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9月1日

作者: 琉璃

 明日は、9月1日。関東大震災から、丁度100年の時が経つのです。当時、たくさんの方が、亡くなり、たくさんの方が、悲しみました。貴方は、自分の命がどれだけの価値があるか、考えたことはありますでしょうか。物の価値というのは、人それぞれ違いますので、この答えは人それぞれなはずでしょうが、『命』これは、とても価値のあるものだと、私は思います。



 さて、なぜ故このようなお話をしているのかと言いますと、私達の人生というのは、ひとつの舞台でございます。母親のお腹という狭い所から、この世という広い所に出ます。これが幕開けなのです。その舞台の幕が閉じた時、それはつまり、死を表すのです。明日は人生という舞台の幕を強制的に閉じる方々が多い、そのようにお聞きしたからです。




 私には、幕を閉じる勇気が一切もございません。一方で、幕を閉じようとしている方には、とても勇気があります。その勇気をなぜ、『死』に近づくために使うのか、検討もつかないのです。他のことに、その勇気を使えるのではないでしょうか。




 批評覚悟で、述べますが、自らの幕閉じ、これは、本来起こってはならないことです。100年前、自らではなく、震災によって、幕を閉じた方がいます。その方は、まだ、生きたかったに違いありません。そのような方がいるというのに、何故、自ら幕を閉じるのです?どのような理由があるにせよ、自殺なんて物は、『命の無駄遣い』に、過ぎないと思うのです。『自殺』を美化しないで頂きたい。苦しみや、葛藤を乗り越えて、生きている方の方が、よっぽど、美しい。まぁ、こんなことを、悠々と生きている人間が、言っても何も響かないと思いますがね。



 生きるの反対は、死ではございません。そのため、幕開けの反対も幕閉じでは、ありません。もしも、まだ少しでも希望があるのなら、第二章の幕を開けをしてみてはいかがでしょうか。貴方は、自分で幕を閉じますか。それとも否ですか。



 最後に、9月1日、即ち明日、まだ貴方の舞台が続いているというのならば、是非とも、こちらに、戻ってきてください。

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