288話 甲蟲人:襲来2
クロムウェル帝国の首都ゼーテでは甲蟲人の第一次襲来の知らせを受けてから毎日必ず街の外周を兵士が見回る事にしていた。
街の外周とは言っても城壁の上から見える範囲では意味がない為、城壁から30km程度の距離を1個小隊30名での巡回を行っていた。
歩兵であるフィニックスもその小隊の一員として巡回に参加していた。
ゼーテの北側はまだ平原の為、巡回も問題ないのだが、東側は30kmも行けば砂漠地帯に入る為、全身鎧に剣と盾の装備一式で40kgを超える武装のまま巡回するのは砂漠の熱にも煽られて相当堪えるものであった。
だから最初、フィニックスは蜃気楼を見たのだと思った。
熱にやられて遠くに自分達の影を見たのだと思ったのだ。
だが、段々とその影が近付いてくる様子を見て我に返った。
「敵だ!敵兵が砂漠の向こうからやって来るぞ!」
フィニックスの声を聞いて皆一声に砂漠の先を見やる。
すると皆一様に漆黒の鎧を着た兵士らしき影を発見した。
「慌てるな!まだ甲蟲人とは限らんだろう。どこぞの傭兵団かも知れん。暫しその場で待機だ!」
小隊長の言葉を聞いて騒ぎ出した面々が黙り込む。
だがフィニックスは確信していた。傭兵団にしては数が多い。あの数で砂漠超えを選択する傭兵はいないだろうと。であるならばあの影は何者か?前情報がなければフィニックスも考えもしなかっただろう。だがあれは間違いなく甲蟲人の軍勢だ。
暫く望遠鏡を覗き様子を見ていた小隊長だったが、その影が実体として見える範囲に来て悟った。
「甲蟲人だ!伝令兵は本国に走れ!東北東方面より甲蟲人の軍勢が接近中。数は一万以上だ!」
馬を連れた伝令兵4人が馬に跨がり首都に向けて駆け出した。
「残りはここで敵戦力を測るぞ!情報ではBランク相当との事だが、実際に戦って見ないことにはわからん事もある!詳細な情報を本国に持ち帰るぞ!」
小隊長は剣を抜き、戦闘態勢に入る。
皆それに合わせて剣や槍を構える。
フィニックスも左手に持った盾を前面に押し出し、右手に持った長剣は上段に構える。敵の攻撃をいなしてから反撃に出る帝国兵士の基本の構えだ。
「敵の先兵が接近中!迎え撃て!」
小隊長の号令で兵士達が走り出す。
だがフィニックスは一瞬躊躇した。
敵の先兵の後ろに控える軍勢の数が増え続けている。その数は一万では効かないだろう。二万、もしかしたら三万はいるかもしれない。
そんな軍勢を前にたった26人程度で何が出来るのか。
足の震えが止まらない。
今まで戦場に出た経験はあれど、ここまで圧倒的に数で負けている戦は初めてだった。
「フィニックス!どうした?お前も進め!」
小隊長に檄を飛ばされて初めて足が動き出す。
だが他の面々とは違い走って行くことが出来ない。
足がガクガクして今にも倒れてしまいそうだ。
その頃には先頭を駆けていった兵士が甲蟲人と接敵し、その体に長剣を叩き付けていた。
ガギンッと硬質な音が響く。
甲蟲人は片腕を上げて長剣を受け止めていた。その腕には何かを装備している様子もない。甲蟲人の体はその生身ですら鋼鉄を超える強度があるのだ。
次々と接敵し、攻撃を繰り出す他の兵士達であったが、いずれの攻撃も甲蟲人にはダメージを与えられていないように見える。
そして振るわれる長剣の一撃により、フルプレートメイルを着込んだ兵士達が斬り殺されていく。
鋼の鎧も意味を成さない。まるで紙切れのように斬られて崩れゆく仲間達を前にフィニックスは恐怖を覚えた。
もう前に進む足は止まっていた。
「フィニックス!どうした!?お前も進め!」
小隊長の怒号が聞こえる。
敵前逃亡は死罪に値する。それは分かっていた。だが、目の前の確実な死への恐怖が勝った。
フィニックスは武具も手放し、兜を投げ捨てて走った。
街の方国へ。
「あ!フィニックス!敵前逃亡は死罪だぞ!」
小隊長の声を後方に聞きながらもフィニックスは足を止めない。
鎧が重い。前腕を守るヴァンブレイスも走りながら投げ捨てる。
下腕部を防護するリアブレイスも外して捨てた。胸部と背部を守るブレストプレートも走りながら外して捨てる。
グリーヴなどの足の装備も外したいが足を止める暇はない。
出来うる限り身軽になったフィニックスはひたすらに走った。
背後からは斬られて呻く仲間達の声が聞こえる。それも一層恐怖心を扇いだ。
後ろを振り返りもせずにフィニックスはひたすら走った。
それがフィニックスの命を救った。
小隊長は最初は先兵を数体倒してから本国に引き返せば良いと考えていた。
だが甲蟲人の力は圧倒的だった。
こちらの攻撃は通じず、あちらの攻撃は鎧すらも切り裂く始末。
20人強もいた部下達が次々と倒されて行く。
Bランク相当なら数人がかりで攻撃すれば倒せると思っていた。それなのに蓋を開けてみれば敵はBランクを遙かに超える力を有していた。
小隊長は悪くない。Aランクに近いBランク相当と言う情報が伝わっていなかったのだ。
見る見るうちに兵士達は倒されて残るは自分のみ。ここでようやくフィニックスの判断が間違っていなかった事を悟った。
交戦するべきではなかった。一目散に逃げるべきだった。
踵を返して走りだした小隊長。だが長時間砂漠にいた事で体力も消耗しており、何より装備が重い。必死に足を前に出しているはずなのに全然前に進まない。
「敵の力量が誤っていると伝えなければ。本国にこの情報を持ち帰らねばならん。」
甲蟲人:蟻によって刎ね飛ばされた小隊長の首がうわごとのように呟く。
伝令兵4名は途中、魔物に襲われることもなく無事にゼーテへと帰還していた。
その伝令兵によってゼーテの街にも甲蟲人襲来の報告が上がった。
帝国軍兵士二万、帝国騎士団50名が直ちに迎撃の準備を始めた。
敵の数は一万。対する帝国軍兵士は倍、問題なく迎撃出来ると上層部も考えていた。
そこに駆け込む兵士が1人。フィニックスだ。
「敵はBランクではありません!Aランク相当です!それに数は二万から三万程度!第39小隊は全滅です!!」
その報告に一同がどよめく。
Aランクが二万から三万。Bランクが一万と大きな差がある。
騒ぎが段々と大きくなる中、1人の青年が声を上げる。
「敵がAランク相当だろうと、三万だろうと問題ない!僕たちには女神様の加護がある!勇者である僕がいる!!」
バッシュ・クロムウェルである。
「そうだぜ!勇者様がおられるのだ!俺達に負けはない!!」
勇者パーティーの戦士、ライオネルも声を張り上げる。
その声を聞き、兵士達の士気があがる。
「「「「おー!」」」」
「「「「うぉー!勇者様ぁー!」」」」
「「「やってやる!」」」
「「「負けるものか!」」」
どよめいていた一同が怒号を張り上げる。
バッシュによる扇動は成功した。
「ふふっ。これで良しっと。精々僕の覇道の礎になっておくれ。」
バッシュは誰にも聞き取れない小声で呟くのだった。




