六話 慰安命令
占領した城の後処理を終えて王都へ帰還する道を通るさなか、オーシェンはふと鼻先に心地よい香りが漂う感覚を覚えた。ほのかに卵の腐ったような、しかし心を温かくさせてくれる匂いであった。他の兵達もその匂いに気付いたのか、鼻をスンスンと鳴らす音が聞こえてくる。
オーシェンは懐から地図を取り出し、現在位置を調べる。そうか、この辺りは元来火山がある町、つまり今漂っているこの匂いは温泉の匂いということだ。
オーシェンは顎を拳の上に載せ、思考を巡らせる。指令を達成した今、なるべく早く帰還して報告するのが戦略的に考えても正しい行いだろう。最低限の守備兵を残したのみの城は奪い返される危険も多く、一刻も早く後詰めを入れて盤石にしなくてはならない。
しかしそれはこの国を心より想い、命を尽くす愛国者の発想であった。姉に会うことしか頭にないオーシェンにとっては至極どうでも良いことであった。ジンに周りを偵察させたが敵の残兵はおらず、すぐには攻勢には移れないだろう。つまり、一日二日遅れたところで己の功績がフイになることは無いということだ。その後にどうなろうと興味は無い。
それに、問題は兵士達の疲労であった。比較的元気な歩兵や弓兵を城に残し、今連れているのはシャーリーのせいで満身創痍になった騎兵達がほとんどであった。無論、彼らも戦争のプロフェッショナル、気力を振り絞って帰還まで耐えることはできるだろう。しかし士気の低下は避けられまい。攻勢の要である騎兵の士気が悪くてはのちのち不都合になる。
オーシェンは頷いた。
「全軍、今日はここまでにするよ! 温泉で戦いの疲れを癒やそうじゃないか!」
オーシェンがそう告げると、兵士達は大いに沸き立った。一日ばかりの遅れでここまで喜ばせられたのであったら上々だろう。
「えぇっ!? 良いんですか、やったー!」
何よりも歓喜していたのはシャーリーだった。泥だらけの汗まみれのままの行軍は温室育ちのシャーリーには辛いものであったため、喜びもひとしおであった。
「オーシェン公子、よろしいのですか?」
ジンがオーシェンに耳打ちをする。
「構わないさ。君も疲れただろう。温泉には行ってゆっくり休めよ」
「……そうですね」
オーシェンは進路を変え、温泉街へと行軍を進めた、
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温泉の町に着くと、オーシェンは騎兵達を先に湯に入るように指示を出した。本当であれば皆まとめて入れてしまいたかったが、シャーリーが嫌がったのだ。それだけであったら一人外で待たせればいい話だったが、兵達からも女性は別に分けていれてあげてほしいという意見が多く挙がったため、その案をオーシェンは受け入れることにした。
数刻が経ち、すっかりと身ぎれいになった男達が出てくるのを見計らってシャーリーは脱衣場に入った。町で運営されている温泉地だけあって中は広く、こぎれいであった。まだ扉で仕切られているのにも拘わらず熱気がムンムンと感じる。
シャーリーはいても経ってもいられず、下着が破れんばかりの勢いで脱ぎ、手ぬぐいを持って温泉に続く扉を開く。
シャーリーは湯に飛び込み、数秒後に顔を出した。
「あ~~~!! 気持ちいい~~~~!!」
シャーリーはバタバタと足を湯の中で動かし、温泉を満喫する。本来は許されがたい行為ではあるが、この温泉はゆうに一〇〇人が入れる大きさであるから問題ないだろう。それに、どうせ自分の他に女性は
いない。いくらはしゃごうが、大声を出そうが大丈夫だ。
「いえぇ~~~い!」
「おい、さわぐんじゃねぇ!」
「えっ!?」
シャーリーが横を見ると、ムッとした顔で腕を組むジンの姿があった。ジンはタオルを胸の高さまで巻き、囲われた石の上に座っている。
シャーリーは慌てて手ぬぐいで局部を隠す。
「ジンさん何でここに!? もう男性の時間は終わりですよ!」
「知ってるわ!」
