三話 村に火をつけろ
「魔王側に寝返った極悪人、ですよね」
シャーリーはぽつり、とつぶやいた。
ジーマ・リドル。その人物の名を知らない者はいなかった。主に悪名で、である。
開戦当初、魔王軍の侵攻は決して順調とは言いがたかった。いくら魔族の兵が優れているとはいえ、ヘモニア側は数に勝り、また戦術眼に優れた指揮官も豊富であった。数年もすれば人類側は形勢を立て直し、むしろ魔王本国の領土に刃を突きつけることができていただろう。
しかし、そうはならなかった。
ラサーン王国の将軍、ジーマ・リドルが突如魔王軍に投降し、寝返ったのである。
ジーマが魔王軍で指揮を採って以来、瞬くままにヘモニアの要所は陥落、ほぼすべての領土を占領し、人類全体を巻き込んだ大戦争となったのであった。
「極悪人……、よくもまぁ言ってくれたもんだね」
「ジーマ将軍は若く、しかも女性でしたがその圧倒的な才能からラサーン王国将軍の地位を得ていまし
た。そんな人が敵に寝返ったとなればどれ程人類が苦しむか……。奴は人類の敵です! そんなひどい人のことを褒める言葉なんて聞きたくありません!」
シャーリーは不相応に声を荒げる。
この彼女の言葉はいわば民意であった。シャ―リーと同じ思いを持つ者はこの国には少なからずいる。国王からの信頼篤く、何不自由なく過ごしてきたはずなのに、祖国を裏切り刃を向けてきたジーマを擁護
する人間はほぼいない。
「聞きたくない、ね。敵のやることは全部駄目で、味方のやることは全部良いって訳だ」
そうだというのに、オーシェンは冷ややかにシャーリーを見下げる。先ほどの軽やかな態度とは打って変わって、言葉にとげとげしさがある。
「そういうわけでは……、ただ敵の肩を持つのは将軍としてどうかな、と」
「肩を持つ? その人物の能力を適正に評価しただけだ。君たちみたいなボンクラじゃあ一〇〇年かけても考えられないような戦術を次々と編み出し、優れた機能の軍事施設を考案した。それを他のカス共よりもずっとずっと優れていると評価しただけのことだ!」
「そんな言い方あんまりです!」
シャーリーは半泣きで反論する。
言っていることに自体には説得力がある。さすがに英雄的活躍をする将軍の言うことだろう。しかし、こんなにも人格に難のある人間だとは思わなかった。今まで抱いていた爽やかな英雄のイメージがズタズタに粉砕される。
シャーリーがかわいそうな顔をする度に、オーシェンはふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「フン、まぁ良い。聞けよ、城攻めの良い策が思いついた。敵を野戦で討つことにする」
「……」
「地図を見れば分かるけど、シャルマ村と城はそこそこの距離がある。向かうのには数十分かかるくらいにはな、しかし物見の上からなら大体の様子が見えるくらいの距離さ。言いたいことはわかるかな?」
シャーリーは俯いて何も言わない。その様子を見てオーシェンは一層気分を害する。
「なんだなんだ、昨日まであんなにうるさかったのに。……つまりだ。村で騒ぎがあれば部隊鎮圧にを行かせることは充分にありうるって訳だ。例えば、村でデカい火事があったりしたら来るだろうな」
「っ! まさか村に火をつけるつもりですか!?」
「そうさ。あらかじめ出入口の数を絞った状態で火事が起こった村に入らせ、そこを囲んで叩く。これが最も確実な方法だよ。自軍の被害も少ないだろう」
「ダメです! それに、略奪しないようにしてるっていってたじゃないですか!?」
「略奪はしない。だがそれは村人がカワイソーだからしないんじゃない。あくまで高い規律を守るためだ。顔を知らん村人がどうなろうと興味ないね」
その言葉を聞いた途端、シャーリーは憤りの余り立ち上がった。
