一話 新たなる指令
「オーシェンよ。この度の戦、誠に大義であった」
黄金に輝く荘厳な広間、その奥にある玉座に座る男が声を発した。年は三十代ほどだろうか。無骨な鎧の上に赤いローブをまとった、鋭い雰囲気の男だ。
その男の向く先には青を基調とした軍服姿の男、オーシェンが数段下に控えていた。
「はっ、メギア王。ご用命通り、西の要所たるシモン要塞を死守して参りました」
オーシェンは姿勢を崩さず、うやうやしく言った。
「ふっ、死守、か。たった五〇〇余りの手勢で十倍の敵兵を逆に撃破したそうではないか。しかも犠牲は
数人足らずと聞く。ずいぶんと余裕そうであるな」
「いえ、そのようなことは……」
「謙遜をするな、朕はそなたの実力を買っているのだぞ。『ラサーン王国西方戦線指揮官』オーシェン・アケメディアよ」
メギアは目を細めて笑い、言葉を続ける。
「良いか。そなたも重々知っているだろうが現在、魔王軍によって大陸の四割を侵攻され、西のヘモニア
共和国、南のビリジア王国をはじめとした人類諸国の多くは劣勢を強いられている。しかし、唯一我がラサーン王国のみがその脅威に屈せず、破竹の勢いで連勝しているのはそなたの働きあってこそだ」
その言葉をオーシェンは黙って聞く。
今から十年ほど前、全世界に衝撃が走った。西の大国、ヘモニア共和国に『魔王国』を名乗る勢力が宣戦を布告してきたのだ。はるか西端の小さな島に存在するする魔王国はたちまちに大国の国力に押しつぶされるだろうと多くの者は予想した。
しかし、その考えが覆されるようになったのはそう遅い話ではなかった。
人よりも優れた戦闘力を持ち様々な特性を持つ魔族の兵士、人間には到底使えない領域の魔法を使い、魔王軍は大陸に占領地を持つようになった。その後はメギアの言ったとおり、ラサーン王国西部に位置するヘモニア共和国のほぼすべての領土は魔王軍に占領されて今に至る。
この時勢、こんな悠長に王様とおしゃべりできるのはうちの国くらいだろう、オーシェンはそう思った。
「お言葉でございますが、今回の防衛戦が勝利できたのはひとえにシモン要塞の防衛能力の高さにございます」
「これ! その要塞が『誰に作られたのか』を知っての言葉かえ!?」
メギアの隣に立ち口をとがらせている男、ラサーン王国大臣がうわずった声でオーシェンを責める。
「えぇ、勿論です。しかし……、もしこの要塞と一〇〇人の兵をお任せいただければ、一万の敵に勝利することも不可能ではございません」
オーシェンは調子を崩すことなく言う。その自信ありげな瞳に、大臣はそれ以上言葉を続けることができなかった。
メギアは改めて感心した。いくら攻城戦は防衛側有利とはいえ、百倍もの戦力にはひとたまりもないことは前線で戦わない自分にも理解できることである。それを勝てる、と。大ボラと一蹴するのが妥当であろうが、このオーシェンという男のこれまでの功績を鑑みれば、今の大口もあながち間違いではなさそうに感じさせてくれる。
オーシェン・アケメディア、十八歳。アケメディア公爵家の嫡男である彼は十五歳の初陣で敵将の首を取って以来、野戦、攻城、籠城の一切を問わず数々の戦場で大功績を収めてきた男である。メギアはその能力に期待し、最も戦火の激しい西方の戦線を戦う指揮官の一人に任命した。それ以来、この男は挑んだすべての戦に勝利し、多くの魔王軍の占領地域を解放していった。それも、自領から引き連れたわずかな手勢と物資のみで、である。
「それは興味深い話だ。是非とも詳しく教授願いたいところではあるが・・・、そなたには今一度命を下したい。聞いてくれるか?」
メギアのその言葉に、オーシェンは無言でうなずく。
「そなたには我がラサーン王国の辺境、シャルマ村の魔王軍に占領された城を攻め、奪い返してもらいたい」
「シャルマ村の・・・? 私が、ですか?」
「あぁ、シャルマ村は北西の小さな村である。城も極めて簡易で小規模なものだ。確かに、そなたにとってはたやすすぎる戦であろう。しかし、此度の命はそれだけではない。……シャーリー・ルネよ、入れ!」
メギアが手を叩くと、シャーリーと呼ばれた少女が深々と礼をし、オーシェンの傍らに立つ。
長い金髪を結った、まだ十五歳ほどのあどけない少女だ。吸い込まれるほどに大きな碧眼が目を引く美しい少女であった。軽装の鎧を身にまとっているが、貴族らしい雰囲気が漂っている。
彼女はオーシェンを一瞥するとにこりと微笑んだ。
「オーシェン様、お初にお目にかかります。ルネ伯爵家長女のシャーリーと申します」
「彼女は軍学校の首席卒業生でな。是非ともそなたの戦術を学ばせたいのだ。その一環として今回の戦に同行させたいのだが良いな?」
「はぁ、それは構いませんが」
オーシェンは眉一つ動かさない。
「それを聞いて安心したぞ。では良い知らせを待っている」
メギアのその言葉を聞くと、オーシェンは何も言わず一礼をして玉座の間を出る。
「えっ、待って! ……あっ、失礼いたします!」
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メギア王への謁見の後、オーシェンは王都の市場へと来ていた。魔王軍との戦争が続くさなかでもラサーン王国の中心に位置する王都はその戦火からは遠く、城下町は平和である。中でも市場は国中の資源が集まる場所として年中賑わいを見せていた。
「オーシェン様! どちらに行かれるのですか!」