「じゃ、じゃあ出てってくださいよ!」
「バカ! アタシは女だよ!」
ジンはいきり立ち、体に巻いていたタオルをシャーリーの目の前でほどく。その体は鍛えられていながらも女性らしい丸みを帯びており、特にシャーリーの両目には大きな二つの球体が映っていた。
「ち、チチがある…!」
「あぁ! おめぇよりよっぽどあるだろうがよぉ!」
「た、タマは!?」
「あるかぁ!」
ジンは顔を赤らめながらシャーリーを怒鳴りつける。
それによって、シャーリーもようやく目の前の現実を受け入れられるようになってくる。確かに、今はっきりと見ても明らかに女性の体だった。初めて見たときからなんとなく綺麗な人だとは思っていたが、その毅然とした振る舞いから彼女のことを男性だと勘違いしていた。他の男性陣、特に指揮官のオーシェンと馴染んでいたこともあってそう思い込んでしまったのだろう。
しかし、女性であることを意識してみると、同じ人間であるのに印象が変わってくる。ざっくばらんに切られた髪も鷹のような目つきも、ボーイッシュでセクシーな印象を受ける。
シャーリーの視線に気付き、ジンは呆れたようにため息をつきながら腰かけた。自分がいくら女っぽくないとは言えこんなことがあるだろうか。からかわれていると思う方がまだ納得できる。
「あ……、これは、すみませんでした」
「ハハハ!まっいいや、座れよ!」
ジンはカラカラと笑い、自分の座っていたとなりの石を叩く。柄にもなくしょげているシャーリーにおかしくなり、許すことにしたのだ。そもそも、こんなことで腹を立てるのは男所帯に混じって兵士として従軍している自分らしくないだろう。
なんとなく自分が許された感じを悟ったシャーリーは安堵し、ジンの隣に座る。ひんやりとした石と周りの熱気の対比が気持ちいい。足下の重力が軽くなる感じが、彼女に安らぎを与えてくれる。
「おめぇさ、今回はがんばったよな、っていうかがんばりすぎだろ! 大勢の敵に突っ込んでいってさ、死んだと思ったぜ!」
「……いつもとしゃべり方がずいぶん違うんですね」
「そりゃ、あんな堅苦しいのは仕事中だけだっての」
「なんでですか?」
シャーリーが聞く。
「オーシェンの奴がうるさくてよ。まっ、アイツも将軍になったし、前よりかは気を遣ってやらなきゃいけねぇからな」
「オーシェン様とは前からの知り合いだったんですか?」
「そうだな……、アイツとはもうかれこれ七年くらいの付き合いになるぜ」
「七年も!?」
七年前となれば、オーシェンが初陣を飾るよりもずっと前だ。それほど前からの仲の人間を戦場に連れているということは、よっぽど深い信頼で結ばれていると言うことなのだろうか。
もしかしたら二人は恋人同士だったりして……。片時も離れたくないから軍に加えているのかも……。シャーリーは絶え間なく邪推していた。
「あのっ、ジンさんはオーシェン様とは仲良いんですか……?」
シャーリーはドギマギと聞く。
「あ? ……仲はそれなりなんじゃねぇの、知らねぇけどさ? あっちも二人の時はケッコー気さくにしゃべっているしよ……。何だ? おめぇアイツのこと気になってんのか?」
「わた、わたしがですか!?」
シャーリーは危うく石から滑り落ちかける。
「悪いことは言わねぇけどやめた方が良いぜ、アイツはさぁ!」
ジンは苦笑する。
「シャーリー、おめぇも知っているだろうけどアイツ超キモイじゃんか! お姉ちゃん、お姉ちゃんって
よ! 一応さ、顔も頭も良いから外聞はいいんだけどな。もったいねー奴だよ」
「アハハ……。でも、オーシェン様は良い人ですよね。わたしのこともなんやかんや助けてくれましたし」
「そうなんだよなぁ! オーシェンの奴、かしこぶっているけど実は優しいところもあるんだよ! 皆知らねぇけどさ、付き合いが長くなると分かってくるんだぜ!」
ジンが気持ちよく声を響かせていると、仕切り板の向こうから声が帰ってきた。
