初体験
☆
「ふ〜……満足だ。この味は皆が何度も通う気持ちが良く分かる。何杯でも食べれそうだった」
マンは牛野屋の牛丼に満足した顔になってる。勿論、マンだけが食べたわけじゃなく、私の分も買ってくれて、【食事をする】クエストは達成したわけなんだけど……
「VRゲームの中だけど、ちゃんと味覚は働くものなんだね。味もちゃんと再現されてたわけなんだけど」
VRゲームがフルダイブ化するに至って、味覚も再現されるようになったと兄さんから聞いてたけど、本当だったわ。しかも、お腹が満たされる満足感もあるからね。まぁ……味覚があるという事は、【スライムゼリー】とか【ゴブリンの鼻焼き】みたいなゲテモノ……じゃなくて、ユニークな料理にも味があるわけで、それを食べる時が来るなんて事は想像するだけで……
「ハンバーガーを頬張りながら言う事じゃないでしょ。食べたところで、何も変わらないし」
マンは牛野屋の牛丼を食べた後、すぐにマスバーガーに寄って、買い食いしてるから驚きだよ。私は流石にそれを食べるのは無理だから。
それに食事をしたところで、一時的に能力アップが付与されない事は、牛野屋の店員NPCから話を聞いてる。ゲーム内のお腹を満たすのと図鑑が埋まるだけで、絶対に食べないと駄目ってわけじゃないみたい。
ただ、職業【料理人】の【調理】という【スキル】だけが追加効果を付け足す事が出来るらしくて、千城院さんに料理を振る舞う【料理人】も悪くないと思ったぐらいだし。
「こういう買い食いもした事がなかったから。これだけで【ユニユニ】をプレイした甲斐があった」
「マンがそれで満足したのなら、私が文句を言っても仕方ないけど」
牛丼やハンバーガーを食べた事がなくて、買い食いもした事がないなんて、実は何処かの金待ち……なわけないよね。そんな人が漢という職業を選ぶとは思えないし……
「ハンバーガーも堪能したな。これも良いものだった。この体だとまだまだ食べれそうだ。次は何を食べようか?」
「『次は何を食べようか?』じゃないでしょ。私達の目的は【荷物運びの護衛】なんだから。食べるのは次の機会でもいいわけだし」
「そうだったな。牛丼とハンバーガーに興奮して、本来の目的を忘れてしまっていたぞ」
危ない危ない。諦めてくれて本当に良かった。【ゴブリンの鼻焼き】を選んでたら……それを見るだけでも嫌な気持ちになりそうだったし……
「その目的の場所というのは……」
「まさかだけど……お前達が護衛を引き受けた冒険者じゃないだろうな?」
護衛を引き受ける事になる酒屋……そこは私とマンが立ち止まってた場所の丁度後ろだったみたい。酒屋の店長は職人気質の親方みたいな感じで、怒ったというより、呆れた感じで私達を見てる。
知らず知らず店前でハンバーガーを食べていたのが、依頼を引き受けた相手だとしたら、それは怒りを通り越して、呆れるわ。
「そ、そうです。店前だと気付かず、ゴメンナサイ。マンも頭を下げないと」
ここは素直に頭を下げておかないと。相手からクエストキャンセルなんて事があるかもしれない。
「すまない。ドアを開けると、芳醇な良い酒の香りが漂ってくるな。一杯貰えるだろうか?」
「マイペースなの!? 仕事前に酒を飲むのは流石に駄目でしょ」
目の前に依頼人がいるのに、普通は言わないでしょ!! お腹が満腹にもなるんだから、酒に酔う状態もあるかもしれない。しかも、気難しそうな感じのNPCなのに……
「ここの酒が一番だと!! へっ……分かってるじゃないか!? 景気付けの一杯だ。飲んでも構わないぜ。勿論、お前も飲むんだよな?」
「えっ!?」
店長は店の中に戻って、本当に酒を持ってきたんだけど。それも木樽型のジョッキとお洒落……じゃなくて、大ジョッキよりもデカくない!?
それを渡されると、中には溢れんばかりの酒が……なんて、正気の沙汰じゃないでしょ。現実で真似をしたら駄目なやつ!!
「美味いぞ。一気に飲んで、気持ち良いところを見せてくれ」
店長が笑顔で言うものだから、嫌がらせのつもりじゃなく、本当にそう思っての事なんだろうけど……無茶ぶりにも程がある。こっちも依頼を引き受ける状態だから、断り辛いし……
「本当に一気に飲むのかい!!」
マンは風呂上がり、瓶の牛乳が如く、腰に手を掛けて、木樽型ジョッキのワインを一気に呑み干したんだけど!!
「美味い!! もう一杯!!」
「もう一杯じゃないから!!」
むしろ、私の分の酒を飲んで欲しいぐらいだから。それにマンがイッキ飲みしたせいで、私もやるみたいな視線を店長が向けてきてるから!!
けど、よく考えてみると……マンが全然大丈夫そうなのは酔わないからなのかも? もしくは中身が酒じゃなくて、葡萄ジュースでした!! とか?