそうである。



「……申し訳ありません」



 本当に申し訳ないように、彼女は深く頭を下げた。下げられても困るのだが。



「じゃあ……出ていけっていうのは無理なのか?」


「……」



 黙った。どうやら肯定らしい。


 確か霊というのには地縛霊というのがいたはず。その土地に未練を残し、こだわる霊。それが今になってやってきたってことか。残念だ。ここは気に入っていたのに。



「引越し、か……」


「……あの」



 大変申し訳ないのですが、と彼女は俺のつぶやきに対して前置きした。何かと思って言葉を待つと、彼女は怖ず怖ずと進言する。



「地縛霊、ではないと思います」


「どうして?」


「……えと」



 根拠はないのか、と根強く待って見ると、蚊のなくような声が、



「ちょっと、部屋を出てもらえますか」



と。


 別に部屋から出るくらいどうってことはないので、従う。アパートは一部屋しかないので、部屋から出るというのは必然的に家から出るということだろう。


 家から出て、ドアを閉めると、あたりは静寂に満ちる。はずだった。


「……すみません」


「うわっ!」



 驚いて振り返るその先には、俯いた彼女がいた。部屋からは出た。なのに彼女は背後にいる。つまり、この土地ゆかりの人物ではないのか。



「あなた……です」


「はい?」


「私が未練を残しているのは、この土地ではありません。あなた、なんです」



 たっぷり数十秒の沈黙。そして、



「マジ?」



 搾り出せせたのはそれだけだった。どうやら、人に取り付く幽霊だったようである。悪霊ではないことを、ひたすらに祈る。


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