シャーリーは人混みに流されかけながらもオーシェンについて行く。わずかな隙間を縫って悠々と進むオーシェンに対し、シャーリーは行きたい方向へ歩くこともおぼつかない様子であった。貴族の息女であるシャーリーにとっては仕方のないことだろう。
一体このような庶民の場に何のようがあるのだろうか。シャーリーはいぶかしんだ。
アケメディア公爵の嫡男、オーシェン公子の名声は自分も幾度となく耳にしている。そのような猛者に従事する機会に恵まれた幸運を一刻も早く戦場という舞台で享受したいというのに、肝心のオーシェン公子は盛り場をほっつき歩いているではないか。
シャーリーはオーシェンの横顔を見る。公爵の位に恥じない、高貴な雰囲気の美青年だ。自分よりたった三コ上とは思えないほど大人びている。暗いわけではなく、どっしりと構えている印象がある。
別にこれといって何かあるわけではないが、こうして一緒に歩いていると少しどきどきしてしまう。ルネ家の名に誓って、決して邪な理由で戦場に出るわけではない。出るわけではないが、それはそれとして今回の戦いではオーシェンの役に立ち、良い印象を与えられたらな、そしたら、もしかしたらもっとお近づきになれるかもしれないな、とシャーリーは妄想した。
ようやく袖がつかめる距離まで追いついたところで、不意にオーシェンは立ち止まった。シャーリーは勢いを殺しきれず背中に顔をぶつける。
オーシェン見る先には他の店よりも広く幅を取った乾物店があった。
「おっ。公子さんじゃありませんか! 今日はどういった御用向きで?」
彼の姿を見た店主の男は、なじみ深い調子で話しかける。
「やぁしばらく。また遠征に出ることになったんだ。おそらく半月はかかるだろうから、その分の干し肉とドライフルーツをもらいたいんだけど」
「お安いご用で! 数百人分の乾物を一気に買ってくださるのはラサーン広しといえども公子様くらいですからね。お安くしますよ!」
「じゃあ証文を切っておくから、後でアケメディア家に請求しといて」
オーシェンは一枚の紙を渡し、荷車いっぱいに詰められた乾物を受け取る。
「軍馬の餌はいかがでしょうかね?」
「フン、他の資材は既に準備しているさ。君、畑違いのことはしない方がいいよ」
すると、突然オーシェンは踵を返し、後ろに控えていたシャーリーと向き合う。
「さて、シャル……、いや、シャム……?」
「わたしはシャーリーですが……」
「そう! 片時も君の名を忘れたことはないよ。シャーリー。さっそく君に任務を授けよう。この大任を成し遂げたとき、君は一段立派な騎士になれるだろう」
「はっ、はい!」
シャーリーは思わず背をのけぞらせて返事をする。
「この荷車を引いてくれ。うちの兵達が待機している門まで」
「は?」
「持って行け、と言っているんだよ。うちの軍営まで」
「な、何でわたしがこんな雑用を!? この『ルネ伯爵家』のわたしが!」
「ほらほら、時が惜しいよ」
「だいたい! そんな雑事はそこの商人にでもさせれば良い話じゃないですか!」
「店主さんは店番があるだろう? 商人の方々には優しくしておいた方が良い。戦時中はずっと迷惑かけるんだから」
「そもそもわたしはオーシェン様の戦いを学ぶように王から命令を受けているのですよ!?」
「ならちょうど良い、これも戦いのひとつじゃないか? 僕がいかにして兵站の調達をするのか間近で見たら良いさ」
「兵站……? もしかして、これは兵士のための食糧ですか?」
「僕一人で食べるとでも思ったのか?」
そう思ったわけではない。しかし、シャ―リーはオーシェンの『兵站』という言葉に驚きを禁じ得なかった。兵站、つまり兵士が戦うための武器や食糧をオーシェンは自分で調達しているということになる。しかし兵士の武器は勿論、食糧も各個人で調達するというのが世界的な常識というものである。
指揮官が用意するなどという話は、少なくとも軍学校の授業では聞いたことがない。
「うちの兵は常備兵なんだ。戦いのプロではあるが、畑は持っていない。食事は僕が要してやる必要があるわけだ」
常備兵、またしてもシャーリーにとっては馴染みの薄い言葉だった。というよりも、この国自体で常備兵が一般的ではない、というのが正しいだろう。ラサーン王国と周辺諸国では、どの貴族も領内の農民に少しばかりの心付けを渡して後は自分で装備や食糧を用意させる、という場合が多い。傭兵を雇うということもあるが、職業軍人という存在は極めて稀であった。
「それに、食糧が無くなれば本来の力が発揮できないし略奪に走る奴が出て統率も乱れる。安定した兵站なしに軍質を維持することはできないのさ。軍学校では習わなかったのかな?」
「ぐっ……、それは……」
「そうだろう。他の奴らはこの重要性に気付かず、村を襲って食糧を奪い、あり合わせのなまくらで戦うんだ。なんて貴族らしい振る舞いなんだろう!」
オーシェンは嫌みったらしいほど屈託のない笑みを浮かべる。
どうしたことだろう、あんなにも憧れていたオーシェン公子とこんなにも話せているというのにまったく嬉しくない。何というか、言葉を聞けば聞くほど情けない気持ちになっていく。
シャーリーは自分が責められているわけではないのにもかかわらず、悔しさに涙をにじませた。
「この程度のことは直に戦争の基本になるから今のうちに覚えた方がいいだろうけど、やる?」
「……分かりました。引きます」
「結構! その後は馬で運ぶから心配しないでくれ」
この出兵から帰ったらしばらく休もう。シャーリーはため息をついた。
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