「……みそこないました。オーシェン公子、あなたは最低です!」
シャーリーの目は憤怒で真っ赤に染まっている。ここまでの怒りを感じたのは彼女の人生の中で初めて
のことだった。民を守る存在を目指す者として、従うことはできない。
シャーリーはぶっきらぼうに背を向け、陣幕から出て行こうとする。
「わたしが今から敵に挑み、城をとります。良いですか、絶対に動かないでください!」
「好きにしろ。君のお得意の騎兵突撃がうまくいくことを祈っているよ」
シャーリーは一瞬オーシェンをきつく睨み、ドカドカと足音を立てて去って行った。
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「オーシェン公子、よろしいでしょうか?」
シャーリーが顔を赤くして陣幕を出てから数分後、斥候隊長のジンがオーシェンの元を尋ねた。
「どうしたんだい?」
「お茶をお持ちしました。夜は冷えますのでどうぞ」
「これはありがたいね。君も飲みなよ」
そう言って、オーシェンはジンを向かいに座らせる。
「それではありがたく」
ジンは熱い茶をカップに注ぎ、オーシェンへ渡す。オーシェンはまず香りを堪能した後にカップに口を
つける。ふわりと心地の良い茶葉の香りが広がった。
茶は良い。夜の寒さを和らげてくれる上に、戦意を高ぶらせてくれる。
「うん、僕の好きな茶葉じゃないか。いつも助かる。もう一杯もらうよ」
オーシェンは気をよくしてカップを空にする。
「それは良かったです。それともうひとつ、お伝えしたいことがあるのですが」
「何だい?」
「先ほどシャーリー様が騎兵全員を連れて城に進軍しましたが、オーシェン公子のご指示でしょうか」
「飲んでる場合じゃなくなった、行くぞ! 全軍に出陣だと伝えろ!」
オーシェンは直ちにカップを置き、陣の中心へ向かう。
まさかシャーリーがここまで大胆なことをするとは、ともかく、すぐにでも向かわなければならない。城の規模からして守備兵は四ケタ以上はいるはずだ。一〇〇騎の騎兵では太刀打ちできようもない。それにシャーリーが引き連れていることを考えれば全滅する可能性も充分に考慮しうる。
兵達は突然の戦支度に慌てながらも準備を整え、どうにか戦闘に耐えうる装備に着替える。それを確認したオーシェンは軍馬に載り、号令を挙げる。
「全軍、これよりシャルマ城を攻める! 用心しろよ!」
「おおおおおーーーっ!!」
歩兵、弓兵、果ては補給隊からも鬨の声が挙がる。
「歩兵部隊! 時は一刻を争う、最低限の装備にしろ!」
「了解です!」
「弓兵部隊! 今回は近接装備で戦ってもらうぞ!」
「はっ!」
「工兵部隊、例のものはできているか!」
オーシェンは軍の中の、様々な器具を持った兵士に声をかける。工兵部隊、彼らはオーシェンが攻城戦を仕掛ける際の切り札的な存在だった。
「はっ。既に完成しております。一気に大勢が上っても崩壊の危険は無いかと」
「よし、これより我が軍は川側から城に進軍する。着いてこい、早足だ!」
オーシェンは馬を一定のスピードで走らせ、軍を指揮する。
実は、ここから城までの直線距離はそこまでではない。しかし一つ問題があった。川があったのだ。幅が狭く、流れが穏やかであればそのまま渡河することもできるが、シャルマ村沿いの河は到底渡れるものではなかった。
そこでオーシェンは内々のうちに橋を架けることにした。その指令を受けたのが彼ら工兵部隊たちであった。
おそらくシャーリーは橋のことを知らないだろう。そうであれば城に着く前は無理だとしても、全滅する前に合流することは可能であるはずだ。
オーシェン率いる四〇〇余の軍勢は橋を目指し、最低限の装備を抱え進軍を開始した。
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