「おいジン! 君が誰の余計な話をしていようと興味ないが、声が大きすぎるぞ!」
「ハハハ、うるせぇ奴に聞かれちまったな! さて、そろそろあがろうぜ。腹も空いてきた」
「そうですね、……オーシェン様の余計な話はまた後でしましょうか!」
「おっ、言うじゃねぇか!」
ジンとシャーリーは湯からあがり、浴場を後にした。
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オーシェン達は夕食を済ませ、町民の厚意で借りた宿で各々くつろいでいた。オーシェンが比較的に早く寝室に行った後、シャーリーとジンはオーシェンについての本人の前では言えないような話で盛り上がっていた。話をしているうちに、シャーリーはオーシェンとジンの間には男女の垣根を越えた強固な友情があるのだと実感した。
「ふわぁ…、すみません。もう眠くなっちゃいました……」
「もうこんな時間か、もう寝るとするか」
「そうですね、じゃあ、わたしは部屋こっちなので」
「アタシはこっちだ、おやすみ」
ジンはシャーリーの逆側の方を指す。
「はい、おやすみなさい。……ん?」
シャーリーは寝室へ向かおうとする直前、ふと違和感を覚えた。ジンの指さした方には部屋はひとつしか無い。そして、そこは先ほどオーシェンが入っていった部屋だった気がする。
「あれ、そっちなんですか?」
「そうだぜ」
「部屋って、オーシェン様の部屋の他にありましたっけ?」
「いや、アタシはアイツと同じ部屋だぞ」
ジンは素っ気なく言った。
「んんんんん?」
「あぁ、一応言っとくが、護衛のためだぜ、護衛。ほら、アタシ斥候だろ。偵察だけじゃなくて指揮官であるアイツが暗殺されないように身近で守る仕事もあるんだよ」
「……そういうものですか?」
「そういうもんだよ。まっ、アイツは心配性だから、裏切る可能性がないアタシにこの仕事はうってつけなワケだ。ホントはぐっすり寝たいんだが仕方ねぇ。アイツが死なないように守ってやらなきゃいけないからな。だから夜通し部屋の中で見張ってやってんだよ。ホント仕方ねぇよな」
「他の斥候部隊の人に変わってもらったらどうですか?」
「バカ、こんなことしてやれんのはアタシしかいねぇだろうが。ハァ、仕方ねぇ、仕方ねぇな」
ジンは会話を断ち切り、ツカツカと部屋へと向かっていった。シャーリーはなんとなく彼女のその足取りが軽やかであるように見えた、気がした。
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「行軍を再開する!」
翌日、昼前になる頃にオーシェン達は村を出発した。前日に温泉でくつろぎ、ぐっすりと睡眠をとった兵士達は見違えるかのように活力を取り戻していた。これならばまた近いうちに戦いがあっても戦えるだろう、オーシェンはほくそ笑んでいた。
「オーシェン様、昨日は良く眠れましたか?」
行軍のさなか、シャーリーはオーシェンに声をかけた。気軽な挨拶のつもりであった。
「……いや、あまり」
「そうでしたか? せっかくジンさんが護衛についてくれていましたのに」
「知っていたのか? あぁ、せっかく護衛の役を申し出てくれたジンには申し訳ないが、彼女がいる夜は寝付きが悪くてね……」
「えぇ、せっかく護衛の役を申し出て、……ん?」
シャーリーはその言葉がしっくりこなかった。聞いていた話と違う。
「何というか、見張られているせいかは知らないけど、体の節々が痛くなるんだよ。特に腰が痛くて……。でも、妙にスッキリした感じがするんだよね。何故だろう……」
「オーシェン公子! 先ほど国王からの使者から書簡を受け取りました!」
前方から、ジンが馬を逆行させてオーシェンに近づく。
「うん、ありがとう。見せてくれ」
ジンの顔は、オーシェンとは対称的につやつやとしていた。
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